有名度
前頭上位千栗八幡宮
ちくりはちまんぐう
佐賀県三養基郡みやき町大字白壁2415
佐賀県三養基郡みやき町大字白壁2415

そらみみ(wikipedia CC 表示-継承 4.0)
かんたんご利益
- 仕事
- 子供
- 安全
千栗八幡宮には
「仕事系」「子供系」「安全系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
出世開運 安産子育て 交通安全 海上安全
御祭神
主祭神
応神天皇 おうじんてんのう
主祭神
仲哀天皇 ちゅうあいてんのう
主祭神
神功皇后 じんぐうこうごう
配神
難波皇子 なにわのおうじ
配神
宇治皇子 うじのおうじ
配神
住吉明神 すみよしみょうじん
配神
武内宿禰 たけのうちのすくね
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。他に 「住吉系」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
千栗八幡宮は佐賀県三養基郡みやき町に鎮座する神社。御祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、難波皇子、宇治皇子、住吉明神、武内宿禰の7柱をまつる。
社格は肥前国一宮、旧国幣小社、現在は別表神社。
千栗八幡宮の創建は神亀元年(724)と伝えられる。肥前国養父郡司の壬生春成が千栗山へ狩りに出た際、弓先に八幡大神の使いとされる白鳩が止まり、その夜、白髪の翁が千個の栗を盛った盆を枕元に置き、この地に八幡神をまつるよう告げる夢を見たという。翌日、千栗山には逆さに植えられた千個の栗から一夜にして栗の木が生い茂っており、春成は八幡大神の神託として社を創建したと伝わる。「千栗」を「ちりく」と読むのも、栗を逆さにしたことから「くり」を逆に読んだためと伝えられている。
承平年間(931~938)には宇佐八幡宮の別宮となり、のちに宇佐神宮の式外五所八幡別宮の一つに数えられた。中世には肥前国一宮と称された。
南北朝時代には千栗八幡宮の西に千栗城が築かれ、その後、周辺では戦乱が続いた。戦国時代には社殿も戦火によって焼失し、天正11年(1583)に龍造寺政家が再興した。
龍造寺氏に続いて肥前を治めた鍋島氏も千栗八幡宮を崇敬した。慶長3年(1598)、鍋島直茂は社領200石を寄進し、慶長14年(1609)には表坂下に石造の肥前鳥居を奉納した。その後も鍋島家歴代の崇敬を受け、江戸時代には社殿の修造が行われた。
明治36年(1903)に県社へ昇格し、昭和15年(1940)には国幣小社に列した。昭和23年(1948)には神社本庁の別表神社となった。令和6年(2024)には創建1300年を迎え、社殿の一部改修や一の鳥居の改修などの記念事業が行われた。
境内へは146段の石段が続く。正参道入口には、慶長14年(1609)に鍋島直茂が奉納した肥前鳥居が建つ。「千栗八幡宮一の石鳥居」の名称で昭和54年(1979)7月12日にみやき町指定重要文化財となった。また、千栗八幡宮が所蔵する「千栗八幡宮縁起絵」2幅は、平成5年(1993)3月31日に佐賀県指定重要文化財となっている。
3月15日には御粥祭「お粥だめし」が行われる。2月26日に炊いた粥を銅製の鉢に盛り、東西南北を定めて肥前・肥後・筑前・筑後の4か国に分けて本殿に納め、3月15日に粥に生じたカビの状態から、その年の天候や農作物の出来具合などを占う。
8月1日の名越祭では、茅の輪をくぐる「輪くぐりさん」が行われる。9月15日の例祭は放生会で、御神幸と行列浮立が奉納される。行列浮立では伝統的な衣装をまとった人々が列を組み、鐘、笛、太鼓を奏でながら五穀豊穣を祈願する。
社格は肥前国一宮、旧国幣小社、現在は別表神社。
千栗八幡宮の創建は神亀元年(724)と伝えられる。肥前国養父郡司の壬生春成が千栗山へ狩りに出た際、弓先に八幡大神の使いとされる白鳩が止まり、その夜、白髪の翁が千個の栗を盛った盆を枕元に置き、この地に八幡神をまつるよう告げる夢を見たという。翌日、千栗山には逆さに植えられた千個の栗から一夜にして栗の木が生い茂っており、春成は八幡大神の神託として社を創建したと伝わる。「千栗」を「ちりく」と読むのも、栗を逆さにしたことから「くり」を逆に読んだためと伝えられている。
承平年間(931~938)には宇佐八幡宮の別宮となり、のちに宇佐神宮の式外五所八幡別宮の一つに数えられた。中世には肥前国一宮と称された。
南北朝時代には千栗八幡宮の西に千栗城が築かれ、その後、周辺では戦乱が続いた。戦国時代には社殿も戦火によって焼失し、天正11年(1583)に龍造寺政家が再興した。
龍造寺氏に続いて肥前を治めた鍋島氏も千栗八幡宮を崇敬した。慶長3年(1598)、鍋島直茂は社領200石を寄進し、慶長14年(1609)には表坂下に石造の肥前鳥居を奉納した。その後も鍋島家歴代の崇敬を受け、江戸時代には社殿の修造が行われた。
明治36年(1903)に県社へ昇格し、昭和15年(1940)には国幣小社に列した。昭和23年(1948)には神社本庁の別表神社となった。令和6年(2024)には創建1300年を迎え、社殿の一部改修や一の鳥居の改修などの記念事業が行われた。
境内へは146段の石段が続く。正参道入口には、慶長14年(1609)に鍋島直茂が奉納した肥前鳥居が建つ。「千栗八幡宮一の石鳥居」の名称で昭和54年(1979)7月12日にみやき町指定重要文化財となった。また、千栗八幡宮が所蔵する「千栗八幡宮縁起絵」2幅は、平成5年(1993)3月31日に佐賀県指定重要文化財となっている。
3月15日には御粥祭「お粥だめし」が行われる。2月26日に炊いた粥を銅製の鉢に盛り、東西南北を定めて肥前・肥後・筑前・筑後の4か国に分けて本殿に納め、3月15日に粥に生じたカビの状態から、その年の天候や農作物の出来具合などを占う。
8月1日の名越祭では、茅の輪をくぐる「輪くぐりさん」が行われる。9月15日の例祭は放生会で、御神幸と行列浮立が奉納される。行列浮立では伝統的な衣装をまとった人々が列を組み、鐘、笛、太鼓を奏でながら五穀豊穣を祈願する。
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神社詳細
摂末社・境内社
例祭
歳旦祭 1月1日
お粥祭、祈年祭(春季大祭) 3月15日
名越祭 8月1日
秋季大祭(放生会) 9月15日
御神幸 9月第3日曜日
お火焚き神事 12月31日
お粥祭、祈年祭(春季大祭) 3月15日
名越祭 8月1日
秋季大祭(放生会) 9月15日
御神幸 9月第3日曜日
お火焚き神事 12月31日
文化財
千栗八幡宮縁起絵
佐賀県 重要文化財
絵画 平成5年3月31日指定
絵画 平成5年3月31日指定
肥前鳥居(第一鳥居)
みやき町 有形文化財
文化財種別不明 昭和54年7月指定
文化財種別不明 昭和54年7月指定
建築
本殿 入母屋造
神紋
情報募集
出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%A0%97%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
佐賀県
https://www.pref.saga.lg.jp/list02364.html
みやき町
https://www.town.miyaki.lg.jp/kanko/map/_1235.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%A0%97%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
佐賀県
https://www.pref.saga.lg.jp/list02364.html
みやき町
https://www.town.miyaki.lg.jp/kanko/map/_1235.html
