サルタヒコ
さるたひこ
- 神話・伝説
- 男神・男性
祭神ランキング18位
サルタヒコとは?
サルタヒコは記紀神話などに登場する男神である。古事記では猿田毘古神、猿田毘古大神、猿田毘古之男神と表記され、日本書紀では猿田彦命と表記される。
記紀神話では天孫降臨の際に登場する国津神である。天の八衢《やちまた》に立ち、高天原から葦原中国へ降るニニギ一行を待ち受けた。その姿は『日本書紀』では、鼻の長さが七咫、背丈が七尺余り、目は八咫鏡のように照り輝き、赤酸醤《あかかがち》のようであったと描写される。天照大神と高皇産霊尊はアメノウズメにその正体を尋ねさせ、サルタヒコは天孫を迎えて道案内するために来たことを明かした。こうしてニニギを筑紫の日向の高千穂へ導いたことから、サルタヒコは道案内や道開きの神として信仰されている。
天孫降臨の後、アメノウズメはサルタヒコを故郷の伊勢まで送り届けた。『古事記』では、その後サルタヒコが阿邪訶の海で漁をしていた際、比良夫貝に手を挟まれて海に沈んだと伝える。サルタヒコとアメノウズメはこの神話で深く結びついているが、記紀には二神が夫婦になったとは明記されていない。後世には夫婦神として祀る信仰も広がっている。
サルタヒコは道の分岐に現れて天孫を導いた神話から、後世の道祖神や庚申信仰などとも結びついた。また、特徴的な容貌から天狗と結びつけて解釈されることもあるが、サルタヒコと天狗が記紀で同一神とされているわけではない。さらに各地の民間信仰では、道祖神や生殖・繁栄に関わる信仰と重なり、金精神と結びつく例も見られる。
これらのことから、サルタヒコのご利益は道開き、交通安全、旅行安全、開運、商売繁盛、五穀豊穣などとされる。
サルタヒコを祀る代表的な神社には、猿田彦神社(三重県伊勢市)、椿大神社(三重県鈴鹿市)、二見興玉神社(三重県伊勢市)、白鬚神社(滋賀県高島市)などがある。このほか全国各地の白鬚神社や猿田彦神社などで祀られている。
エピソード
ニニギが天孫降臨しようとしたとき、天の八衢《あめのやちまた》に、高天原から葦原中国までを照らす神が現れた。『古事記』では、その姿を見た神々の中からアメノウズメが遣わされ、何者なのかを問いただした。
神は自らを国つ神の猿田毘古神と名乗り、天つ神の御子が降臨すると聞いたため、その御前に仕えようと迎えに来たのだと答えた。『日本書紀』の一書では、猿田彦大神は鼻が非常に長く、背が高く、目は八咫鏡のように輝き、赤い酸漿《ほおずき》に似ていたと、その異様な姿が詳しく描かれている。
サルタヒコは天孫の行く手を妨げる敵として現れたのではない。天と地の境にあたる場所で一行を迎え、自ら名乗って地上への道を導こうとした国つ神である。
天孫降臨の物語で突然現れるこの場面が、後にサルタヒコが道案内やみちひらきの神として信仰される大きな原点となった。
出典・参考:『古事記』、『日本書紀』
正体を明かしたサルタヒコは、ニニギの一行を地上へ先導した。『古事記』では、天孫は筑紫の日向の高千穂の久士布流多気《くじふるたけ》へ天降ったとされ、サルタヒコはその降臨を導いた神として語られる。
『日本書紀』の一書でも、猿田彦大神は天孫を筑紫の日向の高千穂の槵日二上峰《くしひのふたがみのたけ》へ導いた後、自らは伊勢の狭長田《さながた》の五十鈴川上へ向かうと告げている。
サルタヒコが行ったのは、単に目的地までの道順を教えることではない。天上から地上へ新たに降る天孫を迎え、その進むべき道を先頭に立って開いたことである。この神話から、サルタヒコは旅や交通だけでなく、人生の転機や新しい物事を良い方向へ導く「みちひらき」の神として信仰されるようになった。
現在も猿田彦神社や椿大神社をはじめ各地の神社で、交通安全、方位除け、開運、事業の開始など、進む道に関わる願いを受ける神として祀られている。
出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、猿田彦神社、椿大神社
天孫降臨でサルタヒコと最初に向き合ったのがアメノウズメである。『古事記』では、天の八衢に現れたサルタヒコの正体を確かめたのも、天孫を導いた後のサルタヒコを送り届けるよう命じられたのもアメノウズメであった。
さらにニニギは、サルタヒコの名を明らかにしたアメノウズメに、その神の名を負って仕えるよう命じた。『古事記』は、これをアメノウズメの子孫が「猿女君《さるめのきみ》」と呼ばれる由来として説明している。
後世にはサルタヒコとアメノウズメを夫婦神として祀る神社も多く、猿田彦神社でも境内の佐瑠女神社に天宇受売命を祀っている。しかし、記紀の天孫降臨神話そのものに二神が結婚したと明記されているわけではない。
神話では「問いかける神」と「道を示す神」として出会い、その後の信仰では二神が一緒に祀られるようになった。サルタヒコとアメノウズメの関係は、記紀の物語と実際の神社信仰の広がりの両方から見る必要がある。
出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、猿田彦神社
天孫を導いた後、サルタヒコは伊勢へ向かった。『日本書紀』の一書では、自らの行き先を「伊勢の狭長田の五十鈴の川上」と告げ、アメノウズメがそこまで送り届けたと伝える。
伊勢は後世のサルタヒコ信仰でも特に重要な土地となった。伊勢市の猿田彦神社では、猿田彦大神が天孫を高千穂へ導いた後、アメノウズメとともに本拠地である狭長田五十鈴川上へ戻り、各地の開拓にあたったと伝えている。
同社の宮司家である宇治土公《うじのつちぎみ》家はサルタヒコの後裔と伝え、その祖先の大田命が倭姫命に五十鈴川上の地を案内し、皇大神宮の鎮座地となったという伝承も受け継いでいる。
記紀で天孫を地上へ導く神として登場したサルタヒコは、伊勢では土地を開き、神を祀る場所へ導く神としても信仰を発展させた。みちひらきの神という性格は、伊勢の信仰の中でも強く受け継がれている。
出典・参考:『日本書紀』、『皇太神宮儀式帳』、猿田彦神社
『古事記』には、天孫降臨を導いた後のサルタヒコについて意外な伝承が記されている。伊勢の阿耶訶《あざか》にいたとき、漁をしていたサルタヒコは比良夫貝《ひらぶがい》に手を挟まれ、そのまま海に沈んでしまった。
海底に沈んだときには底度久御魂《そこどくみたま》、海水に泡粒が立ったときには都夫多都御魂《つぶたつみたま》、泡が弾けたときには阿和佐久御魂《あわさくみたま》と呼ばれた。サルタヒコが水中へ沈んでいく様子に応じて、三つの御魂の名が語られているのである。
天孫を導く巨大で威厳ある神が、貝に手を挟まれて海へ沈むという展開は非常に印象的である。また、この伝承の舞台も伊勢であり、サルタヒコと伊勢の海や漁業との深い結びつきを示している。
その後の『古事記』では、サルタヒコを送り届けたアメノウズメが海の魚たちに天孫へ仕えるかを問い、志摩から献上される海産物に関わる由来へと物語が続いていく。
出典・参考:『古事記』
サルタヒコは天孫降臨で道を先導したことから、後世には道や境界を守る神として広く信仰されるようになった。『日本書紀』の一書では「衢神《ちまたのかみ》」とも記され、道が分かれる場所と深く関わる神として描かれている。
実際の神社信仰では、サルタヒコは道祖神と重なり合って祀られる例が各地にある。道祖神は村境や道の辻などで外から入る災厄を防ぎ、旅人や交通を守る神として信仰されてきた。神奈川県内にも「道祖神社」の祭神として猿田彦神・猿田彦命を祀る神社が存在する。
また、神社ファンでも岐の神など道や境界に関わる神とサルタヒコには信仰上の重なりが見られる。記紀上では別の神であっても、実際の神社では「道を守る」「災いを防ぐ」という共通した神徳から結びついてきた。
サルタヒコが交通安全や方位除け、旅の安全を守る神として全国で祀られている背景には、天孫を導いた神話だけでなく、こうした道祖神・境界神としての信仰の広がりがある。
出典・参考:『日本書紀』、神奈川県神社庁
サルタヒコは、後世になると中国由来の庚申《こうしん》信仰とも深く結びついた。庚申信仰は、庚申の夜に人の体内にいる三尸《さんし》の虫が天帝へ罪を告げに行くという道教の考えをもとに、日本で独自に発展した民間信仰である。
本来、記紀のサルタヒコと庚申信仰は別の系統である。しかし庚申の「申」が猿を意味することや、庚申信仰で猿が重視されたことなどから、神名に「猿」を持つサルタヒコが庚申の神として祀られるようになった。
この結びつきは現在の神社にも残っている。福岡市の猿田彦神社は、街道の出入り口に祀られた道祖神としてのサルタヒコが庚申信仰と結びついたと伝え、現在も年6回ほどの庚申の日に庚申祭を行っている。京都の猿田彦神社も京洛三庚申の一社として知られる。
神社ファンでも庚申神とサルタヒコは同一視される神として整理している。記紀神話の道案内の神が、道祖神や民間信仰と重なりながら、災難除けや厄除けの神へと信仰を広げた姿がここに見える。
出典・参考:猿田彦神社(福岡市)、京都市観光協会
伊勢では、サルタヒコは興玉神・興玉大神と重ねて信仰されてきた。現在の二見興玉神社では、主祭神の興玉大神を「別名 猿田彦大神」として祀っている。
同社の伝承では、倭姫命が天照大神を奉じて二見浦へ来た際、興玉大神が海上に現れてその御神幸を守護し、天照大神は五十鈴川上に鎮座したとされる。また、サルタヒコが天孫を導いた後、伊勢の五十鈴川上へ帰ったという『日本書紀』の伝承とも結びつけられている。
神社ファンではサルタヒコと興玉神を別の神様項目として管理しているが、実際の神社信仰では二見興玉神社のように同一神として祀る例がある。文献上の神名を分けて整理することと、現実の祭祀で神々が重なっていることは両立する。
サルタヒコ信仰を理解するには、猿田彦神社や椿大神社だけでなく、伊勢・二見で興玉大神として祀られてきた姿も重要である。道を開き、人や神を導くという神格が、伊勢の土地と結びつきながら独自の信仰を形成している。
出典・参考:『日本書紀』、二見興玉神社
サルタヒコは、道祖神や塞の神と信仰が重なる中で、地域によっては金精神《こんせいしん》とも結びついて祀られてきた。金精神は男根をかたどった石や神体などを祀り、子宝、安産、縁結び、豊穣などを願う民間信仰の神である。
もともとサルタヒコと金精神は同じ神として記紀に登場するわけではない。しかし、サルタヒコが道や境界を守る神として道祖神・岐の神などと重ねられ、道祖神にも性や生殖、縁結びに関わる信仰が取り込まれたことから、金精神との境界も地域の信仰の中で重なっていった。
その実例が岩手県盛岡市の巻堀神社である。同社は猿田彦命などを祭神としながら「金精さま」と呼ばれ、縁結びや安産の神として信仰されてきた。18世紀の記録にも金勢大明神として登場し、男根や女陰をかたどった石を神体とする信仰が伝えられている。
記紀のサルタヒコだけを見れば、金精神との関係は出てこない。しかし実際の神社では、道祖神や境界神としての信仰を介しながら、子孫繁栄や豊穣を願う金精神とも重なっている。サルタヒコの神格が地域の民間信仰の中で広がっていった姿を示す一例である。
出典・参考:『日本歴史地名大系』「巻堀神社」、『世界大百科事典』「道祖神」
出典文献
古事記
日本書紀
古語拾遺
伊賀国風土記 逸文
神格
ご神徳
別称・異称
さるたびこのかみ
古事記
猿田毘古之男神さるたびこのおのかみ
古事記
猿田毘古大神さるたびこのおおかみ
古事記
猿田彦大神さるたひこのおおかみ
日本書紀/古語拾遺
猿田彦神さるたびこのかみ
日本書紀/伊賀国風土記 逸文
衢神ちまたのかみ
日本書紀
狭田彦之大神さだひこのおおかみ
その他
猿田日子神さるたひこのかみ
その他
猿田比古乃神さるたひこのかみ
その他
申田彦大神さるたひこのおおかみ
その他
祀られている主な神社
伏見稲荷大社
(京都府伏見区深草藪之内町68)
椿大神社
(三重県鈴鹿市山本町1871)
二見興玉神社
(三重県伊勢市二見町江575)
祐徳稲荷神社
(佐賀県鹿島市古枝乙1855)
高麗神社
(埼玉県日高市新堀833)





