有名度
前頭上位伊佐爾波神社
いさにわじんじゃ
愛媛県松山市桜谷町173番
愛媛県松山市桜谷町173番

Saigen Jiro(wikipedia パブリック・ドメイン)
伊佐爾波神社以外にも 湯月八幡宮 道後八幡 とも呼ばれます。
かんたんご利益
- 恋愛
- 子供
- 安全
- 厄除
伊佐爾波神社には
「恋愛系」「子供系」「安全系」「厄除・開運系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
庁
安産 心願成就 交通安全 厄除 縁結び
御祭神
公
主祭神
神功皇后 じんぐうこうごう
主祭神
応神天皇 おうじんてんのう
主祭神
仲哀天皇 ちゅうあいてんのう
主祭神
三柱姫大神 みはしらのひめおおかみ
配神
東照大神 とうしょうのおおかみ
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。他に 「東照宮系」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
伊佐爾波神社は愛媛県松山市に鎮座する神社。御祭神は神功皇后、応神天皇、仲哀天皇、三柱姫大神、東照大神の5柱をまつる。
社格は式内社であり、旧県社。
創建年代は明らかではない。社伝では、仲哀天皇と神功皇后が道後温泉へ来湯した際の行宮跡に創建されたと伝える。また、清和天皇の時代(858~876)には、奈良大安寺の僧・行教が伊予国司に請い、道後に建立した八社八幡宮の一社になったと伝えられている。
平安時代に編纂された『延喜式』神名帳には、伊予国温泉郡の伊佐尓波神社として名が載る。社伝では延久5年(1073)、源頼義が河野親経に命じて社殿を再建したと伝える。
伊佐爾波神社は、もとは現在の道後公園付近に鎮座していた。建武年間(1334~1338)頃、河野氏が湯築城を築く際に現在地へ遷され、道後七郡の総守護とされた。その後は河野氏の湯築城鎮守となり、明応年間(1492~1501)には河野氏による社殿の造営が行われた。
江戸時代に入ると、松山藩主・加藤嘉明が松山城を中心に八社八幡を定め、伊佐爾波神社を一番社として武運長久の祈願所とした。慶長8年(1603)には加藤嘉明が社殿を修理し、社領100石を寄進した。
寛文2年(1662)、松山藩3代藩主・松平定長は江戸城で弓の競射を命じられ、湯月八幡宮に必中を祈願した。社伝では、定長は石清水八幡宮と同じ社殿を建立することを誓い、競射で金的を射止めたと伝える。
寛文4年(1664)6月、定長は新たな社殿の造営に着手した。飛騨から工匠を招き、京都の石清水八幡宮を模した八幡造の社殿が建てられ、寛文7年(1667)5月15日に完成した。定長は社領200石も寄進している。現在の伊佐爾波神社には、このとき造営された社殿が残されている。
本殿は前殿と後殿を前後に並べ、その間に相の間を設ける八幡造である。屋根は檜皮葺で、木部には丹塗りや胡粉彩色が施され、正面と向拝の柱には金箔が用いられている。昭和31年(1956)6月28日に本殿が国の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)6月15日には申殿及び廊下、楼門、廻廊などが追加指定された。
楼門から左右へ延びる廻廊が社殿を囲み、本殿の周囲には透塀が巡らされている。末社の高良玉垂社本殿、常盤社新田霊社本殿、石燈籠2基なども重要文化財の附指定を受けている。また、境内に伝わる伊佐爾波神社算額22面は、平成17年(2005)に松山市指定有形民俗文化財となった。
例祭は10月6日に斎行され、10月5日に宵宮、10月7日に神幸祭が行われる。このほか、5月17日には早苗祭が斎行されている。
社格は式内社であり、旧県社。
創建年代は明らかではない。社伝では、仲哀天皇と神功皇后が道後温泉へ来湯した際の行宮跡に創建されたと伝える。また、清和天皇の時代(858~876)には、奈良大安寺の僧・行教が伊予国司に請い、道後に建立した八社八幡宮の一社になったと伝えられている。
平安時代に編纂された『延喜式』神名帳には、伊予国温泉郡の伊佐尓波神社として名が載る。社伝では延久5年(1073)、源頼義が河野親経に命じて社殿を再建したと伝える。
伊佐爾波神社は、もとは現在の道後公園付近に鎮座していた。建武年間(1334~1338)頃、河野氏が湯築城を築く際に現在地へ遷され、道後七郡の総守護とされた。その後は河野氏の湯築城鎮守となり、明応年間(1492~1501)には河野氏による社殿の造営が行われた。
江戸時代に入ると、松山藩主・加藤嘉明が松山城を中心に八社八幡を定め、伊佐爾波神社を一番社として武運長久の祈願所とした。慶長8年(1603)には加藤嘉明が社殿を修理し、社領100石を寄進した。
寛文2年(1662)、松山藩3代藩主・松平定長は江戸城で弓の競射を命じられ、湯月八幡宮に必中を祈願した。社伝では、定長は石清水八幡宮と同じ社殿を建立することを誓い、競射で金的を射止めたと伝える。
寛文4年(1664)6月、定長は新たな社殿の造営に着手した。飛騨から工匠を招き、京都の石清水八幡宮を模した八幡造の社殿が建てられ、寛文7年(1667)5月15日に完成した。定長は社領200石も寄進している。現在の伊佐爾波神社には、このとき造営された社殿が残されている。
本殿は前殿と後殿を前後に並べ、その間に相の間を設ける八幡造である。屋根は檜皮葺で、木部には丹塗りや胡粉彩色が施され、正面と向拝の柱には金箔が用いられている。昭和31年(1956)6月28日に本殿が国の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)6月15日には申殿及び廊下、楼門、廻廊などが追加指定された。
楼門から左右へ延びる廻廊が社殿を囲み、本殿の周囲には透塀が巡らされている。末社の高良玉垂社本殿、常盤社新田霊社本殿、石燈籠2基なども重要文化財の附指定を受けている。また、境内に伝わる伊佐爾波神社算額22面は、平成17年(2005)に松山市指定有形民俗文化財となった。
例祭は10月6日に斎行され、10月5日に宵宮、10月7日に神幸祭が行われる。このほか、5月17日には早苗祭が斎行されている。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
例祭
歳旦祭 1月1日
入試合格祈願祭 1月5日
厄除・星祭 2月3日
紀元祭 2月11日
常磐新田霊社例祭 2月12日
髙良玉垂社例祭 4月8日
早苗祭 5月17日
素鵞社例祭 7月6日
夏越祭 7月30日
宵宮 10月5日
例大祭 10月6日
神幸祭 -神輿渡御 10月7日
綿着・七五三祭 11月15日(11月中)
天長祭 12月23日
大祓式 12月31日
入試合格祈願祭 1月5日
厄除・星祭 2月3日
紀元祭 2月11日
常磐新田霊社例祭 2月12日
髙良玉垂社例祭 4月8日
早苗祭 5月17日
素鵞社例祭 7月6日
夏越祭 7月30日
宵宮 10月5日
例大祭 10月6日
神幸祭 -神輿渡御 10月7日
綿着・七五三祭 11月15日(11月中)
天長祭 12月23日
大祓式 12月31日
文化財
伊佐爾波神社 (本殿 附透塀1棟、申殿及び廊下、楼門、廻廊 附 末社2棟、石燈籠2基、棟札1枚
国 重要文化財
建造物 昭和31年6月28日指定・昭和42年6月15日指定
建造物 昭和31年6月28日指定・昭和42年6月15日指定
太刀 銘 国行
国 重要文化財
工芸品 昭和3年4月4日指定
工芸品 昭和3年4月4日指定
伊佐爾波神社算額
愛媛県 有形民俗文化財
文化財種別不明 平成17年12月27日指定
文化財種別不明 平成17年12月27日指定
建築
本殿 八幡造
神紋
情報募集
出典
公式サイト
https://isaniwa.official.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%BD%90%E7%88%BE%E6%B3%A2%E7%A5%9E%E7%A4%BE
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp
愛媛県
https://ehime-c.esnet.ed.jp/bunkazai/kennobunkazai/ehimenobunkazai.htm
愛媛県神社庁
http://ehime-jinjacho.jp/
https://isaniwa.official.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%BD%90%E7%88%BE%E6%B3%A2%E7%A5%9E%E7%A4%BE
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp
愛媛県
https://ehime-c.esnet.ed.jp/bunkazai/kennobunkazai/ehimenobunkazai.htm
愛媛県神社庁
http://ehime-jinjacho.jp/
