熊野神
くまののかみ
- 神話・伝説
- 総称

祭神ランキング81位
熊野神とは?
熊野神は、紀伊国(現在の和歌山県と三重県南部)の熊野三山、すなわち熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社に祀られる神々の総称である。熊野大神とも呼ばれ、神仏習合のもとでは熊野権現として信仰された。
熊野三山の中心となる神々は、熊野本宮大社の家都美御子大神、熊野速玉大社の熊野速玉大神、熊野那智大社の熊野夫須美大神であり、三柱を熊野三所権現と呼ぶ。現在の三山では、家都美御子大神をスサノオ、熊野速玉大神をイザナギ、熊野夫須美大神をイザナミと同一視している。ただし、これは熊野信仰における祭神上の同一視であり、記紀が同一神と記しているわけではない。
三山は互いの祭神を祀り合い、三所権現、五所王子、四所明神からなる十二柱を熊野十二所権現として祀っている。もとは熊野川、神倉山の磐座、那智大滝などに対する自然信仰をそれぞれの起源とし、後に三山が一体化したと考えられている。
平安時代以降に神仏習合が進むと、家都美御子大神には阿弥陀如来、熊野速玉大神には薬師如来、熊野夫須美大神には千手観音が本地仏として配された。熊野は現世と来世の救済、滅罪、再生を願う霊場となり、上皇や貴族から武士、庶民へと信仰が広がった。熊野の神々は各地へ勧請され、現在も全国の熊野神社で祀られている。ご利益は国土安穏、無病息災、開運招福、厄除け、縁結び、安産守護など多岐にわたる。
熊野神を祀る中心的な神社は、熊野本宮大社(和歌山県田辺市)、熊野速玉大社(和歌山県新宮市)、熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)の熊野三山である。
エピソード
熊野神は一柱の神を指すのではなく、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社に祀られる神々の総称である。現在は三社を一体の熊野三山としているが、それぞれの信仰は熊野の異なる自然環境から生まれたと考えられている。
熊野本宮大社は、かつて熊野川の中洲にある大斎原《おおゆのはら》に鎮座し、熊野川の力を背景とする信仰の中心となった。主祭神は家都御子神であり、熊野三山の神々をまとめる證誠権現《しょうじょうごんげん》として信仰された。
熊野速玉大社の信仰は、神倉山にある巨大な磐座《いわくら》、ゴトビキ岩を神々の降臨地とする伝承に始まる。熊野の神々が神倉山から現在地へ遷ったため、古い鎮座地に対して新しい宮を意味する「新宮」と呼ばれるようになった。主神は熊野速玉大神である。
熊野那智大社では、生命の根源となる水を絶えず流す那智大滝が古くから神として崇められた。主祭神の熊野夫須美大神は、万物を生み結ぶ神とされ、那智大社は結宮《むすびのみや》とも呼ばれている。
川、磐座、滝という異なる自然信仰を基盤とした三社は、互いの祭神を祀り合うことで一体化した。熊野神が多くの神々からなるのは、熊野各地の聖地と神々が一つの信仰体系へまとめられたためである。
出典・参考:熊野三山協議会「熊野三山の歴史」、熊野本宮大社公式サイト「熊野本宮大社について」、熊野速玉大社公式サイト「熊野信仰のはじまり」、熊野那智大社公式サイト
熊野三山の中心となる三柱の神は、熊野三所権現と呼ばれる。本宮の家都御子神、新宮の熊野速玉大神、那智の熊野夫須美大神である。現在の熊野三山では、家都御子神をスサノオ、熊野速玉大神をイザナギ、熊野夫須美大神をイザナミと同一視して祀っている。
平安時代に神仏習合が進むと、熊野の神々は、人々を救うために仏が神の姿で現れた権現と考えられるようになった。家都御子神には極楽浄土へ導く阿弥陀如来、熊野速玉大神には病苦を救う薬師如来、熊野夫須美大神には現世の願いを救う千手観音が本地仏として配された。三柱は来世、過去世、現世にわたって人々を救う神々として信仰されたのである。
熊野三山では三所権現だけでなく、五所王子と四所明神を合わせた十二柱を熊野十二所権現として祀るようになった。五所王子には天照大神、アメノオシホミミ、ニニギ、ホオリ、ウガヤフキアエズが組み込まれ、四所明神には火、土、水、食物の生成に関わる神々が配された。
三所から十二所へ広がった祭神構成は、熊野信仰が自然神、記紀神話の神々、皇祖神、仏菩薩を取り込みながら、現世と来世のさまざまな願いに応える信仰へ発展したことを示している。
出典・参考:熊野本宮大社公式サイト「熊野本宮大社について」、熊野速玉大社公式サイト「熊野信仰のはじまり」、熊野三山協議会「熊野三山の歴史」
平安時代になると、熊野三山は神仏習合による救済の霊場として朝廷の信仰を集めた。延喜7年(907年)の宇多法皇による熊野御幸《くまのごこう》をはじめ、歴代の上皇や女院が都から険しい道を越えて熊野へ参詣した。後白河法皇は34回、後鳥羽上皇は29回もの熊野御幸を行ったと伝えられている。
熊野詣では、単に願いをかなえるための参拝ではなかった。長い参詣路を歩き、熊野の山や川で身を清め、神仏の前で罪や穢れを祓うことによって、それまでの自分を離れ、新たな命を得て帰る甦りの信仰とされた。熊野本宮の阿弥陀如来は来世、速玉の薬師如来は過去世、那智の千手観音は現世を救うとされ、熊野三山を巡ることで過去、現在、未来にわたる加護を願ったのである。
鎌倉時代以降になると、熊野信仰は皇族や貴族だけでなく、武士や庶民へも広がった。熊野は身分、性別、貧富を問わず参詣者を受け入れる霊場とされ、大勢の人々が列をなして熊野街道を歩く様子は、蟻の行列にたとえて「蟻の熊野詣」と呼ばれた。
熊野神に国土安穏、無病息災、厄除け、開運、縁結びなど多様な神徳が結びついたのは、熊野が特定の一願だけでなく、人の一生と死後にわたる救済を説く霊場として発展したためである。
出典・参考:熊野本宮大社公式サイト「熊野本宮大社について」、熊野速玉大社公式サイト「熊野信仰のはじまり」、熊野三山協議会「熊野三山の歴史」「熊野那智大社・那智大滝」
熊野三山は都から遠く、険しい参詣路を越えなければ到達できない霊場であった。そのため、熊野へ参詣できない人々も神徳を受けられるよう、熊野の神々が各地へ勧請され、熊野神社、熊野社、十二所神社などが建立された。
熊野信仰を各地へ伝えたのが、山岳で修行する山伏や、熊野比丘尼《くまのびくに》と呼ばれる女性宗教者である。熊野比丘尼は熊野の神仏や地獄、極楽を描いた絵を持ち歩き、絵解きをしながら熊野権現の救済を説いた。熊野の御師《おし》は参詣者の案内や宿泊を担い、各地の信者と熊野三山を結びつけた。
熊野信仰は陸上の参詣路だけでなく、海上交通によっても広がった。また、熊野三山の神領となった荘園の鎮守として祀られた例や、本宮、新宮、那智の三社を一組として勧請し、土地の山や川、滝を新たな熊野三山に見立てた例もある。
熊野三山協議会の調査では、北海道から沖縄県まで4,776社の熊野神社が確認されている。ただし、各地の熊野神社が祀る神々は一様ではない。三所権現や十二所権現をまとめて祀る神社もあれば、家都御子神、熊野速玉大神、熊野夫須美大神の一柱または二柱を中心とする神社、イザナギ、イザナミ、スサノオ、泉津事解之男神などを組み合わせる神社もある。熊野神が祭神数ランキングで上位となる背景には、この全国的な勧請と地域ごとに異なる祭神構成がある。
出典・参考:熊野三山協議会「全国の熊野神社」「各種統計資料」、熊野速玉大社公式サイト「熊野信仰のはじまり」、熊野本宮大社公式サイト「熊野本宮大社について」
出典文献
神仏習合の神
ご神徳
別称・異称
くまのごんげん
その他
熊野大神くまのおおかみ
その他
祀られている主な神社
天河大弁財天社
(奈良県天川村坪内107)
熊野神社
(千葉県柏市高田626番地)
八柱神社
(愛知県岡崎市欠町字石ケ崎52)
大山祇神社
(京都府南丹市園部町大河内溝ノ上5)
淀川神社
(大阪府都島区毛馬町1-2-11)
