有名度
前頭有川神社
ありかわじんじゃ
長崎県南松浦郡新上五島町有川郷1073-1
長崎県南松浦郡新上五島町有川郷1073-1

Goldend1979(wikipedia CC0)
かんたんご利益
- 仕事
- 学業
- 勝負
有川神社には
「仕事系」「学業・技芸系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
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※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
受験合格 学問成就 国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利
御祭神
神社系統
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
有川神社は長崎県南松浦郡新上五島町に鎮座する神社。御祭神は伊邪那美大神、菅原道真公、誉田別神、素戔嗚尊、奇稲田姫、事代主神、大山祇神、海童神、天穂日命、田霧姫神、水波能売命の11柱をまつる。
社格は旧郷社。
有川神社の前身である祖母君神社は、有川郷中筋地区に鎮座していた。寛正4年(1463年)、宇久次郎三郎と家臣の大久保家次に、有川沖の陸ノ瀬にある萬福篭瀬へ陰陽二神が天降ったとの神託があったと伝わる。文明5年(1473年)8月15日に伊邪那美大神を奉斎し、同年11月1日に伊邪那岐大神を奉斎した。伊邪那岐大神は後に浦桑郷の祖父君神社の祭神となった。
祖母君神社はその後、亀地瀬島へ奉遷され、慶長元年(1596年)には陸ノ瀬へ移された。さらに慶長3年(1598年)9月13日、祖母君山へ奉遷され、昭和62年(1987年)の三社合併まで同地に鎮座した。
明治初年の神仏分離により、御神体とされた十一面観音像は船津地区の観音堂へ移された。明治7年(1874年)に村社へ列し、明治39年(1906年)には蛭子神社、大山神社、海童神社などを合祀した。昭和8年(1933年)には郷社へ昇格している。
天満神社は有川郷上有川地区に鎮座していた。安政4年(1857年)の大火で社記類が焼失したため創建年代は不詳である。『有川村郷土史』には、10世紀中頃に有川村の守護神として奉祀され、慶長3年(1598年)に五島玄雅から社領の寄進を受けて現在地へ奉遷したと記されている。明治7年(1874年)に郷社となり、明治13年(1880年)には神饌幣帛料供進神社に指定された。
八幡神社は有川郷浜地区に鎮座していた。こちらも安政4年(1857年)の大火で記録を焼失している。『有川村郷土史』には、白木の弓と白羽の矢を御神体として祀り、弓矢八幡宮と称したと記される。明治7年(1874年)に村社へ列し、明治41年(1908年)に弁財天宮と江孕水神社を合祀した。昭和9年(1934年)には神饌幣帛料供進神社に指定された。
昭和60年(1985年)、祖母君神社・天満神社・八幡神社の三社合併が決定され、天満神社跡地に新社殿が建立された。昭和62年(1987年)の遷座祭を経て現在の有川神社が創建された。
境内には三社から移された鳥居や灯籠、石碑が残されている。有川地区に伝わる有川神楽は、上五島神楽とともに五島神楽の一部として平成28年(2016年)に国の重要無形民俗文化財に指定された。現在も祇園祭や10月の例大祭で奉納されている。
社格は旧郷社。
有川神社の前身である祖母君神社は、有川郷中筋地区に鎮座していた。寛正4年(1463年)、宇久次郎三郎と家臣の大久保家次に、有川沖の陸ノ瀬にある萬福篭瀬へ陰陽二神が天降ったとの神託があったと伝わる。文明5年(1473年)8月15日に伊邪那美大神を奉斎し、同年11月1日に伊邪那岐大神を奉斎した。伊邪那岐大神は後に浦桑郷の祖父君神社の祭神となった。
祖母君神社はその後、亀地瀬島へ奉遷され、慶長元年(1596年)には陸ノ瀬へ移された。さらに慶長3年(1598年)9月13日、祖母君山へ奉遷され、昭和62年(1987年)の三社合併まで同地に鎮座した。
明治初年の神仏分離により、御神体とされた十一面観音像は船津地区の観音堂へ移された。明治7年(1874年)に村社へ列し、明治39年(1906年)には蛭子神社、大山神社、海童神社などを合祀した。昭和8年(1933年)には郷社へ昇格している。
天満神社は有川郷上有川地区に鎮座していた。安政4年(1857年)の大火で社記類が焼失したため創建年代は不詳である。『有川村郷土史』には、10世紀中頃に有川村の守護神として奉祀され、慶長3年(1598年)に五島玄雅から社領の寄進を受けて現在地へ奉遷したと記されている。明治7年(1874年)に郷社となり、明治13年(1880年)には神饌幣帛料供進神社に指定された。
八幡神社は有川郷浜地区に鎮座していた。こちらも安政4年(1857年)の大火で記録を焼失している。『有川村郷土史』には、白木の弓と白羽の矢を御神体として祀り、弓矢八幡宮と称したと記される。明治7年(1874年)に村社へ列し、明治41年(1908年)に弁財天宮と江孕水神社を合祀した。昭和9年(1934年)には神饌幣帛料供進神社に指定された。
昭和60年(1985年)、祖母君神社・天満神社・八幡神社の三社合併が決定され、天満神社跡地に新社殿が建立された。昭和62年(1987年)の遷座祭を経て現在の有川神社が創建された。
境内には三社から移された鳥居や灯籠、石碑が残されている。有川地区に伝わる有川神楽は、上五島神楽とともに五島神楽の一部として平成28年(2016年)に国の重要無形民俗文化財に指定された。現在も祇園祭や10月の例大祭で奉納されている。
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神社詳細
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E5%B7%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E5%B7%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE
