淵神社 - 神社ファン

有名度

前頭

淵神社

ふちじんじゃ

長崎県長崎市淵町8番1号

長崎県長崎市淵町8番1号

拝殿

Ke Ki(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 仕事
  • 金運
淵神社には

「仕事系」「金運系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

商売繁盛 金運

御祭神

主祭神

田心姫命 たごりひめのみこと

主祭神

市杵島姫命 いちきしまひめのみこと

主祭神

湍津姫命 たぎつひめのみこと

相殿

天御中主神 あまのみなかぬしのかみ

相殿

高御産巣日神 たかみむすひのかみ

相殿

神産巣日神 かみむすひのかみ

相殿

菅原大神 すがわらのおおかみ

相殿

金毘羅大神 こんぴらだいじん

神社系統

この神社の主な系統は

宗像・厳島系

です。
他に 「造化三神系」 「天満・天神系」 「金毘羅系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

淵神社は長崎県長崎市に鎮座する神社。御祭神は田心姫命、市杵島姫命、湍津姫命、天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、菅原大神、金毘羅大神の8柱をまつる。
社格は旧県社。
淵神社の起源は、延命寺の開基である龍宣が宝珠山万福寺を建立し、その鎮守社として弁財天を祀ったことに始まる。稲佐山の山麓に広がる淵の地では、万福寺と弁財天社が並び立ち、地域の信仰を集めていた。
しかし天文年間(1532~1555年)、万福寺と弁財天社はキリシタンによって焼失した。その後、寺院と社殿は長く再建されない状態が続いた。
寛永11年(1634年)、万福寺と弁財天社は再建された。再建後の弁財天社は淵村の総鎮守となり、地域の祭祀が執り行われるようになった。江戸時代には稲佐山の麓に位置する神社として知られ、後に歌川広重が描いた『六十余州名所図会』「肥前 長崎 稲佐山」にも、淵神社周辺の風景が描かれている。
明治元年(1868年)の神仏分離令により、弁財天社は神社として改められた。祭神は宗像三女神に改められ、社名も淵神社となった。さらに明治7年(1874年)5月には村社に列格している。
昭和18年(1943年)、淵神社は県社に昇格した。昭和20年(1945年)8月9日の長崎原爆により本殿は倒壊したが、昭和35年(1960年)に再建され、現在に至っている。
現在の淵神社は稲佐山の山麓に鎮座している。境内の近くには長崎ロープウェイの淵神社駅があり、稲佐山山頂へ向かうロープウェイの発着地点としても親しまれている。
境内には複数の境内社が祀られている。宝珠稲荷神社は豊川稲荷から勧請された神社であり、桑姫社には大友宗麟の娘と伝わるキリシタンの桑姫が祀られている。桑姫社では桑姫の命日にあたる8月7日に例祭が執り行われる。また、高木稲荷神社は長崎代官を務めた高木家の邸内社として祀られていたもので、その後は三菱重工長崎造船所所長邸の邸内社となり、昭和56年(1981年)に淵神社境内へ遷座された。
淵神社の秋季例大祭は「稲佐くんち」と呼ばれ、毎年10月に斎行される。地域の人々によって受け継がれてきた祭礼であり、現在も淵地区の年中行事として親しまれている。
  • 県社
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神社詳細

摂末社・境内社

境内社 宝珠稲荷神社
祭神不明
摂社 桑姫社
桑姫
境内社 高木稲荷神社
祭神不明
境内社 十二支神社
祭神不明

例祭

秋季例大祭(稲佐くんち) 10月

文化財

情報募集

建築

情報募集

神紋

情報募集

出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B5%E7%A5%9E%E7%A4%BE