倭姫命 神社の神様 - 神社ファン

倭姫命

やまとひめのみこと

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  • 女神・女性
倭姫命

矢野弦月(皇大神宮奉祀 パブリック・ドメイン)

倭姫命

玉蘭斎貞秀(神佛図會)

祭神ランキング134位

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 倭姫命とは?

    倭姫命は記紀に登場する皇女で、神としても祀られている。父親は第11代垂仁天皇、母親は丹波道主王の娘日葉酢媛命である。『日本書紀』では倭姫命、『古事記』では倭比売命と記される。豊鍬入姫命の後を継ぎ、御杖代《みつえしろ》として天照大神を奉斎した皇女である。
    『日本書紀』では、天照大神を祀る地を求め、倭姫命が菟田の筱幡、近江国、美濃国を経て伊勢国へ至ったとされる。伊勢に入ると天照大神から、この国に鎮まりたいとの神託を受け、五十鈴川のほとりに祠を建てた。これが伊勢神宮の皇大神宮の鎮座に関する重要な伝承となっている。
    後世の『皇太神宮儀式帳』や『倭姫命世記』などでは巡行伝承がさらに発展し、伊賀・近江・美濃・尾張など各地を巡ったと伝えられている。倭姫命が天照大神を奉斎したとされる各地には、現在も元伊勢と呼ばれる神社や伝承地が残されている。また神宮の伝承では、神嘗祭をはじめとする祭祀を整え、神田や御料地を定めるなど、神宮祭祀の基礎を築いたとも伝えられている。
    倭姫命は日本武尊の叔母にあたり、『古事記』では日本武尊が熊曾を討つため西へ向かう際に衣装を授けた。さらに東征に向かう日本武尊が伊勢神宮を訪れた際には、草薙剣と袋を授けている。日本武尊は後に相模国で火攻めに遭った際、この草薙剣を用いて窮地を脱したとされる。
    倭姫命は天照大神を伊勢へ導き、神宮祭祀の礎を築いた皇女として信仰されている。三重県伊勢市の皇大神宮別宮・倭姫宮に祭神として祀られている。倭姫宮は倭姫命の功績を称えるため大正12年(1923年)に創建された比較的新しい別宮である。

    エピソード

    天照大神の御杖代として伊勢へ導く
    第10代崇神天皇の時代、宮中で祀られていた天照大神は、大和国の笠縫邑《かさぬいのむら》へ遷され、皇女豊鍬入姫命が奉斎した。次の垂仁天皇の時代になると、その役目を皇女倭姫命が引き継いだ。『日本書紀』は倭姫命を、神の意志を受けて奉仕する御杖代と記している。倭姫命は天照大神が永く鎮まる場所を求め、大和国(奈良県)から近江国(滋賀県)、美濃国(岐阜県)を経て伊勢国(三重県)へ入った。
    伊勢に至ると、天照大神は、この神風の伊勢国は常世から波が幾重にも寄せる美しい国であり、ここに居たいという神託を倭姫命へ告げた。倭姫命はその言葉に従い、五十鈴川の川上に宮を建てた。これが皇大神宮の鎮座起源として伝えられている。倭姫命は自らの判断だけで鎮座地を選んだのではなく、天照大神の意志を聞き、それを地上で実現する役目を果たしたのである。その姿は、神と人、皇室と伊勢を結ぶ巫女的な皇女としての神格を示している。

    出典・参考:『日本書紀』巻第六「垂仁天皇紀」、伊勢神宮「神宮の歴史」、神社本庁「伊勢の神宮のお神札 神宮大麻をおまつりしましょう」



    各地に残された元伊勢の伝承
    倭姫命が天照大神の鎮座地を求めて巡った経路は、資料によって詳しさが異なる。『日本書紀』は大和国(奈良県)の倭笠縫邑と菟田の筱幡《ささはた》、近江国(滋賀県)、美濃国(岐阜県)、伊勢国(三重県)を記すが、各地でどの宮に何年間滞在したかまでは述べていない。延暦23年(804年)の『皇太神宮儀式帳』では巡行地が14か所に整理され、鎌倉時代に成立した神道書『倭姫命世記』では、さらに多くの土地や神々との出会いが語られるようになった。
    現在、倭姫命が天照大神を一時的に奉斎したと伝える神社や旧跡は、元伊勢と呼ばれている。ただし、そのすべてを『日本書紀』に記された実際の巡行地とみなすことはできない。平安時代から鎌倉時代にかけて神宮の由緒が整えられる中で、各地域の神社伝承と倭姫命の物語が結びついた例も多いからである。一方で、こうした伝承は単なる誤伝として切り捨てられるものでもない。倭姫命の巡行を通じて地域と伊勢神宮のつながりが語られ、天照大神への信仰が各地へ広がった歴史を伝えている。

    出典・参考:『日本書紀』巻第六「垂仁天皇紀」、『皇太神宮儀式帳』、『倭姫命世記』、伊勢神宮「神宮の歴史」、三重県立斎宮歴史博物館「斎宮Q&A」



    日本武尊へ授けた衣と草薙剣
    倭姫命は、甥にあたるヤマトタケルを二度にわたって助けた。『古事記』では、倭建命が熊曾建を討つため西国へ向かう途中、伊勢にいる叔母の倭姫命を訪ねた。倭姫命は女性の衣装を一式与え、倭建命はこれを着て少女の姿に変装し、熊曾建の宴席へ入り込んで討伐を果たした。この衣の授与は『日本書紀』には見えない『古事記』独自の展開である。
    その後、東国平定を命じられた倭建命は、再び伊勢の倭姫命を訪れ、父である景行天皇は自分に死ねと思っているのではないかと嘆いた。倭姫命は草薙剣と袋を授け、危急の時に袋を開くよう告げた。相模国(神奈川県)の野で火攻めに遭った倭建命は、草薙剣で草を薙ぎ、袋に入っていた火打石で迎え火をつけて窮地を脱した。『日本書紀』にも、東征へ向かう日本武尊へ倭姫命が草薙剣を授け、慎んで怠らないよう諭したことが記されている。倭姫命は神宮に奉仕するだけでなく、神宝を託して英雄を導く存在でもあった。

    出典・参考:『古事記』中巻「景行天皇」、『日本書紀』巻第七「景行天皇紀」、國學院大學古典文化学事業「古事記あらすじ」「能裒野墓」、神宮の博物館「皇女 倭姫命」



    斎王の原像となった皇女
    倭姫命はしばしば初代斎王と呼ばれるが、『日本書紀』が用いる言葉は御杖代である。御杖代とは、神の杖となって神意を受け、その祭祀に奉仕する者を意味する。倭姫命以前には豊鍬入姫命が天照大神を奉斎しており、この二人の皇女が後世の斎王制度の原像とされた。
    制度としての斎王は、天皇の代替わりごとに未婚の皇族女性が選ばれ、都から伊勢へ赴いて神宮に奉仕するものである。史料から制度上の最初の斎王と確認できるのは、天武天皇の皇女である大来皇女《おおくのひめみこ》であり、倭姫命の実在や活動を歴史的に確かめることはできない。そのため倭姫命は、確実な制度上の初代斎王というより、伊勢に皇女が奉仕する由来を説明する伝承上の始祖と位置づけるのが適切である。その後、斎王制度は約660年間続き、60人余りの皇族女性が神宮に奉仕した。倭姫命の御杖代伝承は、皇女が天皇に代わって天照大神に仕えるという斎王の役割に、神聖な起源を与えたのである。

    出典・参考:『日本書紀』巻第五「崇神天皇紀」・巻第六「垂仁天皇紀」、三重県立斎宮歴史博物館「斎宮とは?」「斎宮Q&A」「斎王一覧」



    大正時代に創建された倭姫宮
    伊勢神宮の創祀に大きな役割を果たしたと伝えられる倭姫命だが、神宮内に倭姫命自身を祀る宮が創建されたのは近代である。明治時代の末から、神宮司庁と宇治山田市は倭姫命の功績を称える宮の創立を求めた。大正10年(1921年)に皇大神宮別宮としての創立が許可され、大正12年(1923年)11月5日、伊勢市の倉田山に倭姫宮が鎮座した。
    神宮の別宮や摂社には奈良時代以前に起源を持つものが多いが、倭姫宮は創建年代と経緯が明確な新しい別宮である。倭姫命の伝承が古代から変わらず同じ形で存在したのではなく、『日本書紀』の簡潔な記事をもとに、神宮の祭祀を整えた功績や各地の巡行伝承が時代ごとに加えられてきたことを示している。倭姫命は、古代の皇女として語られるだけでなく、伊勢神宮の成立と祭祀を象徴する神として近代に改めて顕彰されたのである。倭姫宮は現在も倭姫命を祭神とし、内宮と外宮を結ぶ御幸道路の中ほどに鎮座している。

    出典・参考:伊勢神宮「域外の別宮」、神宮の博物館「皇女 倭姫命」、伊勢志摩観光ナビ「皇大神宮別宮 倭姫宮」



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    出典文献

    古事記

    日本書紀

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    別称・異称

    倭比売命

    やまとひめのみこと

    古事記

    倭比賣命

    やまとひめのみこと

    その他

    祀られている主な神社

    桜神宮
    (東京都世田谷区新町3丁目21-3)
    磯部稲村神社
    (茨城県桜川市磯部779番地)
    野々宮神社
    (埼玉県日高市野々宮146)
    野々宮神社
    (長野県松本市大字笹部576)
    宇波刀神社
    (岐阜県安八町森部373番地の10)