菟道稚郎子
うじのわきいらつこ/うぢのわきいらつこ
- 神話・伝説
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)

玉蘭斎貞秀(神佛図會)
祭神ランキング175位
菟道稚郎子とは?
菟道稚郎子は記紀に登場する皇族である。『日本書紀』では菟道稚郎子、『古事記』では宇遅能和紀郎子などと記される。第15代応神天皇と宮主宅媛との間に生まれ、『日本書紀』では後の仁徳天皇となる大鷦鷯尊の異母弟にあたる。一方、『古事記』では系譜や兄弟関係の記述が異なっている。
『日本書紀』によれば、応神天皇は百済から渡来した阿直岐に皇子の師となるよう命じ、さらに阿直岐の推薦によって王仁が招かれた。菟道稚郎子は王仁を師としてさまざまな典籍を学び、その内容に通じたという。応神天皇から寵愛され、皇太子に立てられた。
応神天皇は菟道稚郎子を後継者とする一方、大鷦鷯尊には天下を治めることを助けるよう命じたとされる。しかし応神天皇が崩御すると、菟道稚郎子は大鷦鷯尊こそ天皇にふさわしいとして即位を辞退した。大鷦鷯尊も父帝が菟道稚郎子を皇太子としたことを理由に即位せず、二人の間で皇位を譲り合う状態となった。
『日本書紀』では、この状態が3年にわたって続いた後、菟道稚郎子は自ら命を絶ち、大鷦鷯尊に皇位を譲ったとされる。大鷦鷯尊はその死を深く悲しみ、のちに即位して仁徳天皇となった。一方、『古事記』でも大雀命と宇遅能和紀郎子が天下を譲り合ったことが記されているが、宇遅能和紀郎子については早く亡くなったとするのみで、自ら命を絶ったとは記していない。このため、菟道稚郎子の最期については記紀で伝承が異なっている。
菟道稚郎子は現在の京都府宇治市と深い関係を持つ皇子でもある。宇治に宮を構えて暮らしたと伝えられ、宇治神社や宇治上神社では菟道稚郎子を祭神として祀っている。両社はもともと一体的な神社として信仰され、宇治上神社を上社、宇治神社を下社と呼んでいた。明治時代に分かれて現在の二社となった。
「菟道」は古く宇治を表す表記として用いられた。宇治神社には、菟道稚郎子が道に迷った際に一羽の兎が現れ、振り返りながら正しい道へ導いたという伝承もあり、振り返る兎は「みかえり兎」として知られている。学問に優れた皇子であったことから学業成就や合格祈願の神として信仰されるほか、宇治神社では道を正しく導く神としても崇敬されている。代表的な神社は京都府宇治市の宇治神社、宇治上神社である。
エピソード
『日本書紀』によれば、応神天皇は百済から渡来した阿直岐に皇子の教育を任せた。天皇が阿直岐へ自分より優れた学者がいるかと尋ねると、阿直岐は王仁を推薦した。王仁は日本へ渡り、菟道稚郎子の師となって諸典籍を教えたという。王仁は『論語』と『千字文』を伝えた人物としても語られるが、『千字文』の成立年代との関係などから、この伝承をそのまま歴史的事実とみなすことには慎重さが求められる。
それでも『日本書紀』が菟道稚郎子を大陸の学問に通じた皇子として描いていることは重要である。応神天皇は菟道稚郎子の聡明さを愛し、皇太子に定めたとされる。現在、宇治神社では幼少から学問を修めた祭神にちなみ、菟道稚郎子を学業成就や受験合格の神として祀っている。
菟道稚郎子の学問神としての神格は、単に若い皇子であったことから生じたのではない。渡来人から新しい知識を学び、次代の統治者として期待されたという『日本書紀』の人物像を基礎としている。
出典・参考:『日本書紀』応神天皇十五年・十六年・四十年条、宇治神社「宇治神社とは」
応神天皇は菟道稚郎子を皇太子とし、年長の皇子であるオオサザキには国政を補佐させた。ところが天皇が崩御すると、菟道稚郎子は年長者が天下を治めるべきだとして、オオサザキへ即位を勧めた。オオサザキは先帝の意思を変えることはできないと辞退し、両者が皇位を譲り合ったため、『日本書紀』では天皇の空位が三年間続いたとされる。
『日本書紀』の菟道稚郎子は、空位を終わらせるため自ら命を絶つ。驚いたオオサザキが遺体に取りすがると、皇子は一時的に蘇り、妹の八田皇女を後宮へ迎えるよう言い残して再び亡くなったという。オオサザキはその後に即位し、仁徳天皇となった。
一方、『古事記』にも二人が天下を譲り合ったことは記されるが、菟道稚郎子の自死や一時的な蘇生は語られない。皇子が早く亡くなったため、オオサザキが天下を治めたと簡潔に記す。兄へ皇位を譲るため自害した皇子という広く知られた姿は、主として『日本書紀』に基づくものである。
出典・参考:『古事記』応神天皇段、『日本書紀』仁徳天皇即位前紀
菟道稚郎子は宇治に宮を構えたと伝えられ、その宮は菟道宮または桐原日桁宮と呼ばれる。宇治神社と宇治上神社の鎮座地周辺は、その宮跡に関係する場所と伝承されてきた。両社はかつて宇治離宮明神と総称され、宇治上神社を上社、宇治神社を下社とする一体の社であったが、明治時代に分かれた。
宇治神社には、菟道稚郎子が河内国から宇治へ向かう途中で道に迷った際、一羽の兎が振り返りながら正しい道へ案内したという伝承がある。この兎は「みかえり兎」と呼ばれ、祭神の使いとして正しい道や良縁へ導く存在とされる。ただし、この話は記紀本文には見えない神社伝承である。
菟道稚郎子は皇位に就かなかった皇子であるが、宮居を置いた宇治では土地の守護神として祀られ続けた。学問に優れた人物像と、進むべき道を示す兎の伝承が結びつき、現在では学業成就、合格祈願、道開きの信仰を集めている。
出典・参考:『日本書紀』仁徳天皇即位前紀、京都府「世界文化遺産 宇治上神社」、宇治神社「宇治神社とは」
出典文献
古事記
日本書紀
ご神徳
別称・異称
うじのわきいらつこ
古事記
菟道稚郎子皇子うじのわきいらつこ
日本書紀
宇治稚郎子命うじのわきいらつこのみこと
その他
兎道稚郎皇子うじのわきいらつこのみこと
先代旧事本紀
宇治若郎子うじのわきいらつこのみこと
山城国風土記
祀られている主な神社
宇治神社
(京都府宇治市宇治山田1)
宇治上神社
(京都府宇治市宇治山田59)
紅葉八幡宮
(福岡県早良区高取一丁目26番55号)
若宮八幡社
(大分県杵築市大字宮司336)
野木神社
(栃木県野木町大字野木2408)
