神功皇后(息長帯比売命) 神社の神様 - 神社ファン

神功皇后(息長帯比売命)

じんぐうこうごう(おきながたらしひめ)

  • 神話・伝説
  • 女神・女性
息長帯比売命/神功皇后

国立公文書館(大日本国開闢由来記 CC0)

息長帯比売命/神功皇后

月岡芳年

祭神ランキング11位

神功皇后(息長帯比売命)とは?

息長帯比売命は記紀神話などに登場する女性である。漢風諡号は神功皇后で、第14代仲哀天皇の皇后とされている。古事記では息長帯日売命、大帯比売命などと表記し、日本書紀では気長足姫尊と記す。父は開化天皇の玄孫とされる息長宿禰王、母は葛城高額媛である。古事記では品夜和気命と品陀和気命の母とされ、日本書紀では誉田天皇を産んだと伝える。
仲哀天皇の皇后となった後、天皇の熊襲征討に同行し、筑紫の橿日宮で神託を受けた。記紀では、海の向こうに豊かな国があり、その国を得るよう神が告げたものの、仲哀天皇は神託を信じず、その後亡くなったと伝える。神功皇后は神託を下した神々を確認し、神意に従って軍を進めた。
その後のいわゆる「三韓征伐」について、記紀は神功皇后が新羅へ渡り、新羅が服属したことや高句麗・百済にも威勢が及んだことを伝えている。ただし、これは記紀に記された古代の伝承であり、そのまま歴史的事実として扱うのではなく、神功皇后をめぐる伝承として見る必要がある。
また、神功皇后は遠征中に出産を遅らせ、帰国後に誉田別尊を産んだと伝えられる。このことから安産や子育ての神として信仰されるようになった。さらに武人からは戦勝の神として崇敬され、誉田別尊とともに八幡信仰に取り込まれ、八幡三神の一柱として祀られる神社も多い。住吉三神との関係も深く、住吉大社をはじめ住吉信仰の神社でも祀られている。
これらのことから、息長帯比売命のご利益は安産守護、子育て、勝運、学業成就、厄除け、病魔退散、開運招福などとされる。
息長帯比売命を祀る代表的な神社には、宮地嶽神社(福岡県福津市)、住吉大社(大阪府大阪市)、香椎宮(福岡県福岡市)などがあり、このほか全国各地の八幡宮などでも広く祀られている。

エピソード

神託を受けた皇后
神功皇后は、『古事記』『日本書紀』で神の言葉を受ける女性として重要な役割を担う。夫の仲哀天皇が筑紫で熊襲征討を進めていた際、皇后に神がかりして、西方に豊かな国があり、その国を服属させるよう神託が下った。
『古事記』では仲哀天皇がその言葉を疑い、高い所から西を見ても国は見えず海しかないとして神託を退ける。すると神は、この国は天皇が治める国ではなく、皇后が身ごもっている御子が治めるべき国であると告げた。その後、仲哀天皇は崩御する。
皇后は武内宿禰に命じて改めて神意を問い、神託を下した神々を確認した。『古事記』では天照大神の御心や墨江大神、すなわち住吉三神などが関わる形で語られる。
この神託を境に、神功皇后は天皇に従う皇后から、自ら祭祀を行い、軍を率いる物語の中心人物へと変わっていく。神功皇后を理解するうえで、武勇だけでなく神意を受ける祭祀者としての性格も重要である。

出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、國學院大學 古典文化学事業



身重のまま海を渡る
仲哀天皇の崩御後、神功皇后は神託に従って海を渡る準備を進める。『古事記』『日本書紀』では、この時すでに後の応神天皇を身ごもっていたとされる。
皇后は神々を祀り、軍勢を整えて新羅へ向かった。記紀では風や波、魚なども皇后の船団を助け、新羅が戦わずして服属したとする超自然的な描写を交えて語られている。さらに『日本書紀』では高句麗・百済も朝貢したとされ、後世この物語は「三韓征伐」「三韓征伐伝説」などと呼ばれるようになった。
ただし、これは『古事記』『日本書紀』に記された伝承であり、記述をそのまま歴史上の出来事として扱うことはできない。神功皇后の新羅征討伝承については、その成立背景や古代の対外関係との関係を含め、さまざまな研究が行われている。
神話・伝承の中の神功皇后は、神意を受け、身重の身体で海を越えて軍を率いた女性として描かれた。この強烈な人物像が、後世に戦勝や武運の神として信仰される大きな背景となった。

出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、國學院大學 古典文化学事業、兵庫大学



石を帯びて出産を待つ
神功皇后の伝承で特に知られるのが、出産を遅らせるため石を身につけたという物語である。『古事記』では、新羅へ向かう時に出産の時期が迫っていた皇后が、御腹に石をつけ、帰国してから御子を生むよう祈ったとされる。
『日本書紀』にも同様の伝承があり、皇后は腰に石を挟んで出産を延ばしたと語られる。帰国後、筑紫で生まれた御子が後の応神天皇である。
この故事は各地の神功皇后伝承と結びつき、出産を待たせた石は「鎮懐石《ちんかいせき》」などと呼ばれて信仰の対象となった。また香椎宮では、皇后が石を帯の中に巻きつけて渡海し、帰還後に無事出産したとの伝承を、安産の腹帯である岩田帯の由来として伝えている。
神功皇后が安産・子育ての神として信仰される背景には、単に応神天皇の母だからというだけでなく、身重で遠征を行いながら無事に御子を産んだという、この特異な出産伝承がある。

出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、香椎宮



応神天皇の誕生と皇位
新羅から帰還した神功皇后は、筑紫で御子を出産した。『古事記』では品陀和気命、『日本書紀』では誉田別尊と記され、後の第15代応神天皇である。
しかし、御子の地位がそのまま安泰だったわけではない。大和へ戻ろうとする皇后と御子に対し、仲哀天皇の別の皇子である香坂王と忍熊皇子が兵を起こした。『古事記』では香坂王は戦いの前の狩りで猪に襲われて死亡し、忍熊王は皇后側の軍と戦って敗れた。
皇后側では武内宿禰らが御子を守り、反乱を鎮めた後、御子は皇太子となった。『日本書紀』では神功皇后が長期間にわたって政務を執ったとされ、その死後に誉田別尊が即位して応神天皇となる。
神功皇后の物語は、遠征と出産だけでは終わらない。応神天皇を守り、その皇位継承へ道を開く母としての役割まで含めて描かれており、この母子関係は後の八幡信仰にも大きく関わっていく。

出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、國學院大學 古典文化学事業



住吉大神を祀った皇后
神功皇后と住吉三神の関係は、記紀神話の中でも特に深い。『古事記』では仲哀天皇の崩御後に神意を問うと、底筒男・中筒男・上筒男の三神が神託を下した神々として名を現し、皇后の新羅遠征を導く。
『日本書紀』では、皇后は三神の荒魂を軍の先鋒、和魂を船の守護として祀り、海を渡ったとされる。帰還後には神託に従って住吉大神を鎮祭したと伝えられ、この伝承が住吉大社の由緒と結びついている。
住吉大社では第一本宮から第三本宮に住吉三神を祀り、第四本宮に神功皇后を祀る。神功皇后は後世、住吉大神とともに「住吉四社大明神」として称えられるようになった。
そのため神功皇后は、住吉大神そのものと単純に同一の神なのではなく、住吉大神の神託を受け、その加護によって遠征し、帰還後に鎮祭した皇后として住吉信仰に組み込まれた存在と考えると分かりやすい。

出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、住吉大社、國學院大學 古典文化学事業



なぜ八幡神とともに祀られる?
神功皇后は全国の八幡宮・八幡神社で、応神天皇や比売大神とともに祀られることが多い。しかし、『古事記』『日本書紀』の神功皇后が最初から八幡神の一柱として登場するわけではない。
八幡信仰は宇佐を中心に形成され、後世に応神天皇と八幡神が同一視されるようになった。その信仰が展開する中で、応神天皇の母である神功皇后も八幡神を構成する重要な祭神として組み込まれていった。
石清水八幡宮では、応神天皇、比咩大神、神功皇后を祀り、三座を総称して八幡大神としている。こうした祭神構成は各地の八幡宮にも広がり、神功皇后は八幡神の信仰圏の中で全国的に祀られるようになった。
神功皇后が八幡系神社に多い理由は、単に戦勝の人物だからではない。応神天皇の母という記紀の系譜と、後世に成立・展開した八幡信仰が結びついた結果である。神功皇后の全国的な祭祀を理解するうえで、この区別は重要である。

出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、石清水八幡宮、國學院大學 研究開発推進機構



なぜ安産の神になった?
神功皇后は戦勝の神として知られる一方、安産・子育ての神としても広く信仰されている。この二つの神格は、一見すると大きく異なるが、どちらも記紀に描かれた同じ物語から生まれている。
神功皇后は後の応神天皇を身ごもった状態で海を渡り、帰還するまで出産を待たせたと伝えられる。そして筑紫へ戻った後、無事に御子を出産した。この故事から、身重の母と胎児を守り、無事な出産へ導く存在として信仰されるようになった。
住吉大社では、第四本宮の神功皇后が身ごもったまま出陣し、住吉大神の神徳によって無事帰還して応神天皇を生んだ故事を安産信仰の由来としている。香椎宮でも、皇后の伝承にちなむ「聖母神功帯」と呼ばれる腹帯が授与されている。
武勇の皇后であると同時に、困難の中で御子を守り抜いた母でもある。この二面性が、神功皇后を戦勝・開運だけでなく、安産や子育てを守る神として広く信仰させることになった。

出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、住吉大社、香椎宮



神功皇后は天皇だった?
「神功皇后」という名から天皇と同じような立場を想像しやすいが、現在の歴代天皇には数えられていない。神功皇后は第14代仲哀天皇の皇后であり、第15代応神天皇の母とされる人物である。
一方、『日本書紀』では仲哀天皇の崩御後、神功皇后を主人公とする「神功皇后紀」が独立した一巻として設けられ、皇后が摂政として政務を執った期間が記されている。天皇ではない女性にこれほど大きな位置が与えられていること自体が、『日本書紀』における神功皇后の特別な存在感を示している。
また『常陸国風土記』などには「息長帯比売天皇」といった表記も見られ、古代文献の中でも神功皇后の呼称は一様ではない。
したがって、神功皇后を「女性天皇」と単純に説明するのは適切ではない。仲哀天皇の皇后であり、応神天皇の母でありながら、記紀では神託を受けて軍事と政治の中心に立つ特別な女性として描かれ、その存在が後世に神格化されていったと捉えるのが分かりやすい。

出典・参考:『日本書紀』、『常陸国風土記』、國學院大學 古典文化学事業



スポンサーリンク

出典文献

古事記

日本書紀

先代旧事本紀

新撰姓氏録

続日本記

続日本後紀

播磨国風土記

常陸国風土記

肥前国風土記

摂津国風土記

神格

安産・育児の神

ご神徳

安産守護 子育て 学業成就 厄除け 病魔退散 開運招福

別称・異称

息長帯比売命

おきながたらしひめのみこと

古事記/播磨国風土記

息長帯日売命

おきながたらしひめのみこと

古事記

気長足姫尊

おきながたらしひめのみこと

日本書紀/先代旧事本紀/肥前国風土記

神功皇后

じんぐうこうごう

日本書紀/先代旧事本紀/続日本紀/日本後紀/続日本後紀

気長足姫命

おきながたらしひめのみこと

先代旧事本紀

気長足姫皇尊

おきながたらしひめのすめらみこと

新撰姓氏録

気長足比売

おきながたらしひめ

新撰姓氏録

息長帯日女命

おきながたらしひめのみこと

播磨国風土記

息長帯比売天皇

おきながたらしひめのすめらみこと

常陸国風土記

息長足日売皇后

おきながたらしひめのおおきさき

常陸国風土記

息長足比売天皇

おきながたらしひめのすめらみこと

摂津国風土記 逸文

気長足媛皇太后

おきながたらしひめのおおきさき

続日本紀

大足姫命

おおたらしひめのみこと

続日本後紀

大帯姫命

おおたらしひめのみこと

その他

大帯比売命

おおたらしひめのみこと

その他

奥長帯比売命

おきながらたらしひめのみこと

その他

御気長帯日売命

おきながたらしひめのみこと

その他

息気長足姫命

おきながたらしひめのみこと

その他

息長垂姫命

おきながたらしひめのみこと

その他

息長帯姫命

おきながたらしひめのみこと

その他

息長帯毘売命

おきながたらしひめのみこと

その他

息長足姫命

おきながたらしひめのみこと

その他

息長足媛命

おきながたらしひめのみこと

その他

息長足比売命

おきながたらしひめのみこと

その他

息長足比女命

おきながたらしひめのみこと

その他

息長足毘売命

おきながたらしびめのみこと

その他

気長垂姫命

おきながたらしひめのみこと

その他

気長帯姫命

おきながらたらしひめのみこと

その他

気長帯媛尊

おきながたらしひめのみこと

その他

気長足姫之命

おきながたらしひめのみこと

その他

気長足姫皇后

おきながたらしひめのおおきさき

その他

祀られている主な神社

鶴岡八幡宮
(神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31)
住吉大社
(大阪府住吉区住吉2-9-89)
大宮八幡宮
(東京都杉並区大宮2-3-1)
穴八幡宮
(東京都新宿区西早稲田2-1-11)
氣比神宮
(福井県敦賀市曙町11-68)