和貴宮神社 - 神社ファン

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和貴宮神社

わきのみやじんじゃ

京都府宮津市宮本428

京都府宮津市宮本428

鳥居と拝殿

漱石の猫(wikipedia CC 表示-継承 4.0)

かんたんご利益

  • 仕事
和貴宮神社には

「仕事系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家隆昌 生命力向上 五穀豊穣

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

伊勢・神明系

です。
他に 「不明(4柱)」 「水分系」 「ワタツミ系」 「白髭・猿田彦系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

和貴宮神社は京都府宮津市に鎮座する神社。御祭神は天照大神、伊邪那美命、豊受毘賣神、伊邪那岐命、天水分神、天御中主神、海津見命、猿田彦神、国常立尊、阿賀姫神の10柱をまつる。
社格は旧村社。
創建時期は不詳であるが、境内の記念碑には応永28年(1421年)に社殿が創建されたと刻まれている。社蔵の棟札などの記録には、永正2年(1505年)9月、慶長17年(1612年)9月、正徳元年(1711年)および正徳3年(1713年)の造営が見え、近世に至るまで繰り返し営繕が行われてきたことが確認できる。しかし正徳2年(1712年)には火災により社殿が焼失し、古文書類も失われたと伝わる。
江戸時代の和貴宮神社は、宮津城下町における町人の社として崇敬を集めた。境内を囲む玉垣には、西日本各地からの寄進者の名が刻まれており、北前船の往来を背景に広域から参詣があったことを示している。玉垣には豪商銭屋五兵衛の名も残り、海運と結びついた信仰の厚さを具体的に伝えている。
慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦直前、細川忠興の留守を衝かれぬよう丹後に残っていた細川氏一族が田辺に集結し籠城した際、宮津の漁師たちが船を出して一門や家臣、食糧を送り届けたと記録される。その褒賞として漁師たちは宮津湾での漁業特権を与えられ、漁師勘左衛門は自宅から浜へ通じる小路を拝領した。この道は「勘左衛門小路」と呼ばれ、和貴宮神社の裏手から海へ通じている。
史料上では、1602年(慶長7年)の宮津下村検地帳に「わきの宮」と記載があり、近世には「分宮」とも称された。『丹後旧事記』には「分の宮 有宮津市場東渚」とあり、社が市場の東域に所在したことが記される。1703年(元禄16年)の古地図にも「分宮」として描かれ、魚屋町が展開する東地域の中心に位置していたことが確認できる。京極氏以前、当地は市場と呼ばれ、漁師村とかじ村が海辺に連なっていたと伝えられる。
宮津は近世早期から海運が発達し、1681年(延宝9年)には10石から300石積の船49艘が記録される。帆船航行が天候に左右された時代にあって、船乗りや回船業者の海上安全祈願は厚く、和貴宮神社もその信仰の拠点の一つであった。北前船の寄港により、参詣者は北陸や関西に及び、その痕跡が玉垣に今も残る。
本殿は一間社流造で屋根は銅板葺である。境内には拝殿や表門が整い、玉垣は日本遺産の構成文化財にも位置付けられている。例祭は5月13日から5月15日にかけて行われ、地域の伝統行事として現在も継承されている。
  • 村社
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神社詳細

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文化財

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建築

本殿 一間社流造銅板葺

神紋

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E8%B2%B4%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE
京都府神社庁
http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/