有名度
前頭木本八幡宮
きもとはちまんぐう
和歌山県和歌山市西庄1番地
和歌山県和歌山市西庄1番地

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
木本八幡宮には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利 国家隆昌 生命力向上 五穀豊穣
御祭神
庁
主祭神
誉田別尊(応神天皇) ほんだわけのみこと(おうじんてんのう)
主祭神
息長帯姫尊(神功皇后) おきながたらしひめのみこと(じんぐうこうごう)
主祭神
日霊大神(天照大御神) ひるめのおおかみ(あまてらすおおみかみ)
配祀神
仁徳天皇 にんとくてんのう
配祀神
高良玉垂命 こうらたまたれのみこと
配祀神
金山毘古命 かなやまびこのみこと
配祀神
八衢比古命 やちまたひこのみこと
配祀神
八衢比売命 やちまたひめのみこと
配祀神
大山咋神 おおやまくいのかみ
配祀神
大国主神 おおくにぬしのかみ
配祀神
底筒之男命 そこつつのおのみこと
配祀神
中筒之男命 なかつつのおのみこと
配祀神
上筒之男命 うわつつのおのみこと
配祀神
菅原道眞公 すがわらみちざねこう
配祀神
蛭子神 ひるこのかみ
配祀神
事代主神 ことしろぬしのかみ
配祀神
建御名方神 たけみなかたのかみ
配祀神
神馬 じんめ
配祀神
天之水分神 あめのみくまりのかみ
配祀神
国之水分神 くにのみくまりのかみ
配祀神
大綿津見神 おおわたつみのかみ
配祀神
大年神 おおとしのかみ
配祀神
市杵島姫命 いちきしまひめのみこと
配祀神
倉稲魂神 うかのみたまのかみ
配祀神
建内宿禰大臣 たけのうちのすくね
神社系統
他に 「高良系」
「金山系」
「塞三柱神系」
「日吉・山王系」
「出雲・オオナムチ系」
「住吉系」
「天満・天神系」
「えびす系」
「諏訪系」
「不明(2柱)」
「水分系」
「ワタツミ系」
「年神系」
「宗像・厳島系」
「稲荷系」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
木本八幡宮は和歌山県和歌山市に鎮座する神社。御祭神は誉田別尊(応神天皇)、息長帯姫尊(神功皇后)、日霊大神(天照大御神)、仁徳天皇、高良玉垂命、金山毘古命、八衢比古命、八衢比売命、大山咋神、大国主神、底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命、菅原道眞公、蛭子神、事代主神、建御名方神、神馬、天之水分神、国之水分神、大綿津見神、大年神、市杵島姫命、倉稲魂神、建内宿禰大臣の26柱をまつる。
社格は旧県社。
社伝では、天道根命が日像鏡を厳橿山の橿の木の根元に祀ったことが木本宮の起源とされる。『紀伊續風土記』には、天道根命が大神宮を奉じて淡路国御原山から賀太を経て木ノ本に至り、一定期間斎き祀った後、毛見郷へ遷したことが記される。木本宮の祭神は、現在の木本八幡宮の祭神と同じ日霊大神であった。
その後、神功皇后が三韓遠征からの帰途、誉田別命と武内宿禰を伴って当地付近に上陸し、頓宮を営んだと伝えられる。欽明天皇23年(562年)には、その頓宮跡にちなみ芝原八幡宮が創建されたとされる。
中世には木本宮と芝原八幡宮が並び立ち、木本庄の人々から田畑の寄進を受けた。木本八幡宮文書には、永和3年(1377年)から大永5年(1525年)にかけて、八幡宮へ寄進された田畑の寄進状が残されている。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉の紀州攻めにより、木本宮と芝原八幡宮は本殿や社殿、古文書を焼失した。元和4年(1618年)、厳橿山に社殿が再建され、両社は合祀されて木本八幡宮と称されるようになった。
現在の本殿は元和4年(1618年)再建のもので、三間社流造、檜皮葺の建物である。蟇股や脇障子の彫刻には元和5年(1619年)の墨書が残る。この本殿は木ノ本八幡神社本殿として、昭和49年(1974年)12月9日に和歌山県指定有形文化財に指定されている。
例祭は10月14日以後の最初の日曜日に行われる。前日の宵宮では本殿から山麓の権殿へ神霊を遷し、翌日に例祭、獅子舞の奉納、神輿渡御が行われる。1月7日には御田祭が行われ、木ノ本の獅子舞は県指定無形民俗文化財となっている。
社格は旧県社。
社伝では、天道根命が日像鏡を厳橿山の橿の木の根元に祀ったことが木本宮の起源とされる。『紀伊續風土記』には、天道根命が大神宮を奉じて淡路国御原山から賀太を経て木ノ本に至り、一定期間斎き祀った後、毛見郷へ遷したことが記される。木本宮の祭神は、現在の木本八幡宮の祭神と同じ日霊大神であった。
その後、神功皇后が三韓遠征からの帰途、誉田別命と武内宿禰を伴って当地付近に上陸し、頓宮を営んだと伝えられる。欽明天皇23年(562年)には、その頓宮跡にちなみ芝原八幡宮が創建されたとされる。
中世には木本宮と芝原八幡宮が並び立ち、木本庄の人々から田畑の寄進を受けた。木本八幡宮文書には、永和3年(1377年)から大永5年(1525年)にかけて、八幡宮へ寄進された田畑の寄進状が残されている。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉の紀州攻めにより、木本宮と芝原八幡宮は本殿や社殿、古文書を焼失した。元和4年(1618年)、厳橿山に社殿が再建され、両社は合祀されて木本八幡宮と称されるようになった。
現在の本殿は元和4年(1618年)再建のもので、三間社流造、檜皮葺の建物である。蟇股や脇障子の彫刻には元和5年(1619年)の墨書が残る。この本殿は木ノ本八幡神社本殿として、昭和49年(1974年)12月9日に和歌山県指定有形文化財に指定されている。
例祭は10月14日以後の最初の日曜日に行われる。前日の宵宮では本殿から山麓の権殿へ神霊を遷し、翌日に例祭、獅子舞の奉納、神輿渡御が行われる。1月7日には御田祭が行われ、木ノ本の獅子舞は県指定無形民俗文化財となっている。
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神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
情報募集
文化財
情報募集
建築
本殿 三間社流造檜皮葺
神紋
情報募集
出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9C%AC%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
和歌山県神社庁
https://wakayama-jinjacho.or.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9C%AC%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
和歌山県神社庁
https://wakayama-jinjacho.or.jp/
