有名度
前頭高原熊野神社
たかはらくまのじんじゃ
和歌山県田辺市中辺路町高原1120番地
和歌山県田辺市中辺路町高原1120番地

高原熊野神社以外にも 高原王子 とも呼ばれます。
かんたんご利益
- 健康
- 安全
高原熊野神社には
「健康系」「安全系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国土安泰 延命長寿 無病息災 海上安全
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「熊野系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
高原熊野神社は和歌山県田辺市に鎮座する神社。御祭神は速玉男命、天照大御神、大山祇神(山神)、素盞男命、地主神、猿田彦命(申神)、金刀毘羅神、稲荷神、天満宮の9柱をまつる。
社格は旧村社。
社伝では、応永9年(1402年)に熊野本宮から勧請されたと伝わる。社蔵の御正体である懸仏には、応永10年(1403年)卯月27日の勧請を示す墨書がある。高原は熊野参詣道中辺路に位置し、古くから熊野詣の道筋にあたる地であった。藤原宗忠の日記には、天仁2年(1109年)10月23日に滝尻坂を越え、牟波女坂を経て高原を通り、山中の水飲の仮屋に宿泊した記録がある。承安4年(1174年)には藤原経房が雨天のため高原の小宅で食事をとったことが記されている。
南北朝時代以降、熊野参詣の道筋は潮見峠越えへと移り、高原は参詣者が往来する集落となった。応永34年(1427年)には、足利義満の側室である北野殿が参詣の途中に高原で宿泊したと伝わる。高原熊野神社は、この地の集落と熊野信仰の中で祀られてきた。
本殿は和歌山県指定有形文化財で、昭和36年(1961年)4月18日に指定された。建物は室町時代の一間社春日造、檜皮葺で、棟札から天文13年(1544年)の建立とされる。身舎は内陣と外陣に分かれ、背面を除く三方に縁を巡らせる。庇には連三斗組を用い、中備に蟇股を配する。
境内は国指定名勝「南方曼陀羅の風景地」に含まれる。境内には大樹があり、南方熊楠が神社合祀の時期に関心を寄せた場所の一つとされる。熊野参詣道に沿う立地と室町時代の本殿を伝える。
社格は旧村社。
社伝では、応永9年(1402年)に熊野本宮から勧請されたと伝わる。社蔵の御正体である懸仏には、応永10年(1403年)卯月27日の勧請を示す墨書がある。高原は熊野参詣道中辺路に位置し、古くから熊野詣の道筋にあたる地であった。藤原宗忠の日記には、天仁2年(1109年)10月23日に滝尻坂を越え、牟波女坂を経て高原を通り、山中の水飲の仮屋に宿泊した記録がある。承安4年(1174年)には藤原経房が雨天のため高原の小宅で食事をとったことが記されている。
南北朝時代以降、熊野参詣の道筋は潮見峠越えへと移り、高原は参詣者が往来する集落となった。応永34年(1427年)には、足利義満の側室である北野殿が参詣の途中に高原で宿泊したと伝わる。高原熊野神社は、この地の集落と熊野信仰の中で祀られてきた。
本殿は和歌山県指定有形文化財で、昭和36年(1961年)4月18日に指定された。建物は室町時代の一間社春日造、檜皮葺で、棟札から天文13年(1544年)の建立とされる。身舎は内陣と外陣に分かれ、背面を除く三方に縁を巡らせる。庇には連三斗組を用い、中備に蟇股を配する。
境内は国指定名勝「南方曼陀羅の風景地」に含まれる。境内には大樹があり、南方熊楠が神社合祀の時期に関心を寄せた場所の一つとされる。熊野参詣道に沿う立地と室町時代の本殿を伝える。
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神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
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文化財
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建築
本殿 春日造檜皮葺
神紋
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8E%9F%E7%86%8A%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE
和歌山県神社庁
https://wakayama-jinjacho.or.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8E%9F%E7%86%8A%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE
和歌山県神社庁
https://wakayama-jinjacho.or.jp/
