弟橘媛
おとたちばなひめ
- 神話・伝説
- 女神・女性
祭神ランキング132位
弟橘媛とは?
弟橘媛は記紀神話などに登場する女神である。『古事記』では弟橘比売命と記され、後世には吾妻大明神や吾妻権現として祀られることもある。日本武尊の妻にあたり、『日本書紀』では穂積氏忍山宿禰の娘で、稚武彦王の母とされている。
日本武尊の東国平定に同行し、相模国から上総国へ海を渡ろうとした際、一行の船は激しい暴風に襲われた。『日本書紀』では、海神が暴風を起こしたと考えた弟橘媛が「私が皇子に代わって海に入ります。皇子が東征の使命を果たせるようお守りください」と願い、自ら海中へ入ったとされる。すると暴風は収まり、船は無事に上総国へ到着することができた。
『古事記』にも同様の入水伝承があり、弟橘比売命は入水に際して、日本武尊と相模国で火攻めに遭った時のことを偲ぶ歌を詠んでいる。その後、日本武尊が東国から帰る途中、足柄の坂で東方を眺めて弟橘比売命を思い出し、「吾妻はや」と嘆いたことが東国を「あづま」と呼ぶ由来になったと伝えられている。
この入水伝承から、弟橘媛は海上安全や航海安全の神として信仰されてきた。また、日本武尊の身代わりとなった夫婦の伝承から、夫婦円満や縁結びの神としても崇敬されている。特に東京湾周辺の神奈川県や千葉県には弟橘媛に関する伝承が多く残り、日本武尊とともに祀る神社もみられる。代表的な神社に神奈川県横須賀市の走水神社、千葉県茂原市の橘樹神社がある。
エピソード
ヤマトタケルの東征に同行した弟橘媛は、相模国(神奈川県)から上総国(千葉県)へ向かう走水の海で、一行を救うために自ら海へ入った。『古事記』では、海峡を支配する渡《わたり》の神が波を起こし、船を巡らせて進めなくしたと語られる。弟橘媛は、自分が皇子に代わって海へ入るので、皇子を無事に東国へ渡らせて帰還させてほしいと願い、菅畳、皮畳、絹畳をそれぞれ八重に敷き、その上に下りた。すると荒波は静まり、船は進めるようになった。
『日本書紀』では経緯が異なる。日本武尊が海を見て、小さな海なので立ち跳びでも渡れそうだと語った後、海上で暴風が起こり、船が漂って進めなくなる。弟橘媛は、海神の仕業であるとして日本武尊に代わり海へ入り、その直後に波が静まったという。記紀はいずれも弟橘媛の入水によって渡海が実現したと伝えるが、嵐が起きた理由や入水時の描写は同一ではない。弟橘媛は単に東征に付き従った妻ではなく、日本武尊が使命を続けるために欠かせない役割を果たした人物として描かれている。
出典・参考:『古事記』中巻「景行天皇」、『日本書紀』巻第七「景行天皇紀」、國學院大學古典文化学事業「走水海」
『古事記』の弟橘媛は、海へ入る直前に、相模国でヤマトタケルが火攻めに遭った出来事を歌に詠んでいる。歌は、相模の野で燃え上がる火の中に立った時、自分の身を案じて声をかけてくれた夫を懐かしむ内容である。弟橘媛は死を前にした嘆きそのものではなく、かつて危機の中で示された日本武尊の気遣いを歌として残したのである。
この歌が置かれているのは『古事記』であり、『日本書紀』の入水場面には収められていない。また『古事記』では、入水から七日後、弟橘媛が身につけていた櫛だけが海辺に流れ着く。人々はその櫛を拾い、墓を造って納めたとされる。遺体ではなく櫛を形見として葬る結末は、弟橘媛の死を土地に刻む役割を果たしている。神奈川県横須賀市の走水神社にはこの歌を刻んだ歌碑があり、現在も入水伝承を伝えている。歌碑は明治43年(1910年)に建立され、弟橘媛の物語が近代以降も愛と献身の象徴として受け継がれてきたことを示している。
出典・参考:『古事記』中巻「景行天皇」、横須賀市「走水神社」、國學院大學古典文化学事業「走水神社」
弟橘媛の入水後、ヤマトタケルは東国での戦いを終え、大和へ帰る途上で亡き妻を思い出した。『古事記』では、相模国(神奈川県)と駿河国(静岡県)の境にあたる足柄の坂に立ち、東を振り返って吾妻はやと三度嘆いたとされる。吾妻は、ここでは我が妻を意味し、この言葉によって東国が阿豆麻《あづま》と呼ばれるようになったと語られている。
『日本書紀』では、日本武尊が弟橘媛を思い出して吾嬬はやと嘆く場所を碓日嶺《うすひのみね》とする。碓日嶺の比定地には諸説があり、一般には群馬県と長野県の境にある碓氷峠周辺と考えられている。このように場所は記紀で異なるが、弟橘媛への追慕が東国を表すあづまの語源になったという筋立ては共通している。弟橘媛は走水の海を鎮めた女性としてだけでなく、広大な東国の呼称に結びつく存在となった。後世に弟橘媛を吾妻大明神や吾妻権現として祀る信仰が広がった背景にも、この地名起源説話がある。
出典・参考:『古事記』中巻「景行天皇」、『日本書紀』巻第七「景行天皇紀」、國學院大學古典文化学事業「足柄之坂」「阿豆麻」
弟橘媛の信仰は、入水伝承の舞台となった浦賀水道の両岸に深く根づいている。神奈川県横須賀市の走水神社はヤマトタケルと弟橘媛を祭神とする。弟橘媛を祀っていた橘神社は、もとは走水近くの旗山崎に鎮座していたが、明治時代に同地が軍用地となったため移され、明治42年(1909年)に走水神社へ合祀された。『古事記』が伝える櫛の漂着と墓の物語も、この地域の信仰と結びつけて伝えられている。
対岸の上総国にあたる千葉県茂原市の橘樹神社では、弟橘媛を中心に日本武尊と父の忍山宿禰を祀る。社伝では、日本武尊が弟橘媛を哀れみ、橘の木を墓標として植えたことを創始とする。境内の社殿後方には弟橘媛の墓と伝えられる墳丘があり、同社は古くから橘様と呼ばれて親しまれてきた。こうした神社では、記紀の入水物語が地域固有の墓所伝承や祭祀へ発展している。弟橘媛は荒海を鎮めた神として海上安全を守るとともに、日本武尊と対になって祀られることで、夫婦円満や縁結びを願う信仰も集めている。
出典・参考:國學院大學古典文化学事業「走水神社」、横須賀市「走水神社」、茂原市「橘樹神社」、千葉県公式観光サイト「橘樹神社」
出典文献
古事記
日本書紀
先代旧事本紀
神格
ご神徳
別称・異称
おとたちばなひめのみこと
古事記
弟橘媛おとたちばなひめ
日本書紀/先代旧事本紀
弟媛おとひめ
先代旧事本紀
橘媛たちばなのひめ
先代旧事本紀
弟橘姫命おとたちばなひめのみこと
ッその他
橘姫命たちばなひめのみこと
その他
橘比売命たちばなひめのみこと
その他
祀られている主な神社
橘樹神社
(千葉県茂原市本納738番地)
縣神社
(千葉県大網白里市土気飛地1876番地)
吾妻神社
(千葉県木更津市吾妻2-7-55)
熱田神社
(東京都台東区今戸2-13-6)
大鳥神社
(東京都目黒区下目黒3-1-2)



