仲哀天皇(帯中津日子命)
ちゅうあいてんのう(たらしなかつひこのみこと)
- 神話・伝説
- 男神・男性

玉蘭斎貞秀(神佛図會)

玉蘭斎貞秀(神佛図會)
祭神ランキング28位
仲哀天皇(帯中津日子命)とは?
帯中津日子命は記紀神話などに登場する男神であり、日本の第14代仲哀天皇のことである。日本書紀での名は足仲彦天皇。ヤマトタケルの子であり、后に神功皇后がいる。実在性は定かでなく、伝承上の人物とも目されている。容姿端麗で背が高いとの記述があり、父であるヤマトタケルが白鳥となり天に昇った際は、彼を偲んで諸国に白鳥を献上するよう命じた逸話が残っている。ところが、このとき異母弟の蘆髪蒲見別王が、焼けば白鳥も黒鳥になるという趣旨の言葉を述べて献上される白鳥を奪ったため、帯中津日子命は先帝と父に対する不敬であるとして誅殺させた。
先帝が崩御した2年後に即位し、謀反を起こした熊襲を討つため親征した。筑紫の橿日宮に赴いた時、神功皇后に神がかりが起こり、海の向こうに金銀や宝に満ちた国があるとの託宣を受けるが、帯中津日子命はこれを信じなかった。神は、その国を帯中津日子命が得ることはなく、神功皇后の胎内にいる御子が治めることになると告げた。『古事記』では神託を疑った帯中津日子命が琴を弾くのをやめ、やがて琴の音が途絶えたため火を灯すと、すでに崩御していたとされる。『日本書紀』では神託に従わなかった後、突然病を得て崩御したとされる一方、熊襲との戦いで敵の矢を受けたという異伝も記されている。
帯中津日子命は、神功皇后がその神霊を祀ったことを起源とする香椎宮の主祭神である。また、氣比神宮をはじめ、応神天皇と神功皇后を祀る各地の八幡神社でも、応神天皇の父、神功皇后の夫として祀られている。代表的な神社には香椎宮、氣比神宮、大宮八幡宮、大崎八幡宮などがある。
エピソード
日本武尊は東国からの帰途に伊勢国で亡くなり、その魂は白鳥となって天へ飛び去ったと伝えられる。仲哀天皇が即位した時、父が亡くなった年齢を思い、深い悲しみを語った。日本武尊は二十歳にも満たない仲哀天皇を残して亡くなっており、父子が共に過ごした時間は長くなかったのである。
仲哀天皇は父の魂を象徴する白鳥を陵の周囲に置き、その姿を眺めることで父を偲ぼうと考えた。そこで諸国に命じ、白鳥を献上させることにした。越国からは四羽の白鳥が届けられることになったが、使者が運んでいる途中、仲哀天皇の異母弟である蘆髪蒲見別王が白鳥を奪ってしまう。王は焼けば白鳥も黒鳥になるという趣旨の言葉を述べたとされる。
この知らせを聞いた仲哀天皇は、これは単に鳥を奪ったのではなく、先帝であり父でもある日本武尊を侮辱する行為だとして激しく怒った。そして兵を遣わし、蘆髪蒲見別王を誅殺させた。白鳥に父の魂を重ね、手元に置いて慰めとしようとした仲哀天皇の強い追慕が伝わる逸話である。
出典・参考:『日本書紀』巻第八 仲哀天皇紀
仲哀天皇は熊襲を討つため、神功皇后とともに筑紫の橿日宮へ赴いた。そこで神功皇后に神がかりが起こり、神は海の向こうに金銀や宝物に満ちた国があると告げた。仲哀天皇は高い場所に登って海を見渡したものの、そのような国は見えなかったため、神の言葉を疑った。
『古事記』では、神功皇后が神託を受け、武内宿禰が神の言葉を聞く役を務める中、仲哀天皇は琴を弾いていたとされる。神は、海の向こうの国を仲哀天皇が治めることはなく、神功皇后の胎内にいる御子が治めることになると告げた。それでも仲哀天皇は素直に信じず、琴を弾くことにも身を入れなかった。
やがて暗闇の中で琴の音が途絶えた。武内宿禰が仲哀天皇に琴を弾き続けるよう呼びかけたが、返事はなかった。火を灯して確かめると、仲哀天皇はすでに崩御していたという。
『日本書紀』にも同様の神託が記されているが、琴の音が止まって崩御が判明する場面は『古事記』の伝承である。神の言葉を疑った天皇の死と、その胎内に次代を担う御子を宿した神功皇后を対照的に描く物語となっている。
出典・参考:『古事記』中巻 仲哀天皇条、『日本書紀』巻第八 仲哀天皇紀
仲哀天皇の崩御について、『日本書紀』は一つだけでなく、異なる伝承を記録している。本文では、神功皇后を通じて下された神託を受け入れなかった仲哀天皇が、突然病にかかり、翌日に崩御したとされる。『日本書紀』は、神の言葉を用いなかったために早く亡くなったという趣旨で、その死を説明している。
一方、本文に付された異伝では、仲哀天皇は熊襲を討つため自ら戦場へ向かい、敵の矢を受けたことが原因で崩御したとされている。神託に背いたため病を得たという伝承と、熊襲との戦いで戦死したという伝承が並べて残されているのである。
仲哀天皇の崩御後、神功皇后と武内宿禰はその死を秘した。遺骸は海路で穴門の豊浦宮へ運ばれ、灯火を用いずに殯が行われたことから無火殯斂と呼ばれた。天皇の死を公にしなかったのは、熊襲との戦いや海の向こうへの遠征を控えた緊迫した状況で、軍や人々の動揺を防ぐためであったと考えられる。
仲哀天皇の死は、神託の物語だけで完結するものではない。複数の伝承が残されていること自体が、その崩御をめぐって古くからさまざまな語りが存在していたことを示している。
出典・参考:『日本書紀』巻第八 仲哀天皇紀
福岡県福岡市に鎮座する香椎宮は、仲哀天皇を祀る代表的な神社である。社伝によれば、仲哀天皇は熊襲征伐のため筑紫へ赴き、橿日宮を拠点としたが、この地で崩御した。神功皇后は夫である仲哀天皇の神霊を祀るため、橿日宮に廟を建てたという。これが香椎宮の起源とされている。
神亀元年、神功皇后の神託を受けた朝廷は香椎廟の造営を命じ、翌年に完成した。仲哀天皇を祀る廟と神功皇后を祀る廟が並び、両者を合わせて香椎廟と呼んだ。香椎宮が一般的な神社とは異なり、古くから廟と称されてきたのは、仲哀天皇と神功皇后の御霊を祀る場所として成立したためである。
香椎宮の近くには、仲哀天皇の橿日宮があったと伝えられる古宮跡も残されている。仲哀天皇は記紀神話では神託を信じなかった天皇として語られることが多いが、香椎宮では神功皇后と並ぶ中心的な祭神であり、地域と皇室を守護する神として崇敬されてきた。
仲哀天皇を紹介するうえで、香椎宮は数多くある祭祀社の一つではない。その崩御の地とされ、神功皇后が自ら御霊を祀ったとの由緒を持つ、仲哀天皇信仰の中心となる神社である。
出典・参考:香椎宮公式サイト、福岡市経済観光文化局「福岡市の文化財」
仲哀天皇は香椎宮だけでなく、各地の八幡神社にも祀られている。八幡神として広く信仰される応神天皇の父であり、神功皇后の夫であることから、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇の三柱をともに祀る神社があるためである。東京都の大宮八幡宮や宮城県の大崎八幡宮などが、その代表例となっている。
ただし、すべての八幡神社が仲哀天皇を祭神としているわけではない。八幡信仰の中心は応神天皇であり、神社の由緒や祭神構成によって神功皇后、比売大神、仲哀天皇などが合わせて祀られる。仲哀天皇は、応神天皇へと続く皇統と神功皇后の物語を結ぶ神として、八幡信仰の中に位置づけられている。
福井県敦賀市の氣比神宮でも仲哀天皇は祀られている。氣比神宮の由緒によれば、大宝2年に文武天皇の勅命によって社殿が造営され、主祭神の伊奢沙別命に加え、仲哀天皇、神功皇后、日本武尊、応神天皇、玉姫命、武内宿禰が合祀されたという。
氣比の地は、仲哀天皇が即位以前に住んだ笥飯宮の伝承とも関係が深い。仲哀天皇は香椎宮で御霊を祀られるだけでなく、氣比信仰や八幡信仰の中でも、神功皇后や応神天皇との結びつきを通して祀られてきたのである。
出典・参考:氣比神宮公式サイト、大宮八幡宮公式サイト、大崎八幡宮公式サイト
出典文献
古事記
日本書紀
先代旧事本紀
新撰姓氏録
播磨国風土記
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
たらしなかつひこのみこと
古事記
帯中日子天皇たらしなかつひこのすめらみこと
古事記
帯中津日子天皇たらしなかつひこのすめらみこと
古事記
足仲彦尊たらしなかつひこのみこと
日本書紀/先代旧事本紀
仲哀天皇ちゅうあいてんのう
日本書紀/先代旧事本紀/新撰姓氏録
足仲彦天皇たらしなかつひこのすめらみこと
日本書紀/先代旧事本紀/新撰姓氏録
足仲彦王尊たらしなかつひこのみことのみこと
先代旧事本紀
帯中日子命たらしなかつひこのみこと
播磨国風土記
帯中津比古命たらしなかつひこのみこと
その他
帯仲彦天皇たらしなかつひこのすめらみこと
その他
帯仲比古尊たらしなかつひこのみこと
その他
帯仲津彦命たらしなかつひこのみこと
その他
足中彦命たらしなかつひこのみこと
その他
足中彦皇命たらしなかつひこすめのみこと
その他
足仲彦命たらしなかつひこのみこと
その他
足仲津彦命たらしなかつひこのみこと
その他
足仲津彦天皇たらしなかつひこのすめらみこと
その他
足仲津彦尊たらしなかつひこのみこと
その他
祀られている主な神社
大宮八幡宮
(東京都杉並区大宮2-3-1)
穴八幡宮
(東京都新宿区西早稲田2-1-11)
氣比神宮
(福井県敦賀市曙町11-68)
大崎八幡宮
(宮城県青葉区八幡4-6-1 )
大宝八幡宮
(茨城県下妻市大宝667番地)
