敏馬神社 - 神社ファン

有名度

前頭

敏馬神社

みぬめじんじゃ

兵庫県神戸市灘区岩屋中町4丁目1−8

兵庫県神戸市灘区岩屋中町4丁目1−8

拝殿

Bakkai(wikipedia CC 表示 3.0)

かんたんご利益

ご利益

縁切り

御祭神

主祭神

素盞烏命 すさのおのみこと

配祀神

天照皇大神 あまてらしますすめおおかみ

配祀神

熊野産大神 くまのにますおおかみ

配祀神

稲倉魂神 うたのみたまのかみ

神社系統

この神社の主な系統は

祇園・須佐系

です。
他に 「伊勢・神明系」 「熊野系」 「稲荷系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

敏馬神社は兵庫県神戸市灘区に鎮座する神社。御祭神は素盞烏命、天照皇大神、熊野産大神、稲倉魂神の4柱をまつる。
社格は式内であり、旧県社
『摂津国風土記』逸文には、敏馬神社の創建に関する伝承が記されている。神功皇后が新羅征伐に際し、川辺郡神前松原で戦勝祈願を行ったところ、猪名川上流の能勢・美奴売山の神が現れ、山の杉で船を造れば勝利できると告げたとされる。その神意に従って勝利を得た帰途、古代に岬状であった当地沖で船が進まなくなり、占いによってこれが神意であると知り、この地に美奴売神を祀ったのが創建の起こりと伝えられる。
この伝承は『住吉大社神代記』に見える猪名川・武庫川の女神の説話とも関連し、当該地域における古い水神信仰の存在を示す。また、『摂津国風土記』逸文には豊受大神が丹波国へ遷る以前に摂津国稲倉山に鎮座していたとする記述があり、この稲倉山を猪名川上流域に比定する説もある。
『延喜式』玄蕃寮の条には、新羅からの賓客来朝の際、生田神社で醸した酒を当地で振る舞ったことが記されており、難波の鴻臚館と並ぶ饗応の場であったことがうかがえる。また『延喜式神名帳』には「摂津国八部郡○売神社」として記載され、小社に列している。
当地は都から難波を経て西国へ向かう航路上の最初の宿泊地であり、西国から帰京する際には大和の山並みが望まれる地点でもあった。そのため柿本人麻呂、大伴旅人、田辺福麻呂ら多くの歌人が和歌を詠んだ地として知られる。江戸時代には与謝蕪村も度々訪れ、西国街道に面した立地から陸海双方の参詣者で賑わった。
近代に入ると、明治6年(1873年)8月に村社に列格し、昭和5年(1930年)9月に県社へ昇格した。本殿の建つ丘の下にはかつて湧水が存在したが、阪神・淡路大震災以降は涸渇したと伝えられる。
1995年の阪神・淡路大震災では本殿と社務所が崩壊したが、その後7年をかけて再建された。境内には航海の安全を祈って奉納された弁財船絵馬が伝わり、これは市指定有形民俗文化財として知られる。海運と酒造で栄えた地域の歴史を今に伝える資料であり、敏馬神社が港町神戸の古層を伝える存在であることをよく示している。祭礼は10月に行われ、古社としての信仰は現在も地域の中で生きている。
  • 県社
  • 式内社(小)
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神社詳細

摂末社・境内社

末社 水神社
弥都波能売神
みずはのめのかみ
末社 奥の宮
伊邪那岐大神
いざなぎのおおかみ
伊邪那美大神
いざなみのおおかみ
末社 后の宮
神功皇后
末社 松尾神社
金山彦神
かなやまひこのかみ
大山祇神
おおやまつみのかみ
船玉神
ふなたまのかみ

例祭

例祭 10月10日

文化財

樽廻船絵馬
神戸市 有形民俗文化財
文化財種別不明 文化財指定日不明

建築

本殿 流造

神紋

情報募集

出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%8F%E9%A6%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE
神戸市
https://www.city.kobe.lg.jp/a21651/kanko/bunka/bunkazai/estate/bunkazai/index.html
兵庫県神社庁
https://www.hyogo-jinjacho.com/