有名度
小結広峯神社
ひろみねじんじゃ
兵庫県姫路市広嶺山52
兵庫県姫路市広嶺山52

Corpse Reviver(wikipedia CC 表示-継承 3.0)
兵庫・姫路の広嶺山に鎮座する広峯神社は、疫病退散の神として信仰される牛頭天王を祀り、祇園信仰の源流の一社とも伝えられる古社です。境内には国指定重要文化財に指定された社殿が残り、古代から続く信仰と建築の価値を今に伝えています。厄除けや災難除けのご利益とともに、日本の信仰史を感じられる神社です。
広峯神社以外にも 広峯牛頭天王 とも呼ばれます。
かんたんご利益
- 恋愛
- 仕事
- 安全
- 厄除
- 家庭
広峯神社には
「恋愛系」「仕事系」「安全系」「厄除・開運系(有名)」「家庭系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
農耕 生産 縁結び 植樹 木工品の神 稲田の神 稲穂の神 海運・造船 五穀豊穣 家内安全 牧畜 狩猟 水難除け 災害除け 魔除け
御祭神
正殿
素戔嗚尊 すさのおのみこと
正殿
五十猛尊 いそたけるのみこと
左殿
奇稲田媛命 くしいなだひめのみこと
左殿
足摩乳命 あしなづちのみこと
左殿
手摩乳命 てなづちのみこと
右殿
正哉吾勝々速日天忍穂耳尊 またかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと
右殿
天穂日命 あめのほひのみこと
右殿
天津彦根命 あまつひこねのみこと
右殿
活津彦根命 いくつひこねのみこと
右殿
熊野櫲樟日命 くまののくすひのみこと
右殿
田心姫命 たごりひめのみこと
右殿
湍津姫命 たぎつひめのみこと
右殿
市杵嶋姫命 いつきしまひめのみこと
右殿
大年神 おおとしのかみ
右殿
御年神 みとしのかみ
右殿
若年神 わかとしのかみ
右殿
久々年神 くくとしのかみ
右殿
雅産霊神 わくむすひのかみ
右殿
級長津彦神 しなつひこのかみ
右殿
級長津姫神 しなつひめのかみ
右殿
久那斗神 くなとのかみ
右殿
八衢彦神 やちまたひこのかみ
右殿
八衢姫神 やちまたひめのかみ
神社系統
この神社の主な系統は
「祇園・須佐系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
広峯神社は兵庫県姫路市にある神社。素戔嗚尊を主祭神とし、その子である五十猛命をあわせてまつる。
社格は旧県社で、現在は別表神社。
姫路市街の北にそびえる広峰山の山頂に鎮座する古社である。明治時代の神仏分離以前には牛頭天王を祭神とし、現在も全国に広がる牛頭天王信仰の総本宮を称している。牛頭天王は疫病を退ける神として信仰され、広峯神社も疫病除けの信仰を中心に、農業や山林の守護神として各地から崇敬を集めた。
創建については複数の伝承が残る。社伝では崇神天皇の時代に広峰山の白幣山へ神籬が設けられたことを起源とする。また神功皇后が三韓征伐から帰還した際、素戔嗚尊を山頂にまつったとも伝えられている。
奈良時代には、天平5年(733)に遣唐使として唐から帰国した吉備真備がこの地で神威を感じ、そのことを聖武天皇に奏上したという。翌天平6年(734)、勅命によって白幣山に社殿が造営されたと伝えられる。吉備真備は後世、陰陽道と深く結びつけて語られた人物でもあり、牛頭天王や八王子神をまつる広峯神社も陰陽道との関係を深め、陰陽師たちから重視される霊場となった。
『日本三代実録』には貞観8年(866)、播磨国の「素戔嗚神」に従五位下を授けたとの記事があり、この神を広峯神社の祭神に比定する説がある。平安時代には牛頭天王信仰の有力な拠点として発展し、疫病除けの神として広く信仰されるようになった。
広峯神社と京都の祇園社、現在の八坂神社との関係については異なる伝承が残されている。貞観11年(869)に京都の祇園観慶寺感神院から広峯へ牛頭天王を勧請したとする説がある一方、広峯神社では広峯から京都の祇園社へ牛頭天王を遷したと伝え、「元祇園」を称している。中世には両社の本末関係をめぐる争いも起こっており、祇園信仰の成立や展開を考えるうえでも重要な神社となっている。
天禄3年(972)には現在の広峰山の地へ遷座したと伝えられる。中世には播磨を代表する霊場として大いに栄え、『峯相記』には熊野詣にも比肩するほど多くの参詣者が訪れたことが記されている。牛頭天王をまつる神仏習合の霊場として「天王山増福寺」「広嶺山増福寺」などとも称された。
江戸時代には徳川将軍家の菩提寺である江戸・上野の寛永寺の支配を受けた。広峯信仰は播磨の人々の暮らしにも深く根付き、近世から昭和初期にかけては伊勢参りへ出かける際、往路と帰路に広峯神社へ参拝する習慣があったという。
現在の本殿は文安元年(1444)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。入母屋造で正面十一間に及ぶ大規模な社殿で、一般的な神社本殿とは異なる独特の構造を持つ。中央に素戔嗚尊と五十猛命をまつり、左殿には奇稲田媛命とその親神、右殿には八王子神などをまつる。中世の牛頭天王信仰を伝える貴重な神社建築である。
本殿の前に建つ拝殿も国の重要文化財に指定されている。また境内には国の重要文化財である宝篋印塔が残るほか、本殿を囲むように摂社・末社が鎮座し、中世から近世にかけて発展した広峯信仰の姿を現在に伝えている。
広峯神社を特徴づける信仰のひとつが「陰陽九星詣り」である。本殿裏には祭神に対応するとされる9つの穴が設けられ、自分の星や願い事に応じた穴へ賽銭を納めて祈願する。牛頭天王信仰と陰陽道が結びついた広峯神社ならではの参拝方法として現在も受け継がれている。
広峯神社は牛頭天王信仰の有力な拠点として発展し、疫病除けの神として各地に大きな影響を与えてきた。吉備真備や陰陽道にまつわる伝承、「元祇園」をめぐる祇園信仰との関係、中世以来の大規模な本殿など、神仏習合の歴史を色濃く残す播磨を代表する古社である。
社格は旧県社で、現在は別表神社。
姫路市街の北にそびえる広峰山の山頂に鎮座する古社である。明治時代の神仏分離以前には牛頭天王を祭神とし、現在も全国に広がる牛頭天王信仰の総本宮を称している。牛頭天王は疫病を退ける神として信仰され、広峯神社も疫病除けの信仰を中心に、農業や山林の守護神として各地から崇敬を集めた。
創建については複数の伝承が残る。社伝では崇神天皇の時代に広峰山の白幣山へ神籬が設けられたことを起源とする。また神功皇后が三韓征伐から帰還した際、素戔嗚尊を山頂にまつったとも伝えられている。
奈良時代には、天平5年(733)に遣唐使として唐から帰国した吉備真備がこの地で神威を感じ、そのことを聖武天皇に奏上したという。翌天平6年(734)、勅命によって白幣山に社殿が造営されたと伝えられる。吉備真備は後世、陰陽道と深く結びつけて語られた人物でもあり、牛頭天王や八王子神をまつる広峯神社も陰陽道との関係を深め、陰陽師たちから重視される霊場となった。
『日本三代実録』には貞観8年(866)、播磨国の「素戔嗚神」に従五位下を授けたとの記事があり、この神を広峯神社の祭神に比定する説がある。平安時代には牛頭天王信仰の有力な拠点として発展し、疫病除けの神として広く信仰されるようになった。
広峯神社と京都の祇園社、現在の八坂神社との関係については異なる伝承が残されている。貞観11年(869)に京都の祇園観慶寺感神院から広峯へ牛頭天王を勧請したとする説がある一方、広峯神社では広峯から京都の祇園社へ牛頭天王を遷したと伝え、「元祇園」を称している。中世には両社の本末関係をめぐる争いも起こっており、祇園信仰の成立や展開を考えるうえでも重要な神社となっている。
天禄3年(972)には現在の広峰山の地へ遷座したと伝えられる。中世には播磨を代表する霊場として大いに栄え、『峯相記』には熊野詣にも比肩するほど多くの参詣者が訪れたことが記されている。牛頭天王をまつる神仏習合の霊場として「天王山増福寺」「広嶺山増福寺」などとも称された。
江戸時代には徳川将軍家の菩提寺である江戸・上野の寛永寺の支配を受けた。広峯信仰は播磨の人々の暮らしにも深く根付き、近世から昭和初期にかけては伊勢参りへ出かける際、往路と帰路に広峯神社へ参拝する習慣があったという。
現在の本殿は文安元年(1444)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。入母屋造で正面十一間に及ぶ大規模な社殿で、一般的な神社本殿とは異なる独特の構造を持つ。中央に素戔嗚尊と五十猛命をまつり、左殿には奇稲田媛命とその親神、右殿には八王子神などをまつる。中世の牛頭天王信仰を伝える貴重な神社建築である。
本殿の前に建つ拝殿も国の重要文化財に指定されている。また境内には国の重要文化財である宝篋印塔が残るほか、本殿を囲むように摂社・末社が鎮座し、中世から近世にかけて発展した広峯信仰の姿を現在に伝えている。
広峯神社を特徴づける信仰のひとつが「陰陽九星詣り」である。本殿裏には祭神に対応するとされる9つの穴が設けられ、自分の星や願い事に応じた穴へ賽銭を納めて祈願する。牛頭天王信仰と陰陽道が結びついた広峯神社ならではの参拝方法として現在も受け継がれている。
広峯神社は牛頭天王信仰の有力な拠点として発展し、疫病除けの神として各地に大きな影響を与えてきた。吉備真備や陰陽道にまつわる伝承、「元祇園」をめぐる祇園信仰との関係、中世以来の大規模な本殿など、神仏習合の歴史を色濃く残す播磨を代表する古社である。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
例祭
歳旦祭 1月元旦
節分、立春厄除大祭 とんど納札祭 2月節分の日
祈年祭 2月19日
御田植祭 4月3日
祈穀祭 4月18日
夏越の大祓・茅ノ輪神事 6月30日
秋季大祭・宵宮 10月17日
秋季大祭・本宮 10月18日
御柱祭 11月15日
吉備祭 旧暦10月2日
年越の大祓 12月31日
節分、立春厄除大祭 とんど納札祭 2月節分の日
祈年祭 2月19日
御田植祭 4月3日
祈穀祭 4月18日
夏越の大祓・茅ノ輪神事 6月30日
秋季大祭・宵宮 10月17日
秋季大祭・本宮 10月18日
御柱祭 11月15日
吉備祭 旧暦10月2日
年越の大祓 12月31日
文化財
広峯神社本殿
国 重要文化財
建造物 昭和35年6月9日指定
建造物 昭和35年6月9日指定
広峯神社拝殿
国 重要文化財
建造物 昭和35年6月9日指定
建造物 昭和35年6月9日指定
広峯神社宝篋印塔
国 重要文化財
建造物 昭和28年8月29日指定
建造物 昭和28年8月29日指定
広峯神社古文書
兵庫県 指定文化財
書跡 昭和40年3月16日指定
書跡 昭和40年3月16日指定
宝珠図絵馬
兵庫県 有形民俗文化財
文化財種別不明 平成2年3月20日指定
文化財種別不明 平成2年3月20日指定
廣峯神社表門
姫路市 指定文化財
建造物 昭和42年2月23日指定
建造物 昭和42年2月23日指定
廣峯神社摂社・末社 附蛭子社神像1躯・庚申社棟札1枚
姫路市 指定文化財
建造物 昭和58年2月3日指定
建造物 昭和58年2月3日指定
広峯神社氏重刀
姫路市 指定文化財
工芸品 昭和55年3月5日指定
工芸品 昭和55年3月5日指定
俗 広峯神社御田植祭附穂揃式・走馬式
姫路市 無形民俗文化財
文化財種別不明 昭和52年3月4日指定
文化財種別不明 昭和52年3月4日指定
建築
本殿 入母屋造
神紋
情報募集
出典
公式サイト
http://www.hiromine-j.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%AF%E7%A5%9E%E7%A4%BE
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp
兵庫県
https://www2.hyogo-c.ed.jp/hpe/bunka/cont_cate/%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E5%86%85%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E4%B8%80%E8%A6%A7/
姫路市
https://www.city.himeji.lg.jp/kanko/category/1-2-6-0-0-0-0-0-0-0.html
兵庫県神社庁
https://www.hyogo-jinjacho.com/
http://www.hiromine-j.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%AF%E7%A5%9E%E7%A4%BE
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp
兵庫県
https://www2.hyogo-c.ed.jp/hpe/bunka/cont_cate/%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E5%86%85%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E4%B8%80%E8%A6%A7/
姫路市
https://www.city.himeji.lg.jp/kanko/category/1-2-6-0-0-0-0-0-0-0.html
兵庫県神社庁
https://www.hyogo-jinjacho.com/
