有名度
前頭国庁裏神社
こくちょうりじんじゃ
鳥取県倉吉市国分寺426番
鳥取県倉吉市国分寺426番

かんたんご利益
- 恋愛
- 健康
- 仕事
- 子供
国庁裏神社には
「恋愛系」「健康系」「仕事系」「子供系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
縁結び 五穀豊穣 商売繁盛 子授け 病気平癒
御祭神
大己貴命 おおなむちのみこと
少彦名命 すくなひこなのみこと
木花之開耶姫命 このはなさくやひめのみこと
保食神 うけもちのかみ
大山祇命 おおやまつみのみこと
櫛稲田姫神 くしいなだひめのかみ
素盞嗚神 すさのおのかみ
大国主神 おおくにぬしのかみ
品陀和気命 ほんだわけのみこと
玉依姫命 たまよりひめのみこと
天児屋根命 あめのこやねのみこと
神社系統
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
国庁裏神社は鳥取県倉吉市に鎮座する神社。御祭神は大己貴命、少彦名命、木花之開耶姫命、保食神、大山祇命、櫛稲田姫神、素盞嗚神、大国主神、品陀和気命、玉依姫命、天児屋根命の11柱をまつる。
社格は伯耆国の総社であり、旧県社。
創立年代は不詳である。社伝では、上古、伯耆国国造となった大八木足尼が国庁を八代に設け、大国主命と少名毘古那命の2柱を国庁内に祀り、これを国庁裏神社と称したと伝えられる。元明天皇2年(709年)11月、国司金上元為は政務の多忙により国内の神社を巡拝できなかったため、国内の神社を一か所に集めて祭祀を行い、総社としての形が整えられたと伝わる。貞観15年(873年)4月、『日本三代実録』には伯耆国の無位国庁裏神に従五位下を授けた記事が見え、この記録にあらわれる神は当社に比定されている。
中古以降は総社、あるいは伯耆国総社大明神と称された。慶安5年(1652年)の造営では藩主から人足1,000人と材木丈木が寄進され、延宝5年(1677年)には公儀米15石と材木が寄進された。さらに元禄15年(1702年)の造営においても、公儀米15石と材木丈木50丁が寄進されている。文政3年(1820年)には藩士柴野郡左衛門らが山林1段7畝8歩を寄進した。文政13年には転法輪殿御家森寺長門守から祈願料として白銀20枚が永世寄進された。
文久元年(1861年)、現在の本殿が建立された。明治初年には社名を国庁裏神社と改め、郷社に列した。その後、近代社格制度において県社となった。
社殿には文久元年(1861年)建立の本殿が現存する。伯耆国庁跡に関係する地に鎮座し、社号にも国庁との関係が残されている。祭礼日は4月21日とされる。
社格は伯耆国の総社であり、旧県社。
創立年代は不詳である。社伝では、上古、伯耆国国造となった大八木足尼が国庁を八代に設け、大国主命と少名毘古那命の2柱を国庁内に祀り、これを国庁裏神社と称したと伝えられる。元明天皇2年(709年)11月、国司金上元為は政務の多忙により国内の神社を巡拝できなかったため、国内の神社を一か所に集めて祭祀を行い、総社としての形が整えられたと伝わる。貞観15年(873年)4月、『日本三代実録』には伯耆国の無位国庁裏神に従五位下を授けた記事が見え、この記録にあらわれる神は当社に比定されている。
中古以降は総社、あるいは伯耆国総社大明神と称された。慶安5年(1652年)の造営では藩主から人足1,000人と材木丈木が寄進され、延宝5年(1677年)には公儀米15石と材木が寄進された。さらに元禄15年(1702年)の造営においても、公儀米15石と材木丈木50丁が寄進されている。文政3年(1820年)には藩士柴野郡左衛門らが山林1段7畝8歩を寄進した。文政13年には転法輪殿御家森寺長門守から祈願料として白銀20枚が永世寄進された。
文久元年(1861年)、現在の本殿が建立された。明治初年には社名を国庁裏神社と改め、郷社に列した。その後、近代社格制度において県社となった。
社殿には文久元年(1861年)建立の本殿が現存する。伯耆国庁跡に関係する地に鎮座し、社号にも国庁との関係が残されている。祭礼日は4月21日とされる。
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