有名度
前頭多賀神社
たがじんじゃ
鹿児島県鹿児島市清水町32-32
鹿児島県鹿児島市清水町32-32

かんたんご利益
- 健康
- 子供
多賀神社には
「健康系」「子供系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
子宝 長寿
御祭神
伊邪那岐尊命 いざなぎのみこと
配祀神
天照皇大神 あまてらすすめおかみ
配祀神
豊受姫大神 とようけひめおかみ
配祀神
瓊々杵尊 ににぎのみこと
配祀神
天児屋根命 あまこやねのみこと
配祀神
天太玉命 あまふとたまのみこと
配祀神
手力男命 たちからみこと
配祀神
栲幡千々姫命 たぐはたちぢひめのみこと
神社系統
この神社の主な系統は
「多賀系」
です。他に 「伊勢・神明系」
「不明(1柱)」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
多賀神社は鹿児島県鹿児島市に鎮座する神社。御祭神は伊邪那岐尊命、天照皇大神、豊受姫大神、瓊々杵尊、天児屋根命、天太玉命、手力男命、栲幡千々姫命の8柱をまつる。
社格は旧郷社。
多賀神社は天正7年(1579年)2月6日、第16代島津義久が近江国の多賀大社から勧請して創建した神社である。義久は、多賀大社の御祭神が寿命神として広く信仰されていることを聞き、領内万民の保命を願って創建を計画した。
天正6年(1578年)、義久は鷲頭不動院を近江国へ遣わし、遷魂を執行した。翌天正7年(1579年)2月6日、現在地に鎮座した。
創建後は島津氏歴代藩主の崇敬を受け、鹿児島城下の北東に位置する清水町で信仰を集めた。戦前から戦中にかけては多くの参拝者が訪れ、社勢も隆盛であった。
由緒には、長く子宝に恵まれなかった夫婦が祈願によって子を授かったことや、瀕死の重病者が一命を取り留めたことが記されている。
境内には、配祀神として旧鶴江崎神社がまつられている。鶴江崎神社は、第21代藩主島津吉貴が宝永3年(1706年)9月15日に江戸芝神明宮から勧請した神社で、大正5年(1916年)2月14日に春日町から多賀神社へ合祀された。
例祭は5月16日に行われる。10月16日の秋祭は「薑の祭」と呼ばれ、葉付きの薑に薑符を付け、麻で巻いたものを神前に供えた後、参拝者へ授与する。この薑を受けると1年間無病息災で過ごせると伝えられている。
社格は旧郷社。
多賀神社は天正7年(1579年)2月6日、第16代島津義久が近江国の多賀大社から勧請して創建した神社である。義久は、多賀大社の御祭神が寿命神として広く信仰されていることを聞き、領内万民の保命を願って創建を計画した。
天正6年(1578年)、義久は鷲頭不動院を近江国へ遣わし、遷魂を執行した。翌天正7年(1579年)2月6日、現在地に鎮座した。
創建後は島津氏歴代藩主の崇敬を受け、鹿児島城下の北東に位置する清水町で信仰を集めた。戦前から戦中にかけては多くの参拝者が訪れ、社勢も隆盛であった。
由緒には、長く子宝に恵まれなかった夫婦が祈願によって子を授かったことや、瀕死の重病者が一命を取り留めたことが記されている。
境内には、配祀神として旧鶴江崎神社がまつられている。鶴江崎神社は、第21代藩主島津吉貴が宝永3年(1706年)9月15日に江戸芝神明宮から勧請した神社で、大正5年(1916年)2月14日に春日町から多賀神社へ合祀された。
例祭は5月16日に行われる。10月16日の秋祭は「薑の祭」と呼ばれ、葉付きの薑に薑符を付け、麻で巻いたものを神前に供えた後、参拝者へ授与する。この薑を受けると1年間無病息災で過ごせると伝えられている。
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