能褒野神社 - 神社ファン

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能褒野神社

のぼのじんじゃ

三重県亀山市田村町1409

😞 🙁 😐 🙂 😄

三重県亀山市田村町1409

鳥居と拝殿

Saigen Jiro(wikipedia CC0)

かんたんご利益

  • 仕事
  • 厄除
  • 勝負
能褒野神社には

「仕事系」「厄除・開運系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

想

国土安寧 勝運 開運 五穀豊穣 商売繁盛

御祭神

主祭神

日本武尊 やまとたけるのみこと

配祀

御食津神 みけつかみ

配祀

大穴牟遅神 おおなむちのかみ

配祀

長白羽神 ながしらはのかみ

配祀

瀬織津比賣命 せおりつひめのみこと

配祀

天照大御神 あまてらすおおみかみ

配祀

伊邪那美命 いざなみのみこと

配祀

大八洲之霊 おおやしまのみたま

配祀

玉依比責命 たまよりひめのみこと

配祀

品陀和気命 ほんだわけのみこと

配祀

建速須佐之男命 たけはやすさのおのみこと

配祀

玉柱屋姫命 たまはしらやひめのみこと

配祀

金山毘古命 かなやまひこのみこと

配祀

息長帯比賣命 おきながたらしひめのみこと

配祀

木花咲耶姫命 このはなさくやひめのみこと

配祀

久那斗神 くなどのかみ

配祀

八衢比古神 やちまたひこのかみ

配祀

八衢比賣神 やちまたひめのかみ

配祀

奥津比古神 おきつひこのかみ

配祀

奥津比賣神 おきつひめのかみ

配祀

火乃迦具土神 ひのかぐつちのかみ

配祀

倭姫命 やまとひめのみこと

配祀

天児屋根命 あめのこやねのみこと

配祀

天布刀玉命 あめのふとだまのみこと

配祀

菅原道真公 すがわらみちざねこう

配祀

柿本人麻呂公 かきのもとのひとまろこう

配祀

大雀命 おおさざきのみこと

配祀

大山津見命 おおやまつみのみこと

配祀

速玉乃男命 はやたまのおのみこと

配祀

大事忍男神 おおごとおしおのかみ

配祀

猿田比古命 さるたひこのみこと

配祀

建見児王 たけかいこ

配祀

弟橘姫命 おとたちばなひめのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

「大鳥・白鳥系」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

能褒野神社は三重県亀山市に鎮座する神社。御祭神は日本武尊、御食津神、大穴牟遅神、長白羽神、瀬織津比賣命、天照大御神、伊邪那美命、大八洲之霊、玉依比責命、品陀和気命、建速須佐之男命、玉柱屋姫命、金山毘古命、息長帯比賣命、木花咲耶姫命、久那斗神、八衢比古神、八衢比賣神、奥津比古神、奥津比賣神、火乃迦具土神、倭姫命、天児屋根命、天布刀玉命、菅原道真公、柿本人麻呂公、大雀命、大山津見命、速玉乃男命、大事忍男神、猿田比古命、建見児王、弟橘姫命の33柱をまつる。
社格は旧県社。
『日本書紀』景行天皇40年条には、日本武尊が大和へ帰る途中、能褒野で没し、能褒野陵に葬られたことが記されている。『延喜式』諸陵寮には能褒野墓が鈴鹿郡に所在し、兆域は東西2町、南北2町、守戸3烟と記された。大宝2年(702)の『続日本紀』にも倭建命の墓に関する記事がある。
江戸時代には能褒野陵の所在地について諸説があり、白鳥塚、武備塚、二子塚、丁子塚などが候補とされた。明治9年(1876)、教部省は白鳥塚を能褒野墓としたが、明治12年(1879)10月、宮内省は鈴鹿郡川崎村名越字女ヶ坂の丁子塚、現在の能褒野王塚古墳を日本武尊の能褒野墓に治定した。
能褒野墓の治定後、その近くに日本武尊を祀る神社の創建が進められた。明治16年(1883)12月、神宮斎主の久邇宮朝彦親王によって「能褒野神社」の社号が選定され、有栖川宮、山階宮、小松宮、伏見宮、北白川宮、閑院宮、梨本宮、華頂宮から金幣が寄せられた。明治17年(1884)3月に創立の許可を受け、社殿と境内の整備が進められた。
明治28年(1895)10月、社殿と境内が完成し、神宮斎主賀陽宮邦憲王から御霊代と金幣を受けて鎮座祭が執り行われた。明治38年(1905)11月には、能褒野墓へ遣わされた勅使が能褒野神社にも参拝し、玉串を奉納した。
明治41年(1908)には村内の40余社を合祀した。明治43年(1910)11月には神宮司庁から皇大神宮撤下の御用材を受け、翌年、この用材で本殿を造営した。大正13年(1924)には能褒野保勝会が組織され、大正14年(1925)6月に県社へ昇格した。大正15年(1926)5月には能褒野保勝会が亀山駅前に大鳥居を建立し、久邇宮邦彦王揮毫の社号額が掲げられた。
境内に隣接する能褒野王塚古墳は全長約90mの前方後円墳で、4世紀末頃の築造とされる。現在は宮内庁が「景行天皇皇子日本武尊能褒野墓」として管理している。古墳から出土した鰭付朝顔形円筒埴輪は能褒野神社に保管されてきた。神紋は三樫葉である。
  • 県社
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%BD%E8%A4%92%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE
三重県神社庁
https://www.mie-jinjachou.page/