天児屋命
あめのこやねのみこと
- 神話・伝説
- 男神・男性

国立公文書館(大日本国開闢由来記 CC0)
祭神ランキング13位
天児屋命とは?
天児屋命は記紀神話などに登場する男神。興台産霊神の子とされる。神話の「天岩戸」のエピソードに登場する神として知られ、天孫降臨ではニニギに随行する「五伴緒神《いつとものおのかみ》」の一柱とされる。
神名の解釈には、天上の小屋、つまり祭祀を行う建物を神格化したとする説や、「コヤネ」を言葉や祝詞と関係する名とみる説など諸説ある。
古事記では、天照大神が天岩戸に隠れた際、天児屋命とフトダマが祭祀の中心的な役割を担う。天児屋命は太祝詞詞《ふとのりとごと》を奏上し、天照大神を岩戸から迎え出すための祭祀に加わった。こうした神話から、天児屋命は祝詞や祭祀を司る神として信仰されている。
古代の朝廷で祭祀を担った中臣氏は天児屋命を祖神とし、のちに中臣鎌足から藤原氏が成立すると藤原氏の祖神としても崇敬された。奈良時代には枚岡神社から天児屋命と比売神が春日へ迎えられ、鹿島の武甕槌命、香取の経津主命とともに春日大社の四柱の祭神として祀られた。枚岡神社はこのことから「元春日」とも呼ばれる。
これらのことから、天児屋命のご利益は学業成就、合格祈願、開運厄除、出世開運、国土安穏などとされる。
天児屋命を祀る代表的な神社には、枚岡神社(大阪府東大阪市)、春日大社(奈良県奈良市)、吉田神社(京都府京都市)などがあり、このほか全国各地の春日神社などで広く祀られている。
エピソード
天照大神が天岩戸に隠れると、高天原は暗闇に包まれ、八百万の神々は天安河原に集まって対策を講じた。『古事記』では、天児屋命はフトダマとともに天香山の雄鹿の肩骨などを用いて占いを行い、岩戸の前で行う祭祀の準備に携わった。
八咫鏡や八尺瓊勾玉などを榊に掛けると、フトダマがそれを捧げ持ち、天児屋命は布刀詔戸言《ふとのりとごと》を申し上げた。『日本書紀』にも天児屋命が祈祷や神祝《かむほさき》を行う伝承があり、一書ではその言葉を聞いた天照大神が、これほど麗しい言葉はなかったとして岩戸を少し開いたと語られる。
天児屋命は腕力で岩戸を開いた神ではない。神に言葉を捧げる祭祀者として天照大神の再出現に関わった神であり、この役割が後世の祝詞・祭祀の神としての神格につながっている。
出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、國學院大學 古典文化学事業
天岩戸神話では、天児屋命とフトダマが一組のように登場する。『古事記』では二神がともに占いを行い、祭祀の場ではフトダマが鏡・勾玉・幣帛を掛けた榊を捧げ持ち、天児屋命が布刀詔戸言《ふとのりとごと》を奏上した。
この二神は、後世の氏族との関係でも対になる。天児屋命は中臣氏の祖神、フトダマは忌部氏の祖神とされ、両氏はいずれも朝廷祭祀に深く関わった。律令制下では、中臣氏が祝詞を宣り、忌部氏が幣帛を扱うという役割分担が定められている。
大同元年(806)には祭祀における両氏の職掌をめぐる争いが起こり、朝廷は『日本書紀』の天岩戸神話や神祇令を根拠として判断を下した。神話の中で天児屋命とフトダマが担った役割が、後世には中臣氏と忌部氏の祭祀上の立場を説明する根拠としても用いられたのである。
出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、『日本後紀』、國學院大學 古典文化学事業
天児屋命は天岩戸神話だけでなく、天孫降臨にも登場する。『古事記』では、ニニギが高天原から葦原中国へ降る際、天児屋命、フトダマ、アメノウズメ、イシコリドメ、玉祖命の五柱が「五伴緒《いつとものお》」として随行した。
五柱はそれぞれ後世の氏族の祖神とされ、天児屋命は中臣連の祖と位置づけられている。天岩戸で祭祀を担った神が、今度は天孫に従って地上へ降り、その祭祀を支える氏族の祖神となる構成である。
『日本書紀』の一書にも天児屋命が天孫降臨に随伴する伝承があり、「神事を主る宗源者」として天孫に従わせたと記される。天児屋命の役割は、祝詞を唱えた一度の神話だけで終わらず、天孫とその子孫の祭祀を担う存在へと広がっている。
出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、國學院大學 古典文化学事業
『古事記』は天児屋命を「中臣連等の祖」と記す。中臣氏は古代朝廷で祭祀を担った氏族で、神と人との間を取り持ち、祝詞奏上や祓などの神事に深く関わった。
天児屋命が中臣氏の祖神とされたことは、その神格にも大きな意味を持つ。天岩戸で祝詞を奏上し、天孫降臨では祭祀を担う神として地上へ降るという神話上の働きと、中臣氏が現実の朝廷祭祀で担った職掌が重なっているからである。
律令制下でも中臣氏は神祇官の要職を務め、大祓では祓詞を宣り、大嘗祭などでは天神寿詞《あまつかみのよごと》を奏上した。天児屋命の神話は、こうした中臣氏の祭祀氏族としての立場を支える祖神伝承でもあった。
そのため天児屋命は、単なる「言霊の神」というより、古代国家の祭祀を担った中臣氏の祖神として、祝詞・祈祷・祭祀そのものと深く結びついた神と捉えることができる。
出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、『日本後紀』、國學院大學 古典文化学事業
中臣氏からは、後に朝廷で大きな力を持つ藤原氏が生まれた。中臣鎌足が天智天皇から藤原姓を賜り、その子孫が藤原氏として発展したことで、中臣氏の祖神である天児屋命は藤原氏にとっても遠祖の神となった。
藤原氏の勢力拡大とともに、その氏神信仰の中心となったのが春日である。春日大社ではタケミカヅチ、経津主神、天児屋根命、比売神の四柱を祀り、このうち天児屋根命と比売神は河内国の枚岡神社から迎えられたと伝えられている。
天児屋命が全国の春日神社で広く祀られる背景には、天岩戸や天孫降臨の神話だけでなく、中臣氏から藤原氏へ続く氏族の祖神信仰がある。祭祀氏族の祖神だった天児屋命は、藤原氏の隆盛と春日信仰の展開によって、全国的に祀られる神へと広がっていった。
出典・参考:『古事記』、春日大社、國學院大學 古典文化学事業
天児屋命の信仰を考えるうえで、枚岡神社と春日大社の関係は欠かせない。大阪府東大阪市の枚岡神社では、天児屋根命と比売御神を第一殿・第二殿の祭神として祀り、社伝では神武天皇即位の前三年に天種子命が神津嶽に二神を奉斎したことを創祀としている。
奈良時代の神護景雲2年(768)、春日大社の現在の社殿が整えられた際、鹿島から迎えられていたタケミカヅチに加え、香取から経津主神、枚岡から天児屋根命と比売神が迎えられ、春日の四柱が揃ったと伝えられる。
この由緒から枚岡神社は「元春日」と呼ばれる。天児屋命にとって枚岡は、春日大社へ勧請される以前からその祖神信仰を伝える重要な神社であり、春日信仰の成立を理解するうえでも欠かせない。
その後、藤原氏の氏神である春日大社の信仰が全国へ広がると、天児屋命も春日神の一柱として各地の春日神社に祀られるようになった。
出典・参考:枚岡神社、春日大社、國學院大學 古典文化学事業
天児屋命が祝詞の神とされる最大の理由は、天岩戸神話で神に言葉を捧げる役割を担ったことにある。『古事記』では布刀詔戸言《ふとのりとごと》を申し上げ、『日本書紀』では祈祷や神祝、解除の太諄辞を宣る神として描かれている。
さらに『日本書紀』の天孫降臨の一書では、天児屋命を「神事を主る宗源者」と位置づけ、天孫に従わせている。こうした記述から、天児屋命は単に美しい言葉を話す神ではなく、神に言葉を奏上し、祭祀を執り行う神として理解されてきた。
その性格は、祖神とする中臣氏の職掌とも重なる。中臣氏は朝廷で祝詞や祓を担当し、神と天皇・国家を結ぶ祭祀に奉仕した。
神名の「児屋」についても「言綾根《ことあやね》」に由来し、美しく整えられた言葉と関係するとする説がある。ただし、祭祀を行う「小屋」に由来するとする説などもあり、語源は確定していない。祝詞の神という神格は、語源説よりも記紀に描かれた祭祀上の働きと中臣氏の祖神伝承から理解するのが確実である。
出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、國學院大學 古典文化学事業
出典文献
古事記
日本書紀
神格
ご神徳
別称・異称
あめのこやねのみこと
古事記/日本書紀/先代旧事本紀/古語拾遺/新撰姓氏録
天之子八根命あめのこやねのみこと
延喜式
天乃古矢根命あめのこやねのみこと
新撰姓氏録
天津児屋根命あまつこやねのみこと
新撰姓氏録
天児屋根命あめのこやねのみこと
新撰姓氏録/続日本後紀
天古屋根命あめのこやねのみこと
その他
天小屋根命あめのこやねのみこと
その他
神様グループ
祀られている主な神社
春日大社
(奈良県奈良市春日野町160)
釣石神社
(宮城県石巻市北上町十三浜字追波305 )
石浦神社
(石川県金沢市本多町3丁目1-30)
吉田神社
(京都府左京区吉田神楽岡町30)
枚岡神社
(大阪府東大阪市出雲井町7-16)
