伊奢沙和気大神/御食津大神
いざさわけのおおかみ/みけつのおおかみ
- 神話・伝説
- 男神・男性

玉蘭斎貞秀(神佛図會)
祭神ランキング129位
伊奢沙和気大神/御食津大神とは?
伊奢沙和気大神は記紀神話などに登場する男神である。伊奢沙別命、御食津大神、氣比大神などの名でも呼ばれ、越前国一宮である氣比神宮の主祭神として祀られている。敦賀を代表する古い神であり、食物をつかさどる神としての性格を持つほか、海上交通や漁業、農業などを守護する神として信仰されてきた。
『古事記』では、後の応神天皇となる太子の夢に伊奢沙和気大神が現れ、互いの名を交換することを求めたとされる。その後、太子が大神のもとを訪れると、浦一面にイルカが寄り集まっていた。太子は大神が食物を授けてくれたことを喜び、御食津大神《みけつおおかみ》と称えたという。『古事記』は神名交換後の両者の名を具体的には記していないが、『日本書紀』の一書には、大神の旧名を誉田別神、太子の旧名を去来紗別尊とする伝承が収められている。ただし、『日本書紀』自身もこの神名交換の関係について未詳としている。
伊奢沙和気大神には、朝鮮半島から渡来したとされるアメノヒボコと同一神とみる説もある。敦賀は古代から日本海を通じて大陸や朝鮮半島と結ばれた交通の要地であり、氣比神宮も海上交通と深い関係を持って発展した。こうした地域的背景から、伊奢沙和気大神には海人集団の信仰と関係する神、海や風をつかさどる神としての性格も指摘されている。
伊奢沙和気大神は食物を授ける御食津大神としての性格と、敦賀の海を守る神としての性格をあわせ持ち、航海安全、大漁祈願、五穀豊穣、衣食住の守護、無病息災などの神徳で信仰されている。代表的な神社は福井県敦賀市の氣比神宮である。
エピソード
『古事記』によれば、武内宿禰は禊《みそぎ》のため、太子であった大鞆和気命、後の応神天皇を伴って近江国と若狭国を巡り、越前国の入口にあたる角鹿《つぬが》に仮宮を設けた。その夜、当地に鎮座する伊奢沙和気大神が太子の夢に現れ、自分の名を太子の名と交換したいと告げた。太子が承諾すると、大神は名を交換した礼を贈るため、翌朝に浜へ出るよう求めた。
『古事記』本文は名を交換したことを伝えるものの、交換後に大神と太子がそれぞれ何という名になったのかは明記していない。一方、『日本書紀』応神天皇即位前紀の一書では、大神と太子が名を交換した結果、大神を去来紗別神《いざさわけのかみ》、太子を誉田別尊《ほむたわけのみこと》と呼ぶようになったとする。これに従えば、大神の旧名は誉田別神、太子の旧名は去来紗別尊となるが、『日本書紀』自身も根拠となる伝承がほかに見当たらず未詳であると付記している。
この神名交換は、土地の神が太子を迎え、自らの神威や名を分かち与える儀礼的な説話と解釈されてきた。氣比神宮では現在も、この故事に基づく御名易祭《みなかえまつり》を三月に斎行している。伊奢沙和気大神と応神天皇の関係は、古典の中だけで完結せず、現在の祭祀にも受け継がれているのである。
出典・参考:『古事記』中巻「仲哀天皇」、『日本書紀』応神天皇即位前紀、國學院大學デジタルミュージアム「神道・神社史料集成 気比神社」、氣比神宮公式サイト「祭典」
伊奢沙和気大神は、太子との神名交換を求めた際、その礼として食物を贈ることを約束した。『古事記』によれば、翌朝に太子が角鹿の浜へ出ると、鼻を傷つけられたイルカが浦いっぱいに集まっていた。太子は大神が御食《みけ》となる魚を与えてくれたことを喜び、その御名をたたえて御食津大神《みけつのおおかみ》と呼んだ。『古事記』は、これが当時の気比大神であると説明している。
さらに、イルカの鼻から流れた血が臭かったため、当地を血浦《ちうら》と呼び、それが都奴賀《つぬが》になったという地名由来も語られる。ただし、『日本書紀』は異なる由来を伝え、額に角のある都怒我阿羅斯等が笥飯浦《けひのうら》に来着したことから角鹿と名づけられたとしている。角鹿という地名には、イルカを贈った大神の説話と、海を渡ってきた人物の説話という二つの説明が残されているのである。
ケヒの語については、「ケ」を食物、「ヒ」を霊威とみる説があり、『日本書紀』の「笥飯」という表記にも食器と食物を表す文字が用いられている。神名交換の礼として海の幸を授けた物語は、伊奢沙和気大神が食物神、漁業神として信仰される根拠となった。氣比神宮でも、御食津大神の名で食物をつかさどり、農漁業と衣食住を守る神として祀られている。
出典・参考:『古事記』中巻「仲哀天皇」、『日本書紀』垂仁天皇二年是歳条、國學院大學古典文化学事業「気比大神」、氣比神宮公式サイト「御祭神・御神徳」
伊奢沙和気大神の正体については、新羅から渡来したと伝わる天日槍と同一神であるという説がある。『日本書紀』によれば、天日槍は複数の神宝を携えて渡来した。その一つである胆狭浅大刀《いささのたち》の名が、伊奢沙和気の「イザサ」に通じることから、この大刀を神体として祀った神が伊奢沙和気大神になったとする見方である。
また、天日槍は神功皇后の母方の祖先とされる。氣比神宮では神功皇后が伊奢沙和気大神とともに祀られ、記紀にも神功皇后や応神天皇と気比大神との深い関係が描かれている。さらに、敦賀は日本海を通じて朝鮮半島や大陸と往来する港であり、『日本書紀』には意富加羅国《おおからのくに》から都怒我阿羅斯等が笥飯浦へ来着したという伝承も残る。こうした神名、系譜、港湾の歴史が同一神説の背景となっている。
ただし、『古事記』『日本書紀』は天日槍と伊奢沙和気大神を同一神とは記していない。氣比神宮も伊奢沙別命を独自の主祭神として祀っているため、同一神説は氣比大神の成立を渡来人や日本海交流との関係から説明する学説の一つである。確定した系譜ではないが、敦賀の神が海の向こうとの交流や神功皇后伝承と結び付けて考えられてきたことを示す説である。
出典・参考:『日本書紀』垂仁天皇紀、國學院大學古典文化学事業「気比大神」、氣比神宮公式サイト「氣比神宮について」
氣比神宮の社伝では、伊奢沙別命は天筒山《てづつやま》に霊跡を垂れ、現在の境内北東部にある土公《どこう》へ降臨したとされる。土公は社殿が整備される以前の祭祀の姿を伝える神籬磐境《ひもろぎいわさか》であり、氣比大神鎮座の聖地として現在も守られている。伊奢沙和気大神は、もともと敦賀の土地と港を守る神として祀られたのである。
大宝2年(702)には朝廷の命によって神宮が修営され、仲哀天皇と神功皇后を本宮に合祀したと伝えられる。その後、ヤマトタケル、応神天皇、玉姫命、武内宿禰も祀られ、氣比神宮は七柱を奉斎する神宮となった。『延喜式』では越前国敦賀郡の名神大社に列し、越前国一宮、北陸道総鎮守として朝廷や地域から崇敬された。
承和6年(839)には、唐から帰国する船の安全を祈るため、住吉神とともに越前国の気比神へ幣帛が奉られた。古代国家も氣比大神を航海安全に関わる神として仰いでいたことが分かる。食物を授けた御食津大神という神格に加え、日本海の船舶、漁業、港、北陸道の交通を守る神として信仰が広がり、現在も衣食住、海上安全、農漁業、交通安全の守護神として祀られている。
出典・参考:『延喜式』神名帳、『続日本後紀』承和六年八月条、國學院大學デジタルミュージアム「神道・神社史料集成 気比神社」、氣比神宮公式サイト「氣比神宮について」「土公」
出典文献
古事記
続日本後紀
延喜式
神格
ご神徳
別称・異称
いざさわけのおおかみ
古事記
御食津大神みけつのおおかみ
古事記
気比大神けひのおおかみ
古事記/続日本後紀
大御膳都神おおみけつのかみ
延喜式
大御食神おおみけつのかみ
延喜式
御膳都神みけつのかみ
延喜式
御膳魂みけtむすひ
延喜式
御膳神みけつのかみ
古語拾遺
大食都比売大神おおげつひめのおおかみ
その他
大饌津神おおみけつかみ
その他
御気津比売大神みけつひめのおおかみ
その他
御膳津命みけつのみこと
その他
御食都神みけつのかみ
その他
御饌都神みけつのかみ
その他
神様グループ
祀られている主な神社
氣比神宮
(福井県敦賀市曙町11-68)
恩智神社
(大阪府八尾市恩智中町5-10)
丹生都比賣神社
(和歌山県かつらぎ町大字上天野230番地)
筑摩神社
(滋賀県米原市朝妻筑摩1987)
森水無八幡神社
(岐阜県下呂市森1321)
