大国主
おおくにぬし
- 神話・伝説
- 男神・男性

国立公文書館(大日本国開闢由来記 CC0)

玉蘭斎貞秀(神佛図會)
祭神ランキング7位
大国主とは?
大国主は記紀神話などに登場する男神である。大穴牟遅神、八千矛神、葦原色許男神、宇都志国玉神など数多くの名を持ち、後世には七福神の大黒天とも習合した。古事記ではスサノオの六世の孫にあたり、父は天之冬衣神、母は刺国若比売とされる。一方、日本書紀ではスサノオの子とする伝承があるなど、その系譜は記紀で異なる。
古事記では八上比売、スセリビメ、沼河比売など多くの女神との婚姻が語られ、多くの御子神を持つ神として描かれる。大国主は兄神たちから迫害され、何度も命を失いながら復活し、スサノオからさまざまな試練を受けたのち、葦原中国を治める神となった。因幡の白兎を助けた物語も、大国主を代表する神話の一つである。
大国主はスクナビコナとともに国造りを進め、国土を整えた。日本書紀では、二神が人や家畜の病を治す方法や、鳥獣・昆虫の害を防ぐ方法などを定めたと伝える。スクナビコナが常世国へ去った後には、大物主神の助けを受けて国造りを完成させたとされる。
その後、高天原から葦原中国を譲るよう迫られる。大国主はコトシロヌシとタケミナカタの意向を確認したうえで国譲りを受け入れ、自らは幽事《かくりごと》を治める神となった。古事記では、その際に天津神の御子が住む宮殿のように壮大な宮を建てることを求めた。これが出雲大社の創建につながる神話として伝えられているが、神話中の宮を現在の出雲大社そのものと単純に同一視するのではなく、出雲大社の祭祀伝承と結びついたものとして見る必要がある。
後世には大黒天と習合し、福徳や商売繁盛の神としても信仰されるようになった。また、多くの女神との婚姻や人々の縁を司る信仰から、縁結びの神としても広く知られている。これらのことから、大国主のご利益は縁結び、夫婦円満、五穀豊穣、養蚕守護、医薬、病気平癒、産業開発、商売繁盛などとされる。
大国主を祀る代表的な神社には、出雲大社(島根県出雲市)、気多大社(石川県羽咋市)、神田神社(東京都千代田区)などがある。
エピソード
大国主の数多い神話の中でも、国作りを担う以前の性格をよく表しているのが「因幡の白兎」である。『古事記』では、この時の大国主は大穴牟遅神《おおなむじのかみ》と呼ばれ、兄弟である八十神《やそがみ》たちの荷物を背負って因幡国《いなばのくに》(鳥取県)へ向かっていた。
八十神たちの目的は、因幡にいる八上比売への求婚だった。一行が気多之前《けたのさき》に着くと、皮を剥がれて苦しんでいる兎がいた。八十神は海水を浴び、風に当たって横たわれば治ると教えるが、その通りにした兎の傷はさらに悪化する。
遅れてやってきた大穴牟遅神は事情を聞き、河口の水で体を洗い、蒲黄《がまのはな》を敷いてその上を転がるよう教えた。兎が従うと傷は癒え、元の姿に戻った。兎は大穴牟遅神に、八十神たちは八上比売を得られず、あなたが八上比売を妻にするだろうと告げる。実際に八上比売は八十神の求婚を退け、大穴牟遅神を選んだ。
この神話では、八十神が傷を悪化させるのに対し、大穴牟遅神は正しい治療法を教えて兎を救う。のちにスクナビコナと国作りを行い、医薬とも結びつく大国主の神格を考えるうえでも注目される物語である。
出典・参考:『古事記』、國學院大學 古典文化学事業
八上比売が大穴牟遅神《おおなむじのかみ》を選んだことで、八十神《やそがみ》たちは大穴牟遅神を憎み、命を奪おうとする。『古事記』では、大国主になる以前の大穴牟遅神が二度も殺され、そのたびに助けられて生き返るという神話が語られている。
八十神は伯伎国《ははきのくに》(鳥取県)の手間山の麓で、山から赤い猪を追い落とすので下で捕まえるよう大穴牟遅神に命じた。しかし実際には、大石を火で焼いて猪に見立て、それを山上から転がした。大穴牟遅神は焼けた石を受け止め、焼き潰されて命を失ってしまう。
母の刺国若比売《さしくにわかひめ》は高天原《たかあまはら》へ上り、カミムスビに救いを求めた。カミムスビはキサガイヒメとウムギヒメを遣わす。キサガイヒメが大穴牟遅神の体を集め、ウムギヒメが母乳のような汁を塗ると、大穴牟遅神は元の姿に戻って蘇生した。
ところが八十神は再び大穴牟遅神を欺く。今度は大木を割って楔を打ち、その中へ入らせてから楔を抜き、木に挟んで殺してしまった。母神は我が子を探し出し、木を裂いて救い出す。そして、このままでは再び八十神に殺されるとして逃がした。
大国主は最初から強大な国土の支配者として登場するのではない。兄神たちから迫害され、死と再生を経験した後、さらにスサノオの試練を経て国を治める神へと成長していく。なかでも最初の蘇生に貝の神々が関わることは、大国主神話にみられる医療・治療の要素としても注目される。
出典・参考:『古事記』、國學院大學 古典文化学事業
八十神の迫害から逃れた大穴牟遅神は、根の堅州国《ねのかたすくに》にいるスサノオのもとへ向かう。そこでスサノオの娘スセリビメと出会い、二神は結ばれるが、大穴牟遅神はスサノオから次々と試練を与えられる。
最初に通されたのは蛇がいる部屋だった。スセリビメから蛇を退ける比礼《ひれ》を渡され、大穴牟遅神は一夜を無事に過ごす。翌日はムカデと蜂のいる部屋へ入れられるが、ここでもスセリビメの助けによって切り抜けた。さらにスサノオは野原へ鏑矢を射込み、それを拾わせたうえで周囲に火を放つ。逃げ場を失った大穴牟遅神は鼠に助けられ、地下の穴へ隠れて難を逃れ、矢も持ち帰った。
最後にはスサノオの頭の虱《しらみ》を取るよう命じられるが、その頭にいたのはムカデだった。ここでもスセリビメの助けを借りて切り抜け、スサノオが眠った隙にその髪を柱へ結びつけ、生大刀・生弓矢・天の沼琴を持ち、スセリビメとともに逃げ出した。
追いつけないと悟ったスサノオは、大穴牟遅神に生大刀・生弓矢で八十神を退け、「大国主神」「宇都志国玉神」となり、スセリビメを正妻として立派な宮殿を建てるよう告げる。迫害される大穴牟遅神から、国を治める大国主へと立場が変わる重要な転換点である。
出典・参考:『古事記』、國學院大學 古典文化学事業
大国主は日本神話の中でも特に多くの名前を持つ神である。『古事記』では大穴牟遅神《おおなむじのかみ》、葦原色許男神《あしはらしこおのかみ》、八千矛神《やちほこのかみ》、宇都志国玉神《うつしくにたまのかみ》、大国主神などの名で登場する。『日本書紀』でも大己貴神を中心に複数の異名が記されている。
『古事記』では、物語の展開によって呼び名が変化する。因幡の白兎や八十神から迫害される場面では大穴牟遅神と呼ばれ、根の堅州国でスサノオの試練を乗り越えると、スサノオから「大国主神」「宇都志国玉神」となって国を治めるよう告げられる。このため、一連の物語を、試練を受ける神が国土を支配する大国主へ成長していく過程として読むことができる。
一方、すべての神名が一柱の神の成長に伴って生まれたとは限らない。八千矛神については、本来は大国主とは別の独立した神話の主人公であり、地方に伝えられていた神話が大国主神話へ集約されたとする説がある。大穴牟遅神についても、各地に存在した国土の開拓・経営に関わる神の性格を持つとする説があり、大国主神話の成立には異なる伝承や神格の集約があった可能性が指摘されている。
したがって、大国主の多くの名前は単なる別名の一覧として見るだけでは十分ではない。物語の中で新たな立場を得ることで現れる神名と、異なる由来を持つ伝承が大国主へ集約された可能性のある神名が重なっている。名前の多さそのものが、大国主という神格が複数の神話や信仰を取り込みながら形成されたことを考える手がかりとなる。
出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、國學院大學 古典文化学事業
スクナビコナが常世国《とこよのくに》へ去った後、大国主は国作りをどのように完成させればよいのか思い悩む。すると海を照らしながら近づいてくる神が現れ、自分を祀れば国作りを成し遂げることができると告げた。大国主がどこに祀ればよいのか尋ねると、その神は倭の青垣の東の山に祀るよう求めた。これが御諸山《みもろやま》、現在の三輪山(奈良県桜井市)に鎮まる大物主神である。
この場面は、大国主と大物主神の関係を考えるうえで特に重要である。『古事記』では、海から現れた神が大国主に対して自分を祀れば国作りを成し遂げられると告げ、大国主がその神を御諸山に祀ったとする。一方、『日本書紀』の一書には、大己貴神が国作りをともに行った相手を問うと、海から光り輝く神が現れ、自らを大己貴神の幸魂《さきみたま》・奇魂《くしみたま》だと告げる伝承がある。その神は大三輪の神とされる。
このように、古典の中でも大国主と大物主神の関係は一様ではない。後世には両神を同一神とする理解も広がったが、『古事記』では大国主が大物主神を祀るという形で描かれている。神社ファンでは大国主と大物主神を別の神として扱っており、両者を単純に同一神とせず、古典ごとの伝承の違いを踏まえて理解する必要がある。
出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、國學院大學 古典文化学事業
国作りを成し遂げた大国主にとって最大の転機となるのが、高天原へ葦原中国を譲る「国譲り」である。高天原から何度も使者が送られた後、最終的にタケミカヅチらが出雲の伊那佐之小浜《いなさのおはま》へ降り、大国主に国を譲るよう求めた。
大国主は自分だけで決めず、まず子のコトシロヌシに判断を委ねた。コトシロヌシが国譲りを受け入れた後、もう一柱の子であるタケミナカタはタケミカヅチに力比べを挑むが敗れ、科野国《しなののくに》(長野県)の州羽海《すわのうみ》まで逃れて服従する。
二柱の子が従ったことを確認した大国主は、国を譲る代わりに、自らの住む宮殿を天つ神の御子の宮殿のように立派に造ることを求めた。『古事記』では、地中深くまで柱を立て、屋根の千木が高天原に届くほど高い宮殿を造るなら、自分はそこに隠れて仕えると語る。この壮大な宮殿の伝承が、出雲大社の創建伝承へとつながっている。
大国主は国譲りによって単に敗れて退場した神として描かれているわけではない。国土の統治を天つ神へ譲る一方、出雲大社ではその後、大国主大神が目に見えない世界の幽事《かくりごと》を主宰する神として鎮まったと伝えている。国作りの神から国譲りを経て出雲に鎮まるという流れが、現在の大国主信仰を理解する大きな柱となっている。
出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、出雲大社
大国主は現在「縁結びの神」として特に有名だが、『古事記』に「縁結びの神」と明記されているわけではない。大国主には八上比売、スセリビメ、沼河比売など多くの女神との婚姻譚があり、男女の縁を連想させる神話を多く持つ。しかし、出雲大社が説く縁結びの信仰は、男女の婚姻だけに限られない。
出雲大社では、大国主大神が国作りを終えて国譲りを行った後、目に見えない世界の幽事《かくりごと》・神事《かみごと》を主宰する神となったと伝えている。また神在月には全国から集まる神々と、人々の幸せにつながるさまざまな縁について取り計らう神として信仰されている。
そのため、大国主の「縁結び」は恋愛や結婚だけを意味するものではない。人と人をはじめ、人々を取り巻くさまざまな結びつきを司る神として捉えられている。多くの婚姻譚を持つ神話上の姿に加え、国譲り後に目に見えない神事を司るという出雲の信仰が重なり、現在知られる縁結びの神としての大国主像が形づくられてきたのである。
出典・参考:『古事記』、出雲大社
出典文献
古事記
日本書紀
先代旧事本紀
古語拾遺
新撰姓氏録
播磨国風土記
神格
ご神徳
別称・異称
おおくにぬしのかみ
古事記/日本書紀/先代旧事本紀/古語拾遺/新撰姓氏録
八千矛神やちほこのかみ
古事記
大物主大神おおものぬしのおおかみ
古事記
大穴牟遅おおなむじ
古事記
宇都志国玉神うつしくにたまのかみ
古事記
意富美和之大神おおみわのおおかみ
古事記
葦原色許男大神あしはらしこおのおおかみ
古事記
大物主神おおものぬしのかみ
古事記/日本書紀/先代旧事本紀/延喜式/古語拾遺/新撰姓氏
大穴牟遅神おおなむじのかみ
古事記/先代旧事本紀
大己貴神おおなむちのかみ
日本書紀/先代旧事本紀/古語拾遺
八千戈神やちほこのかみ
日本書紀
国作大己貴命くにつくりおおなむちのみこと
日本書紀
葦原醜男あしはらしこお
日本書紀
顕国玉うつしくにたま
日本書紀
大国玉神おおくにたまのかみ
日本書紀/先代旧事本紀/伊勢国風土記 逸文
大己貴命おおあなむちのみこと
日本書紀/先代旧事本紀/新撰姓氏録
八千茅神はちほこのかみ
先代旧事本紀
国造大穴牟遅命くにつくりおおなむちのみこと
先代旧事本紀
葦原色男あしはらしこお
先代旧事本紀
葦原醜雄命あしはらしこおのみこと
先代旧事本紀
顕見国玉神うつしくにたまのかみ
先代旧事本紀
大穴持命おおなもちのみこと
延喜式/出雲国風土記
倭大物主櫛瓺玉命やまとおおものぬしくしみかたまのみこと
延喜式
大名持御魂神おおなもちのみたまのかみ
延喜式
大国魂神おおくにたまのかみ
古語拾遺
大奈牟智神おおなむちのかみ
新撰姓氏録
所造天下大神あめのしたつくらししおおかみ
出雲国風土記
大汝命おおなむちのみこと
播磨国風土記
伊和大神いわのおおかみ
播磨国風土記
国堅大神くにかためのおおかみ
播磨国風土記
大物主葦原志許おおものぬしあしはらしこ
播磨国風土記
葦原志許乎命あしはらしこおのみこと
播磨国風土記
大穴六道尊おおなむじのみこと
土佐国風土記 逸文
兵主大神ひょうずのおおかみ
その他
国作大神くにつくりのおおかみ
その他
大名牟地命おおなむちのみこと
その他
大名牟知廼命おおなむちのみこと
その他
大名貴命おおなむじのみこと
その他
大国大神おおくにおおかみ
その他
大己牟遅命おおなむちのみこと
その他
大巳貴命おおなむちのみこと
その他
大物主櫛瓶玉命おおものぬしくしみかたまのみこと
その他
大物主櫛甕玉命おおものぬしくしみかたまのかみ
その他
大穴名牟遅神おおなむちのかみ
その他
大那牟遅命おおなむちのみこと
その他
櫛甕玉神くしみかたまのかみ
その他
同一とされる神様
関連する神様
神様グループ
祀られている主な神社
出雲大社
(島根県出雲市大社町杵築東195番地)
氷川神社
(埼玉県大宮区高鼻町1-407)
川越氷川神社
(埼玉県川越市宮下町2-11-3)
神田明神
(東京都千代田区外神田2-16-2)
愛宕神社
(京都府右京区嵯峨愛宕町1)
