脇屋義治
わきやよしはる
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング776位
- 武人
南北朝 [1323年~]
脇屋義治とは?
脇屋義治(1323-?)は鎌倉〜南北朝時代の武士。脇屋義助の子で脇屋義則らの親。新田義貞の甥。上野国(群馬県)を本拠地とする豪族・新田氏の一族・脇屋家に生まれる。1335年、後醍醐天皇に反旗を翻した足利尊氏に対し、義貞率いる官軍との「箱根竹ノ下の戦い」に、義貞の実弟である父と共に出陣。初陣を果たす。以降、後醍醐天皇が樹立した南朝政権に属し各地を転戦した。伯父、父の死後も、義貞の子の新田義興・義宗兄弟と共に、北陸や関東で南朝方の主力として戦い続けた。1352年に南朝の蜂起に呼応し、宗良親王を奉じて上野国で挙兵。一時は鎌倉を占領したが、その後は北朝方に押され越後へ敗走する。1368年に再び挙兵するも、上野沼田荘で敗れ出羽国(山形県・秋田県)へ逃れ消息を断つ。伊予国(香川県)、丹波国(京都府)、伊豆国(静岡県)などには、その後の義治についての伝承が、それぞれに残されている。 義治は新田神社(愛媛県伊予市)や両新田神社(愛媛県松山市)などで祭神としてまつられている。県内各地に義治終焉の地説がある愛媛県には義治をまつる神社は多く、共に南朝を支えた義興・義宗兄弟と合祀されている神社も多く見られる。
ご神徳
ご神徳は不明です。
