新田義宗
にったよしむね
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング385位
- 武人
南北朝 [1331年~1368年]
新田義宗とは?
新田義宗(?-1368)は南北朝時代の武将。鎌倉幕府を滅亡に追いやった新田義貞の三男。母親は父義貞の正室と言われている。父義貞と長兄の義顕は北朝軍に攻められ北陸で死亡。その後、次兄の義興は母親の身分が低かったために新田家の家督相続人として越後の新田一族に庇護され成長する。長じて、足利家が室町幕府を開き武家の棟梁として政治を担う世になったが、観応の擾乱など幕府に乱れが生じる。この機会をとらえて足利尊氏と敵対した異母弟の足利直義につき、兄義興、従弟の脇屋義治らと共に関東で挙兵する。武蔵国小金原(東京都小金井市)では尊氏と対戦し、その勢いで一時は鎌倉を奪還するが鎌倉を追われた足利基氏は父尊氏と合流し、再度勢いを回復、義宗らは上杉憲顕らの助力を仰ぐが敗戦し越後に落ち延びた。その後、尊氏が没すると再び関東で挙兵するが、勢いは得られず上野沼田荘(群馬県沼田市)において足利軍に敗れ義宗は戦死した。一方では、義宗は落ち延び武蔵国所沢の薬王寺に逃れたうえで一族郎党の菩提を弔ったという異説も存在している。 義宗は群馬県沼田市にある白佐波神社に祭神として祀られている。義宗がこの地で足利軍に矢で撃ちぬかれうつ伏せになって落馬したことから、当地は「うつぶせの森」とも呼ばれている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
八木神社
(新潟県三条市大字北五百川37番地)
城王神社
(徳島県阿波市市場町日開谷字岩野280-3)
新田神社
(徳島県つるぎ町一宇字大横261)
三頭神社
(徳島県美馬市美馬町字三頭山10)
新田神社
(徳島県美馬市穴吹町口山字西谷388)
