筑摩神社 滋賀県 - 神社ファン

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筑摩神社

ちくまじんじゃ

滋賀県米原市朝妻筑摩1987

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滋賀県米原市朝妻筑摩1987

拝殿

Opqr(wikipedia CC 表示-継承 4.0)

かんたんご利益

御祭神

庁

主祭神

御食津神 みけつかみ

配祀神

大歳神 おおとしのかみ

配祀神

倉稲魂神 うかのみたまのかみ

配祀神

大市姫神 おおいちひめのかみ

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」

です。
他に 「稲荷系」 「年神系」 「不明(1柱)」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

筑摩神社は滋賀県米原市に鎮座する神社。御祭神は御食津神、大歳神、倉稲魂神、大市姫神の4柱をまつる。
社格は国史見在社であり、旧県社。
社伝では孝安天皇28年の創祀と伝える。神功皇后が三韓征伐に際して祈願し、継体天皇が若狭国から還幸する途中に奉幣したとの伝承も残る。
古代の朝妻筑摩には、朝廷の大膳職に属する筑摩御厨が置かれた。『延喜式』にも大膳職の御厨として筑摩に関する記載があり、当地から朝廷へ食物が納められていた。仁寿2年(852)3月8日には筑摩神に従五位下の神階が授けられた。
延久2年(1070)、筑摩御厨は停止された。その後、筑摩神社は興福寺と関係を持ち、中世には神領を有して複数の別当寺が付属した。社伝では、平清盛によって社領を奪われ、社殿が荒廃したと伝える。
建久2年(1191)9月13日、源頼朝は興福寺の範雅の求めを受け、佐々木定綱に筑摩三所社の再建を命じた。また、伊勢国丹生郷の所領を神領として寄進した。このときの源頼朝寄進状は社蔵文書として伝えられている。
明徳2年(1391)には興福寺官務の古市播磨澄胤が社殿を修造した。その後、応仁の乱の兵火によって社殿や社宝が焼失した。永禄7年(1564)、神主の筑摩相模守重実が氏子や湖北3郡の諸豪族とともに神殿を造営し、祭典を再興した。
明治時代には都久麻神社の社名も用いられた。明治16年(1883)に郷社へ列し、大正4年(1915)には県社へ昇格した。
本殿は3間社流造で、間口2間、奥行2間3尺。拝殿は入母屋造で、間口4間、奥行4間である。境内には神楽殿、神輿庫、手水舎、社務所があり、境内社には天照皇大神が祀られている。
毎年5月3日には鍋冠祭りが行われる。狩衣に緋袴を着けた少女たちが張子の鍋や釜を頭に載せ、御旅所から筑摩神社まで渡御する祭礼である。筑摩の祭は『伊勢物語』にも登場する。鍋冠祭りは「鍋釜祭(鍋冠り祭)」の名称で昭和56年(1981)5月1日に米原市指定無形民俗文化財に指定された。
  • 県社
  • 国史見在社
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神社詳細

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文化財

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建築

本殿 三間社流造

神紋

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E6%91%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%B1%B3%E5%8E%9F%E5%B8%82)
滋賀県神社庁
http://www.shiga-jinjacho.jp/