逢坂八幡神社 - 神社ファン

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逢坂八幡神社

おうさかはちまんじんじゃ

鳥取県西伯郡大山町松河原232

鳥取県西伯郡大山町松河原232

かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
逢坂八幡神社には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

誉田別尊 ほんだわけのみこと
息長帯姫尊 おきながたらしひめのみこと
田心姫尊 たぎりひめのみこと
湍津姫尊 たぎつひめのみこと
市杵島姫尊 いちきしまひめのみこと
天照皇大神 あまてらすおおみかみ
素盞鳴尊 すさのうのみこと
稲田姫尊 いなたひめのみこと
天穂日尊 あめのほひのみこと
活津彦根尊 いくつひこねのみこと
天津彦根尊 あまつひこねのみこと
熊野久須日尊 くまのくすひのみこと
天之忍穂耳尊 あめのおしほみみのみこと
大山祇尊 おおやまずみのみこと
木花咲耶姫尊 このはなさくやひめのみこと
倉稲魂命 うがのみたまのみこと
武内宿禰命 たけうちすくねのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系

です。
他に 「伊勢・神明系」 「祇園・須佐系」 「五柱男神」 「三島・大山祇系」 「浅間・サクヤビメ系」 「稲荷系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

逢坂八幡神社は鳥取県西伯郡大山町に鎮座する神社。御祭神は、誉田別尊、息長帯姫尊、田心姫尊、湍津姫尊、市杵島姫尊、天照皇大神、素盞鳴尊、稲田姫尊、天穂日尊、活津彦根尊、天津彦根尊、熊野久須日尊、天之忍穂耳尊、大山祇尊、木花咲耶姫尊、倉稲魂命、武内宿禰命の17柱をまつる。
社格は旧郷社。
逢坂八幡神社は、清和天皇の貞観7年(865年)3月、豊前国宇佐八幡宮を勧請して創建されたと伝わる。創建当初は大坂郷の大社宇佐八幡宮と称し、のちに大坂八幡宮と改称した。古くは多くの神田を有し、神官や社僧も多く、神宮寺が付属していた。応仁の乱以後、神田を失い、神官や社僧の数は減少した。
天文12年(1543年)、尼子晴久が当社に祈願し、同年6月5日に神田120石を寄附して社殿を造営した。尼子義久、尼子勝久も崇敬し、尼子氏に関する古文書3通が現存する。豊臣政権下では神田100石が没収され、その後、米子城主中村伯耆守によってさらに20石が没収された。この時、神宮寺の僧侶は廃絶した。慶長3年(1598年)4月には火災により旧記の多くを焼失した。
寛永年間、八橋・汗入両郡の領主池田摂津守利政朝臣が逢坂郷岡村に住し、当社を産土神として崇敬し、毎年祭典費を寄附した。寛永10年(1633年)11月には因伯大守松平相模守が社領高3石5斗8升を寄附した。その後も祈願所として金品の奉納が続いた。弘化3年(1846年)、池田家から幕と提灯が寄附され、以後、丸に揚羽蝶の紋章を用いるようになった。
明治元年(1868年)、社名を逢坂神社と改称し、境内末社の稲荷大明神を合祀した。武内宿禰命は創建当初から相殿に祀られている。大正6年(1917年)、松河原神社、岡神社、殿河内神社を合併した。大正9年(1920年)12月、逢坂八幡神社と改称し、國石神社、塩津神社、高橋神社を摂社とした。
境内にはスギ、シイ、タブノキ、イチョウの大木がある。正保3年(1646年)以降の本殿造営・修復に関する棟札10枚が伝わる。例祭は5月4日で、前夜祭では放生会、だかれ子、浦安の舞が奉納される。例大祭の神幸祭では、延宝6年(1678年)に始まる時代行列が行われ、神輿3基、鳥毛白毛、浦安の舞が伝えられる。旧暦1月15日には管粥神事が行われ、蝮祭も伝わる。
  • 郷社
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出典
公式サイト
http://www.ousaka-hachiman-shrine.com/