仁徳天皇(オオサザキ)
にんとくてんのう(おおさざき)
- 神話・伝説
- 男神・男性

楊洲周延(本朝拝神貴皇鏡)

玉蘭斎貞秀(神佛図會)
祭神ランキング32位
仁徳天皇(オオサザキ)とは?
仁徳天皇は記紀に登場する第16代天皇。オオサザキ、大雀命、大鷦鷯尊などとも呼ばれる。応神天皇の皇子で、母は五百城入彦皇子の孫・仲姫命。応神天皇の崩御後は菟道稚郎子と互いに皇位を譲り合い、長期間にわたって皇位が空席となったという。『日本書紀』では、菟道稚郎子が自ら命を絶ったことで仁徳天皇が即位したと伝えられている。
即位後は都を難波高津宮へ移した。宮殿から里を眺め、民家のかまどから煙が立っていないことに気付くと、民の困窮を察して三年間課役を免除した。課役を免除している間は宮殿の屋根も直さず、民と苦しみを分かち合おうとしたといわれる。その後、民の生活が豊かになったことを喜んだという逸話から、慈愛深い聖帝として広く知られている。「高き屋にのぼりて見れば煙立つ 民のかまどはにぎはひにけり」という歌も仁徳天皇の御製として伝わるが、『古事記』『日本書紀』には見えず、後世に広まった伝承である。
仁徳天皇を主祭神として祀る代表的な神社には、難波高津宮の旧跡を探索して創建されたと伝わる大阪市の高津宮や難波神社がある。また、宇治上神社では父の応神天皇、異母弟の菟道稚郎子命とともに祀られている。応神天皇の皇子であることから、八幡信仰では若宮神としても仰がれ、名古屋市の若宮八幡社をはじめ、全国の若宮八幡宮や若宮八幡神社で主祭神または主要な祭神として祀られている。
エピソード
仁徳天皇は、民の暮らしを思いやった「聖帝」として語り継がれている。『日本書紀』によれば、天皇が高殿に上って国の様子を眺めたところ、民家のかまどから炊事の煙がほとんど立っていなかった。これを見た天皇は、民が貧しく食事も満足に作れないのだと考え、三年間にわたって課役を免除したという。
税収が途絶えたため、宮殿の屋根は傷み、雨漏りがしても修理できなかった。それでも天皇は宮殿を直さず、民の生活が立ち直るのを待った。三年後、高殿から国を眺めると、今度は家々から盛んに煙が上がっていた。皇后は宮殿が荒れていることを嘆いたが、天皇は「民が富むことこそ、自分が富むことである」と喜んだとされる。
この説話をもとに、仁徳天皇が「高き屋にのぼりて見れば煙立つ 民のかまどはにぎはひにけり」と詠んだという伝承も広まった。ただし、この歌そのものは『古事記』『日本書紀』には見えず、後世に仁徳天皇の徳を象徴する歌として定着したものである。
出典・参考:日本書紀、高津宮公式サイト
応神天皇は、学問に優れた皇子・菟道稚郎子を皇太子に定め、その兄である大鷦鷯尊には国政を補佐させた。ところが応神天皇が崩御すると、菟道稚郎子は兄こそ天皇にふさわしいと考え、皇位を譲ろうとした。一方の大鷦鷯尊も、父帝が定めた皇太子を差し置いて即位することはできないとして辞退した。
二人が互いに譲り合ったため、皇位は長期間にわたって空位となったという。『日本書紀』では、事態を収めるために菟道稚郎子が自ら命を絶ち、大鷦鷯尊が深く悲しみながら仁徳天皇として即位したと記されている。『古事記』にも皇位を譲り合った話があるが、経緯の細部には違いがある。
この物語は単なる後継者争いではなく、兄弟が自らの利益より父の遺志や相手への敬意を優先した物語となっている。京都府宇治市の宇治上神社では菟道稚郎子命とともに、父の応神天皇、兄の仁徳天皇が祀られている。
出典・参考:古事記、日本書紀、宇治上神社公式サイト
仁徳天皇の時代には、河川の氾濫を防ぎ、農地を広げるための大規模な土木事業が行われたと伝えられている。なかでも有名なのが、淀川沿岸に築かれた茨田堤である。当時の河内平野には低湿地が広がり、洪水がたびたび人々の暮らしを脅かしていた。堤防の建設は、土地を水害から守り、安定した稲作を可能にする重要な事業だった。
『日本書紀』には、茨田堤のほかにも栗隈の大溝を掘り、和珥池を築き、横野堤を造ったことなどが記されている。これらの伝承からは、仁徳天皇が民の負担を軽くしただけでなく、生活を長期的に支える水利施設の整備にも力を注いだ理想的な統治者として描かれていることが分かる。
ただし、記紀に記された個々の工事を、現在残る遺構や特定の年代とそのまま結び付けることは難しい。それでも茨田堤の伝承は、大阪平野の発展と治水の歴史を象徴するものとして、現在まで語り継がれている。
出典・参考:日本書紀、大阪府史跡資料
大阪府堺市にある大仙陵古墳は、墳丘長約486メートルに及ぶ巨大な前方後円墳である。宮内庁はこの古墳を仁徳天皇の陵墓「百舌鳥耳原中陵」として管理しており、一般には仁徳天皇陵古墳の名で知られている。三重の濠に囲まれた壮大な姿は、古墳時代の王権が持っていた大きな力を現在に伝えている。
大仙陵古墳は百舌鳥古墳群の中心的な古墳で、周辺には陪塚と考えられる古墳も数多く築かれた。2019年には「百舌鳥・古市古墳群―古代日本の墳墓群―」の構成資産として世界文化遺産に登録されている。
一方、陵墓であるため墳丘内部の本格的な発掘調査には制約があり、被葬者を考古学的に仁徳天皇と確定できているわけではない。そのため、祭祀上は仁徳天皇陵、考古学上は大仙陵古墳として扱い、両者を区別して説明する必要がある。
出典・参考:宮内庁、堺市、百舌鳥・古市古墳群世界遺産保存活用会議
出典文献
古事記
日本書紀
先代旧事本紀
新撰姓氏録
日本後紀
播磨国風土記
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
おおさざきのみこと
古事記
大雀天皇おおさざきのすめらみこと
古事記/播磨国風土記
大鷦鷯尊おおさざきのみこと
日本書紀/先代旧事本紀/新撰姓氏録/日本後紀
仁徳天皇にんとくてんのう
日本書紀/先代旧事本紀/新撰姓氏録/続日本紀/日本後紀
大鷦鷯天皇おおさざきのすめらみこと
日本書紀/先代旧事本紀/新撰姓氏録
大鷦鷯帝おおさざきのみかど
日本書紀
大鷦鷯皇子おおさざきのみこ
日本書紀/先代旧事本紀
祀られている主な神社
宇治上神社
(京都府宇治市宇治山田59)
難波神社
(大阪府中央区博労町4-1-3)
若宮八幡社
(愛知県中区栄3丁目35−30)
高津宮
(大阪府中央区高津1-1-29)
氷室神社
(奈良県奈良市春日野町1-4)
