大山咋神 神社の神様 - 神社ファン

大山咋神

おおやまくいのかみ

  • 神話・伝説
  • 男神・男性
大山咋神

玉蘭斎貞秀(神佛図會)

大山咋神

祭神ランキング19位

大山咋神とは?

大山咋神は古事記などに登場する男神。大年神とアメチカルミズヒメの御子神とされ、素戔嗚命の孫神となる。また、稲荷神である宇迦之御魂神は叔母にあたる。大山は大きな山を表し、咋は杭と同義となり、大山咋神は大きな山に杭を打つ神様という意味として捉えられる。また、山末之大主神という別名でも呼ばれ、末の文字は先端を意味し、山の頂上に住まう神様ともいえる。
古事記には、「大山咋神、亦名は山末之大主神、此の神は近淡海の日枝山に坐す。亦、葛野の松尾に坐す鳴鏑に成りませる神なり」と記されている。日枝山とは現在の比叡山を指し、大山咋神は古くから比叡山の地主神として祀られてきた。平安時代に最澄が比叡山に延暦寺を開くと、天台宗と日吉の神々との結びつきが深まり、やがて山王信仰が形成された。大山咋神も山王権現として信仰され、神仏習合を代表する神の一柱となった。
一方、松尾では渡来氏族である秦氏の氏神として敬われた。松尾大社では大山咋神と市杵島姫命を主祭神として祀り、特に酒造・醸造の神として厚く信仰されている。また、『古事記』では大山咋神が葛野の松尾に坐す鳴鏑の神であることが記され、『山城国風土記』逸文では丹塗矢となった神と賀茂玉依姫との間に賀茂別雷神が生まれたと伝えられる。これらの伝承から、大山咋神は賀茂別雷神の父神ともされる。
大山咋神は山王信仰を通じて全国各地の日吉神社・日枝神社・山王神社などで祀られている。大地を支配し万物の成長発展を司る神として、産業振興、家系繁栄、開運厄除などのご利益があるとされる。一方、松尾大社では「松尾さま」として酒造・醸造に携わる人々から厚く信仰されている。
大山咋神を祀る代表的な神社には、日吉大社(滋賀県大津市)、松尾大社(京都府京都市)、日枝神社(東京都千代田区)などがある。このほか全国各地の日枝神社や山王神社などで広く祀られている。

エピソード

大年神から生まれた山の神
大山咋神は『古事記』の大年神の系譜に登場する。大年神が天知迦流美豆比売との間にもうけた神々の一柱で、スサノオの孫にあたる。兄弟には竈、屋敷、庭、土地など人々の生活や農耕に関わる神々が並んでいる。
『古事記』は大山咋神について、またの名を山末之大主神《やますえのおおぬしのかみ》とし、近江国(滋賀県)の日枝山と、山城国(京都府)の葛野の松尾に鎮まる神であると記している。
神名の「咋」については、山に杭を打って境界を定めることに由来するとみる説や、「主」に通じて山の主を表すとする説などがある。山末之大主神の「山末」についても山頂・山の上部・山裾など解釈が分かれており、一つに決めることは難しい。
ただし、実際の信仰では大山咋神は比叡山や松尾山の地主神、山とその麓の土地を守る神として祀られてきた。山の神から土地、水、農業、産業を守る神へと神徳が広がったことが、現在の大山咋神信仰につながっている。

出典・参考:『古事記』、日吉大社、松尾大社



比叡山に鎮まる地主神
『古事記』には、大山咋神が近江国(滋賀県)の「日枝山」に鎮まると記されている。日枝山は現在の比叡山で、その東麓に鎮座する日吉大社では、大山咋神を東本宮の祭神として祀っている。
日吉大社では、大山咋神はもともと比叡山の地主神として祀られてきた神とされる。後に大和国(奈良県)の三輪山から大国主と同神とされる大己貴神が勧請され、西本宮に祀られたため、現在の日吉大社では大山咋神と大己貴神が信仰の中心となっている。
さらに最澄が比叡山に延暦寺を開くと、日吉の神々は天台宗を守護する神としても信仰されるようになった。山そのものの地主神であった大山咋神が、仏教と結びつきながら比叡山全体を守る神へと位置づけを広げていったのである。
現在の日吉大社は全国の日吉・日枝・山王神社の総本宮とされる。全国各地の日吉神社や日枝神社で大山咋神が数多く祀られている背景には、この比叡山と日吉大社を中心とした信仰の広がりがある。

出典・参考:『古事記』、日吉大社



松尾に鎮まる鳴鏑の神
『古事記』は大山咋神について、近江国の日枝山だけでなく、山城国(京都府)の葛野の松尾にも鎮まり、「鳴鏑《なりかぶら》を用いる神」と記している。現在の松尾大社につながる重要な記述である。
鳴鏑とは、飛ぶと音を発する鏑矢である。この記述をめぐっては、鳴鏑を用いる神とする解釈のほか、鳴鏑そのものを神体とみる説、後世の丹塗矢《にぬりや》伝承と結びつける説などがある。
『山城国風土記』逸文には、賀茂玉依姫が川を流れてきた丹塗矢を持ち帰ったところ懐妊し、賀茂別雷命を生んだという伝承がある。この丹塗矢の神を大山咋神と結びつける伝承も後世に広がり、松尾・賀茂・日吉の神々の関係を説明する重要な物語となった。
『古事記』の短い「鳴鏑」の記述は、後世の信仰では矢に姿を変える神という豊かな伝承へと展開した。大山咋神は山の地主神であるだけでなく、水や雷、縁結び、子授けなどとも結びつく神として信仰されるようになった。

出典・参考:『古事記』、『山城国風土記』逸文、松尾大社



鴨玉依姫と賀茂別雷神
大山咋神は、後世の伝承や神社祭祀ではカモタマヨリヒメの夫、賀茂別雷命の父神としても語られている。
その背景にあるのが、賀茂玉依姫が川を流れてきた丹塗矢によって懐妊し、賀茂別雷神を生んだという『山城国風土記』逸文の伝承である。この丹塗矢の正体については火雷神とする伝承がある一方、松尾の大山咋神と結びつける説や伝承も成立した。
この関係は文献上の説だけにとどまらない。日吉大社の山王祭では、現在も東本宮の大山咋神と鴨玉依姫神の結婚を表す「午の神事」が行われ、続く神事では二神の御子神誕生が表現される。実際の祭祀の中で、大山咋神と鴨玉依姫神は夫婦神として扱われているのである。
大山咋神と賀茂別雷神の関係には複数の伝承や解釈があるため、一つの系譜だけを絶対視することはできない。しかし、松尾・日吉・賀茂という京都と近江の有力な信仰が、丹塗矢の伝承を介して重なってきたことは、大山咋神を理解するうえで重要である。

出典・参考:『山城国風土記』逸文、日吉大社



秦氏の氏神となった松尾大神
京都の松尾大社では、大山咋神は古くから松尾山の神として祀られてきた。松尾大社によれば、社殿が建てられる以前から地域の人々が松尾山の磐座《いわくら》に山の神を祀っており、5世紀頃に葛野へ移住した秦氏がこの神を一族の総氏神として仰いだと伝えられている。
秦氏は桂川流域で堰や用水路を整え、荒野を農耕地へ変えるなど、この地域の開発に大きく関わったとされる。松尾大社には、大山咋神が保津峡を開いて丹波の水を流し、山城と丹波の土地を開いたという伝承も残る。
大宝元年(701)には秦忌寸都理《はたのいみきとり》が松尾山麓の現在地に社殿を造営し、山上の磐座で祀られていた神霊を遷したと伝えられる。山の神としての大山咋神が、秦氏による土地開発と結びつき、農業や産業の発展を守る神として信仰されていった。
大山咋神を単に「山の神」とするだけでは、松尾での信仰は捉えきれない。実際の信仰では、土地を開き、水を治め、人々の産業を発展させる神としても大きな役割を与えられてきた。

出典・参考:松尾大社



なぜ酒造の神になった?
大山咋神を主祭神とする松尾大社は、現在「日本第一酒造神」として全国の酒造・醸造関係者から厚い信仰を集めている。しかし、『古事記』の大山咋神に酒を造ったという神話が記されているわけではない。
酒造神としての信仰には、松尾大社を氏神とした秦氏との関係が大きい。松尾大社では、秦氏は酒造を得意とした一族であったと伝え、農業やさまざまな産業の発展とともに酒造も盛んになったとしている。こうした歴史を背景に、室町時代末期以降、松尾大社は酒造の守護神として広く崇敬されるようになった。
現在も境内には全国の酒造会社から奉納された酒樽が並び、酒造業者の信仰が目に見える形で続いている。また、境内の「亀の井」の水は酒造との深い関わりを持つ霊泉として大切にされている。
大山咋神の酒造神としての神格は、記紀神話だけから生まれたものではない。松尾の土地、秦氏の産業、酒造家たちの信仰が長い年月をかけて重なり、現在の「松尾さま」という姿を形づくったのである。

出典・参考:松尾大社



山王権現となった大山咋神
比叡山に延暦寺が開かれると、日吉の神々は天台宗の守護神として信仰され、やがて山王権現と呼ばれる神仏習合の信仰が発達した。大山咋神もその中心を担う神の一柱となった。
日吉大社では大山咋神を祀る東本宮を中心に、大山咋神荒魂を祀る牛尾宮など多くの社があり、これらの神々は山王七社、さらに山王二十一社として体系化された。神仏習合の中ではそれぞれの神に本地仏が定められ、大山咋神には薬師如来が対応するとされた。
この山王信仰は天台宗の広がりとともに全国へ伝わり、各地に日吉神社・日枝神社・山王社が勧請された。こうして比叡山の地主神として祀られていた大山咋神は、神仏習合の中で山王権現としても信仰されるようになった。
大山咋神と山王権現は、もともと同じ由来を持つ神名ではない。大山咋神は『古事記』に登場する神であるのに対し、山王権現は後世の神仏習合によって成立した信仰である。しかし長い歴史の中で両者は重なり、大山咋神は山王権現としても祀られてきた。明治の神仏分離以前の大山咋神を理解するうえで、この山王信仰との関係は欠かせない。

出典・参考:日吉大社



神猿と山王信仰
日吉・山王信仰では、猿が神の使いとして特別な存在となっている。日吉大社では猿を「神猿《まさる》」と呼び、古くから神使として大切にしてきた。
猿が山王信仰の神使となった背景には、比叡山に猿が多く生息していたことなどが考えられている。さらに「まさる」という呼び名は「魔が去る」「勝る」に通じるとされ、厄除けや魔除け、勝運などの信仰とも結びついた。
この信仰は全国の日吉・日枝神社にも広がっている。東京の日枝神社では神猿像が境内に置かれ、山王信仰を象徴する存在となっている。全国の日吉・山王系神社で大山咋神が祀られるだけでなく、猿を神使とする信仰まで受け継がれているのである。
『古事記』には大山咋神と猿の関係は記されていない。比叡山の土地と山王信仰の歴史の中で生まれ、定着した信仰である。大山咋神の現在の姿は、こうした後世の信仰の積み重ねを含めて見ることで初めて全体像が見えてくる。

出典・参考:日吉大社、日枝神社



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出典文献

古事記

先代旧事本紀

神格

比叡山の地主神 諸産業繁盛の神 天台宗の護法神 酒造の神

ご神徳

産業振興 家系繁栄 開運厄除 醸造業守護

別称・異称

大山咋神

おおやまくいのかみ

古事記

山末之大主神

やますえのおおぬしのかみ

古事記

大咋山神

おおくいやまのかみ

先代旧事本紀

大山咋比命

おおやまくいのみこと

その他

関連する神様

山王権現 

祀られている主な神社

日枝神社
(東京都千代田区永田町2-10-5)
根津神社
(東京都文京区根津1-28-9)
日吉大社
(滋賀県大津市坂本5-1-1)
松尾大社
(京都府西京区嵐山宮町3)
石浦神社
(石川県金沢市本多町3丁目1-30)