有名度
前頭桜井神社
さくらいじんじゃ
愛知県安城市桜井町桜林17
愛知県安城市桜井町桜林17

かんたんご利益
- 恋愛
- 仕事
- 厄除
桜井神社には
「恋愛系」「仕事系」「厄除・開運系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
五穀豊穣 縁結び 開運招福
御祭神
主祭神
伊弉諾神 いざなぎのかみ
主祭神
伊弉册神 いざなみのかみ
主祭神
菊理媛神 くくりひめのかみ
合祀
火産霊 ほむすび
配祀
天照皇大神 あまてらすすめおおかみ
合祀
倭姫尊 やまとひめのみこと
合祀
火之迦具土神 ほのかぐつちのかみ
合祀
應神天皇 おうじんてんのう
配祀
八幡大神 やはたのおおかみ
合祀
菅原道真 すがわらみちざね
神社系統
この神社の主な系統は
「白山系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
桜井神社は愛知県安城市に鎮座する神社。御祭神は伊弉諾神、伊弉册神、菊理媛神、火産霊、天照皇大神、倭姫尊、火之迦具土神、應神天皇、八幡大神、菅原道真の10柱をまつる。
社格は式内であり、旧県社。
創建は養老2年(718年)とされ、熊野野田出身の熊勝という行者が、加賀国白山比咩神社から神を勧請してこの地に社を創建し、「碧海大明神」と称したという。一方、垂仁天皇の時代に倭姫尊が当地を巡幸した際、井戸を掘って桜の木を植え、その傍らに村人が祠を建てたことを創始とする別の伝承も伝えられている。
延暦7年(788年)には二子山へ遷座し、さらに弘仁9年(818年)8月下旬に現在の社地である比蘇山へ遷座したとされる。比蘇山という地名との関係から、『延喜式』に見える比蘇神社を当社に比定する見方が示されている。
平安時代には地名にちなみ桜井天神と呼ばれ、鎌倉時代または室町時代には、祭神の天照皇大神にちなみ神明社と称されるようになったとされる。足利氏からの寄進があったことや、大永7年(1527年)に桜井城主松平宗安(松平親房)より社領10石が寄進されたことも伝わっている。
室町時代末期には川島町の白山神を遷座合祀し、社名を白山社と改め、主祭神を伊弉諾神・伊弉册神・菊理媛神としたとされる。永禄6年(1563年)から永禄7年(1564年)にかけての三河一向一揆の際には、徳川家康が戦勝を祈願して成就したことから、以後、徳川家の崇敬を受けたという。
慶長15年(1610年)の墨書や棟札が残ることから、本殿は同年に建立された可能性が高いとされる。慶長19年(1614年)8月28日には、徳川家康より社領50石の朱印寄進を受け、これらの社領は明治維新まで維持された。江戸時代には幕府の指示により桜井権現とも称され、享保20年(1735年)には卜部氏より正一位の神階を受けたと伝えられる。
近代に入ると、1872年(明治5年)11月に郷社に列し、1875年(明治8年)に社名を桜井神社と改めた。1914年(大正3年)10月1日には周辺の諸社を合祀合霊し、1930年(昭和5年)には昭和天皇御大典を記念して社殿が造営された。1932年(昭和7年)11月23日には県社へ昇格している。
境内には国指定史跡である二子古墳が所在し、安城市指定文化財として本殿(1965年11月3日指定)、太刀 銘 兼定、桜井神社文書、絵馬、算額が伝えられている。また無形文化財として「桜井神社のまつり囃子」が1978年に市指定無形民俗文化財となっている。
さらに桜井町に伝わる「棒の手」は、県指定無形民俗文化財(昭和39年指定)であり、式部流として26種の型を伝える武芸である。古記録には1778年(安永7年)に神前で奉納されたことが記されている。
祭礼は3月の祈年祭、10月の例祭、12月の新嘗祭が大祭とされ、例祭にあわせて桜井七ヶ村および城山が持ち回りで神楽を奉納する習わしがある。かつては流鏑馬が例祭神事として行われ、徳川時代には神楽のほか、相撲や花火も奉納されていたと伝えられている。
社格は式内であり、旧県社。
創建は養老2年(718年)とされ、熊野野田出身の熊勝という行者が、加賀国白山比咩神社から神を勧請してこの地に社を創建し、「碧海大明神」と称したという。一方、垂仁天皇の時代に倭姫尊が当地を巡幸した際、井戸を掘って桜の木を植え、その傍らに村人が祠を建てたことを創始とする別の伝承も伝えられている。
延暦7年(788年)には二子山へ遷座し、さらに弘仁9年(818年)8月下旬に現在の社地である比蘇山へ遷座したとされる。比蘇山という地名との関係から、『延喜式』に見える比蘇神社を当社に比定する見方が示されている。
平安時代には地名にちなみ桜井天神と呼ばれ、鎌倉時代または室町時代には、祭神の天照皇大神にちなみ神明社と称されるようになったとされる。足利氏からの寄進があったことや、大永7年(1527年)に桜井城主松平宗安(松平親房)より社領10石が寄進されたことも伝わっている。
室町時代末期には川島町の白山神を遷座合祀し、社名を白山社と改め、主祭神を伊弉諾神・伊弉册神・菊理媛神としたとされる。永禄6年(1563年)から永禄7年(1564年)にかけての三河一向一揆の際には、徳川家康が戦勝を祈願して成就したことから、以後、徳川家の崇敬を受けたという。
慶長15年(1610年)の墨書や棟札が残ることから、本殿は同年に建立された可能性が高いとされる。慶長19年(1614年)8月28日には、徳川家康より社領50石の朱印寄進を受け、これらの社領は明治維新まで維持された。江戸時代には幕府の指示により桜井権現とも称され、享保20年(1735年)には卜部氏より正一位の神階を受けたと伝えられる。
近代に入ると、1872年(明治5年)11月に郷社に列し、1875年(明治8年)に社名を桜井神社と改めた。1914年(大正3年)10月1日には周辺の諸社を合祀合霊し、1930年(昭和5年)には昭和天皇御大典を記念して社殿が造営された。1932年(昭和7年)11月23日には県社へ昇格している。
境内には国指定史跡である二子古墳が所在し、安城市指定文化財として本殿(1965年11月3日指定)、太刀 銘 兼定、桜井神社文書、絵馬、算額が伝えられている。また無形文化財として「桜井神社のまつり囃子」が1978年に市指定無形民俗文化財となっている。
さらに桜井町に伝わる「棒の手」は、県指定無形民俗文化財(昭和39年指定)であり、式部流として26種の型を伝える武芸である。古記録には1778年(安永7年)に神前で奉納されたことが記されている。
祭礼は3月の祈年祭、10月の例祭、12月の新嘗祭が大祭とされ、例祭にあわせて桜井七ヶ村および城山が持ち回りで神楽を奉納する習わしがある。かつては流鏑馬が例祭神事として行われ、徳川時代には神楽のほか、相撲や花火も奉納されていたと伝えられている。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
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出典
公式サイト
http://www.jinja-net.jp/sakurai-jinja/
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