宗像三女神 神社の神様 - 神社ファン

宗像三女神

むなかたさんじょしん

  • 神話・伝説
  • 総称
宗像三女神

細田富延(神代正語常磐草)

祭神ランキング97位

宗像三女神とは?

宗像三女神は記紀神話などに登場する三柱の女神の総称である。宗像神、胸形神などとも呼ばれ、日本書紀では「道主貴」と称される。古事記では多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命、日本書紀では田心姫、湍津姫、市杵島姫などと記され、記紀の伝承によって三女神の名前や順序には違いがある。
宗像三女神は天照大神とスサノオが高天原で誓約を行った際に生まれた。古事記では天照大神がスサノオの十拳剣を受け取り、三つに折って噛み砕き、吹き出した霧から三女神が生まれた。続いてスサノオが天照大神の勾玉から五柱の男神を生む。生まれた神々は元となった持ち物の所有者によって親子関係が定められ、スサノオの剣から生まれた宗像三女神はスサノオの子、天照大神の勾玉から生まれた五柱の男神は天照大神の子とされた。
日本書紀では宗像三女神について、天照大神が「筑紫洲の胸肩君等が祭る神」とし、海北道中に降り、歴代天皇を助け、歴代天皇から祭祀を受けるよう命じたとする伝承が記されている。また三女神は「道主貴」とも称される。「貴」は高い神格を示す尊称であり、海上交通を守護する宗像三女神が古くから重要な神として位置づけられていたことがうかがえる。
宗像三女神は北部九州を本拠とした宗像氏によって祀られ、玄界灘を通って朝鮮半島や大陸へ向かう重要な海上交通路の守護神として信仰された。特に宗像大社の沖津宮が鎮座する沖ノ島では、古代から国家的な祭祀が行われた。島内の祭祀遺跡からは鏡、武器、馬具、金製指輪など大量の奉献品が発見され、その多くが国宝に指定されている。こうした遺物は、日本と朝鮮半島・大陸との交流を背景として宗像三女神への祭祀が行われていたことを伝えている。
宗像大社では沖津宮に田心姫神、中津宮に湍津姫神、辺津宮に市杵島姫神を祀り、三宮を合わせて宗像大社とする。宗像三女神への信仰は各地へ広がり、宗像神社や厳島神社などで祀られるようになった。また市杵島姫神は神仏習合によって弁才天と同一視され、後世には芸能や財福など弁才天の神徳とも結びついた。
宗像三女神には海上安全、航海安全、交通安全、大漁祈願などのご利益があるとされる。代表的な神社には宗像大社(福岡県宗像市)、厳島神社(広島県廿日市市)、江島神社(神奈川県藤沢市)などがあり、全国各地の宗像神社、厳島神社などでも広く祀られている。

宗像三女神一覧

エピソード

アマテラスとスサノオの誓約で生まれた三女神
スサノオが高天原へ昇ると、アマテラスは国を奪いに来たのではないかと疑った。スサノオは邪心がないことを証明するため、互いの持ち物から神を生み、その結果によって心の潔白を確かめる誓約《うけい》を提案した。
『古事記』では、アマテラスがスサノオの十拳剣《とつかのつるぎ》を受け取り、三つに折って天真名井《あめのまない》の水ですすいだ。そして剣を噛み砕き、吹き出した霧からタキリビメ、イチキシマヒメ、タギツヒメの三女神が生まれた。
続いてスサノオがアマテラスの勾玉を噛み砕くと、五柱の男神が生まれた。スサノオは自分の持ち物から心の優しい女神が生まれたため、自分に邪心がないことが証明されたとして勝利を宣言した。
三女神を実際に生み出したのはアマテラスであるが、誕生の材料となった十拳剣はスサノオの持ち物だった。このため『古事記』では三女神をスサノオの子とし、五柱の男神をアマテラスの子としている。宗像三女神は、二柱の神の誓約によって生まれた特別な女神たちなのである。

出典・参考:『古事記』、『日本書紀』神代巻



玄界灘の海上交通路を守る道主貴
宗像三女神は、九州北部から朝鮮半島へ続く海上交通路を守る神として祀られた。『日本書紀』の一書では、三女神が筑紫洲《つくしのしま》へ降り、海北道中《うみきたのみちなか》に鎮座したと記されている。海北道とは、九州北部から玄界灘を越えて朝鮮半島へ向かう海路を指す。
三女神は「道主貴《みちぬしのむち》」とも称される。「貴」は特に尊い神へ贈られる尊称であり、道主貴とはあらゆる道を司る最も尊い神という意味である。海路だけでなく、陸路を含む交通全体を守る神としても信仰が広がった。
古代の玄界灘は、大陸から文化や技術を受け入れる重要な道である一方、潮流が複雑で航海の難しい海域だった。遣隋使や遣唐使をはじめ、大陸へ渡る船にとって、宗像三女神の加護を得ることは航海の安全に直結する重要な祈りであった。
宗像三女神が現在も航海安全、交通安全、旅行安全の神として信仰されるのは、古代から国家と大陸を結ぶ海の道を守ってきたことに由来する。

出典・参考:『日本書紀』神代巻一書、『宗像大菩薩御縁起』



三つの宮で祀られる宗像三女神
宗像大社は、沖ノ島の奥津宮《おきつみや》、大島の中津宮《なかつみや》、九州本土の辺津宮《へつみや》という三つの宮から構成される。現在は奥津宮に田心姫神《たごりひめのかみ・タキリビメ》、中津宮に湍津姫神《たぎつひめのかみ・タギツヒメ》、辺津宮に市杵島姫神《いちきしまひめのかみ・イチキシマヒメ》を祀っている。
一方、『古事記』ではタキリビメを奥津宮、イチキシマヒメを中津宮、タギツヒメを辺津宮に祀ると記される。奥津宮の女神は共通するが、中津宮と辺津宮の女神が現在の宗像大社とは入れ替わっている。
『日本書紀』には三女神の誕生順や鎮座地が異なる複数の一書があり、古代から伝承が一つに統一されていたわけではない。神名の表記にも、田心姫、多紀理毘売、湍津姫、多岐都比売、市杵島姫、市寸島比売などの違いがある。
三つの宮は、九州本土から大島、さらに沖ノ島へと続く海上の道に沿って鎮座している。三女神がそれぞれの場所から航海を見守ることで、宗像地域から大陸へ延びる海路全体を守る信仰が形づくられたのである。

出典・参考:『古事記』、『日本書紀』神代巻、宗像大社「御由緒」



沖ノ島に残る古代国家の祭祀
宗像大社の奥津宮が鎮座する沖ノ島では、古墳時代から平安時代にかけて国家的な祭祀が行われた。島内では四世紀後半から九世紀末頃までの祭祀遺跡が確認され、大陸との航海安全や国家の安泰を願って、宗像三女神へさまざまな品が捧げられた。
祭祀の場所は、巨大な岩の上から岩陰、半岩陰、地表へと時代によって変化した。鏡、武器、装身具、馬具、金製指輪、唐三彩など国内外の品々が出土し、その数は約八万点に及ぶ。これらは一括して国宝に指定され、沖ノ島が「海の正倉院」と呼ばれる理由となっている。
沖ノ島の祭祀には、宗像地域を治め、海上交通を担った宗像氏が深く関わった。宗像氏は三女神を氏神として祀り、大陸との外交や交易を支える一族として朝廷から重んじられた。
宗像三女神は、漁民や船乗りだけの守護神ではない。沖ノ島の祭祀遺跡は、三女神が古代国家の外交、交易、航海を支える重要な神として祀られていたことを現在に伝えている。

出典・参考:『日本書紀』、文化庁「神宿る島 宗像・沖ノ島と関連遺産群」、宗像大社神宝館資料



弁才天と習合し全国へ広がった信仰
宗像三女神のうち、イチキシマヒメは神仏習合によって弁財天《べんざいてん》と同一視された。弁才天は水との関係が深い仏教の女神であり、同じく水辺や島に祀られるイチキシマヒメと神格が重なったのである。
広島県廿日市市の厳島神社では、市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命の三女神を祀っている。社殿が海上に建てられた厳島神社では、三女神は瀬戸内海の航海と平家をはじめとする人々の信仰を集めた。
神奈川県藤沢市の江島神社でも、奥津宮に多紀理比売命《たきりひめのみこと》、中津宮に市寸島比売命《いちきしまひめのみこと》、辺津宮に田寸津比売命《たぎつひめのみこと》を祀る。江戸時代までは江島弁才天として信仰され、芸能、財運、福徳をもたらす神として多くの参詣者を集めた。
こうした神仏習合によって、宗像三女神の信仰は航海安全や交通安全にとどまらず、芸能上達、商売繁盛、財運、福徳などへ広がった。明治時代の神仏分離後も、厳島神社や江島神社では宗像三女神への信仰が受け継がれている。

出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、厳島神社公式サイト、江島神社公式サイト



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神格

海の神 水の神 航海の神 芸能の神

ご神徳

海上安全 交通安全 大漁祈願 商売繁盛 芸能上達 財運向上 子孫繁栄

別称・異称

宗像大神

むなかたのおおかみ

その他

道主貴

みちぬしのむち

その他

祀られている主な神社

宇佐神宮
(大分県宇佐市大字南宇佐2859)
阿智神社
(岡山県倉敷市本町12-1)
伊佐爾波神社
(愛媛県松山市桜谷町173番)
大富神社
(福岡県豊前市四郎丸256番)
石狩弁天社
(北海道石狩市弁天町22-8)