粟嶋神社 和歌山県 - 神社ファン

有名度

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粟嶋神社

あわしまじんじゃ

和歌山県海南市下津町方1101番地

和歌山県海南市下津町方1101番地

社号標

聖石大戦ぶぅぶぅ(wikipedia CC 表示-継承 4.0)

かんたんご利益

  • 子供
粟嶋神社には

「子供系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

婦人病治癒 安産・子授け

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

あわしま系

です。
他に 「八幡系」 「えびす系」 「伊勢・神明系」 「祇園・須佐系」 「稲荷系」 「不明(1柱)」 「白髭・猿田彦系」 「宗像・厳島系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

粟嶋神社は和歌山県海南市に鎮座する神社。御祭神は少名毘古那神、應神天皇、事代主神、天照皇大神、祇園天神、倉稲魂神、崇徳天皇、猿田彦命、市杵島姫命の9柱をまつる。
社格は旧村社。
社伝によれば、景行天皇2年に少名毘古那神が硯浦に漂着し、21戸の村民が近くの森に祀ったことを創祀とする。神功皇后に関わる伝承も残り、三韓征伐の折に勅使を立てて祈願しようとしたが、風浪のため渡島できず、遠方から奉幣したと伝えられる。凱旋後には報賽として神像や陣太鼓、衣類を奉納したとされ、海上守護と安産の信仰が重ねられてきた。
文永年間には参拝の便を考えて硯浦から現在地へ遷座したとされる。あわせて浜中荘の領家であった仁和寺から神地の寄進を受けたと伝えられ、中世には社頭の整備が進んだ。その後、粟嶋信仰は地域外にも広がり、宝永4年には現在の大分県佐伯市米水津方面から金幣が奉納され、寛政9年には上州山田郷の信者によって神橋が寄進された。海上交通と結びついた信仰圏の広がりが、これらの奉納からうかがえる。
祭祀は創祀に関わった21戸の子孫によって継承され、後に大頭講という宮座が組織された。近世には神主家である宮本氏の系譜が続き、明治期に村社となり、明治末年には周辺5社を合祀した。
文化財としては、社前の池に架かる石造神橋が海南市指定文化財である。寛政9年の寄進によるもので、かつては宮川に架かり参道の一部をなしていたが、平成2年の河川改修に伴い現在地へ移設された。祭礼は10月13日の例祭に加え、4月3日のひな祭が行われ、粟嶋信仰に基づく祭事が現在も継承されている。
  • 村社
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神社詳細

摂末社・境内社

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例祭

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文化財

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建築

本殿 春日造銅板葺

神紋

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%9F%E5%B6%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E6%B5%B7%E5%8D%97%E5%B8%82)
和歌山県神社庁
https://wakayama-jinjacho.or.jp/