岡田宮 - 神社ファン

有名度

前頭

岡田宮

おかだぐう

福岡県北九州市八幡西区岡田町1-1

福岡県北九州市八幡西区岡田町1-1

拝殿

Hiroyuki0904(wikipedia パブリック・ドメイン)

かんたんご利益

御祭神

熊手宮

八所宮

八所宮

八所宮

八所宮

八所宮

八所宮

八所宮

八所宮

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」

です。
他に 「出雲・オオナムチ系」 「少彦名系」 「不明(1柱)」 「宮中八神系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

岡田宮は福岡県北九州市八幡西区に鎮座する神社。御祭神は神日本磐余彦命、大国主命、少名彦神、県主熊鰐命、高皇産霊神、神皇産霊神、玉留産霊神、生産霊神、足産霊神、大宮売神、事代主神、御膳神の12柱をまつる。
社格は旧村社。
岡田宮の起こりは、古代に崗地方(旧遠賀郡)を治めていた熊族が、洞海・菊竹浜に祖先神を奉斎したことに始まると伝えられる。その神社は岡田の宮と称され、この地は熊手と呼ばれた。
神武天皇は日向国から東征する途中、この地に立ち寄り、天神地祇の八神である八所神を奉斎してしばらく滞在したと伝えられる。また、仲哀天皇8年(199年)には、神功皇后が三韓征討に向かう際、崗県主の祖である熊鰐の案内によって熊手出岬(現在の皇后崎)に至り、岡田宮で八所神を親祭したと伝承されている。
古くの岡田宮は、岡田宮・熊手宮・八所宮の三宮からなり、洞海船留や皇后崎津、太宰府官道に関わる地に鎮座していた。社領18所、末寺9坊を有したと伝えられ、地域の信仰を集めた。
天慶3年(940年)、藤原純友追討の際には、小野好古と源経基が戦勝を祈願して参詣し、三環鈴を奉納した。建久5年(1194年)には、宇都宮上野介重業が岡田宮の祭祀を波多野重満大夫藤原兼直に奉仕させたと伝えられる。
永禄2年(1559年)、大友宗麟の兵火によって社殿が焼失したが、永禄8年(1565年)に麻生上総介元重が再興した。再建を伝える棟札は現在も残されている。
慶長10年(1605年)、黒崎城築城に伴い、岡田宮は現在地へ遷座した。以後、福岡藩の祈祷社ならびに黒崎宿の産土神として崇敬され、福岡藩主や長崎街道を往来する諸大名の社参や奉幣が行われた。慶応元年(1865年)には、三条実美が大宰府へ向かう途中に参詣し、和歌を奉納している。
境内には、小野好古と源経基が奉納したと伝わる三環鈴や、永禄8年(1565年)の再建を伝える棟札が伝えられている。また、毎年7月には岡田宮へ奉納される黒崎祇園山笠が執り行われる。黒崎祇園山笠は約400年の歴史を有する祭礼で、岡田宮の代表的な祭事として受け継がれている。このほか、7月の祇園大祭、9月の放生大祭、10月18日・19日の秋季大祭などが行われている。
  • 村社
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出典
公式サイト
https://okadagu.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E5%AE%AE