有名度
小結筑波山神社
つくばさんじんじゃ
茨城県つくば市筑波1番地1
茨城県つくば市筑波1番地1

Saigen Jiro(wikipedia CC0)
筑波山神社は、男体山と女体山の二峰を御神体とし、伊弉諾尊と伊弉冊尊を祀ることから夫婦和合や縁結びのご利益で知られる古社です。麓に広がる拝殿は縁結びで知られる夫婦杉、巨岩が点在する神秘的な境内が魅力。ケーブルカーやロープウェイで向かう山上からは関東平野を一望でき、自然と信仰が調和する神社です。
かんたんご利益
- 恋愛
- 仕事
- 学業
- 子供
- 安全
- 厄除
- 家庭
筑波山神社には
「恋愛系」「仕事系」「学業・技芸系」「子供系」「安全系」「厄除・開運系」「家庭系(有名)」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
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※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
縁結び 夫婦和合 家内安全 子授け 子育て 開拓 国家運営 社運隆昌 職場安全 工事安全 交通安全 豊作 大漁 厄除 方位除 心願 安産 合格祈願
御祭神
筑波男大神(伊弉諾尊) つくばおのおおかみ(いざなぎのみこと)
筑波女大神(伊弉冊尊) つくばめのおおかみ(いざなみのみこと)
神社系統
この神社の主な系統は
「筑波山系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
筑波山神社は茨城県つくば市にある神社。筑波男大神(伊弉諾尊)、筑波女大神(伊弉冊尊)を祭神とする。
社格は式内社(名神大社1、小社1)で旧県社。現在は別表神社。
筑波山系神社の総本宮で、男体山と女体山の二峰を御神体と仰ぐ。中腹に拝殿があり、男体山と女体山の山頂にはそれぞれ本殿が鎮座する。両山頂から中腹にかけての約370ヘクタールが境内となっており、筑波山そのものを神域とする古い山岳信仰の姿を現在に伝えている。
創建年代は不明だが、筑波山を神そのものとして崇めた古代の山岳信仰に始まると考えられている。男体山には筑波男大神、女体山には筑波女大神をまつり、現在はそれぞれ伊弉諾尊、伊弉冊尊とされている。男女二神をまつることから、夫婦和合や縁結びなどの信仰にもつながっている。
社伝では、崇神天皇の時代に物部氏系の一族とされる采女臣の筑波命が筑波国造に任じられ、以後、筑波一族によって祭祀が行われたと伝えられている。古代には筑波山の神をまつる祭祀と地域の政治が密接に結びつき、常陸国を代表する信仰の中心へと発展した。
平安時代になると朝廷からも篤く崇敬された。弘仁14年(823)に筑波神が従五位下に叙せられ、嘉祥3年(850)には伊勢神宮や賀茂神社などとともに朝廷から奉幣を受けた。貞観13年(871)には男神が従三位、貞観16年(874)には女神が正四位下へ進み、寛平5年(893)には両神がさらに一階昇叙されている。
延長5年(927)に成立した『延喜式神名帳』では、筑波男神が名神大社、筑波女神が小社に列せられた。二峰それぞれの神が式内社として記載されていることからも、古代から男体山と女体山がそれぞれ神聖な峰として信仰されていたことがうかがえる。
仏教が山岳信仰と結びつくと、筑波山は神仏習合の霊山としても発展した。中世には修験者の修行場となり、武家からも崇敬を集めた。建久2年(1191)には源頼朝が武将を伴って筑波山へ参詣し、神領を寄進したと伝えられている。
江戸時代には徳川将軍家から特に篤い崇敬を受けた。徳川家康は筑波山を江戸城の鬼門を守護する霊山と位置づけ、筑波山知足院中禅寺を将軍家の祈願所とした。慶長7年(1602)には神領500石を寄進し、筑波山で行われてきた御座替祭も江戸城鎮護に関わる重要な神事として位置づけられた。
徳川家光の時代には境内の整備が進められ、寛永10年(1633)に春日神社、日枝神社とその拝殿、厳島神社、神橋、随神門などが造営された。また、徳川将軍家からは太刀をはじめとする宝物も奉納され、現在まで多くの文化財が伝えられている。
境内社の春日神社、日枝神社とその拝殿、厳島神社などは、江戸時代の筑波山信仰と徳川将軍家との深い関係を伝える建造物である。朱塗りの神橋も寛永10年(1633)に家光によって寄進されたもので、元禄15年(1702)には第5代将軍・徳川綱吉によって改修された。随神門はその後2度の火災に遭い、現在の門は文化8年(1811)に再建されたものである。
明治初年の神仏分離によって、長く筑波山信仰の中心となっていた中禅寺は廃され、仏教施設が分離された。これにより筑波山は筑波山神社を中心とする神社として再編され、近代社格制度では県社に列せられた。
筑波山神社を代表する祭礼が、毎年4月1日と11月1日に行われる「御座替祭」である。山頂本殿で神の衣を新しくする神衣祭、中腹の拝殿で幣帛を奉る奉幣祭、それまで神前に供えられていた神衣を納めた神輿が氏子区域を巡る神幸祭から構成され、山頂と山麓を結ぶ筑波山信仰を現在に伝えている。
普段は立ち入ることのできない神橋も、春秋の御座替祭と2月10日・11日の年越祭には一般の参拝者に開放される。この期間には、彫刻や彩色で装飾された朱色の反橋を実際に渡って参拝することができる。
男体山と女体山そのものを御神体とする筑波山神社は、古代の山岳信仰を起源とし、朝廷や源頼朝、徳川将軍家などから崇敬を受けながら発展してきた。神仏習合の修験霊場としての歴史を経て、現在も山頂の本殿と中腹の拝殿、御座替祭などを通じ、筑波山そのものを神聖な山として仰ぐ信仰を受け継いでいる。
社格は式内社(名神大社1、小社1)で旧県社。現在は別表神社。
筑波山系神社の総本宮で、男体山と女体山の二峰を御神体と仰ぐ。中腹に拝殿があり、男体山と女体山の山頂にはそれぞれ本殿が鎮座する。両山頂から中腹にかけての約370ヘクタールが境内となっており、筑波山そのものを神域とする古い山岳信仰の姿を現在に伝えている。
創建年代は不明だが、筑波山を神そのものとして崇めた古代の山岳信仰に始まると考えられている。男体山には筑波男大神、女体山には筑波女大神をまつり、現在はそれぞれ伊弉諾尊、伊弉冊尊とされている。男女二神をまつることから、夫婦和合や縁結びなどの信仰にもつながっている。
社伝では、崇神天皇の時代に物部氏系の一族とされる采女臣の筑波命が筑波国造に任じられ、以後、筑波一族によって祭祀が行われたと伝えられている。古代には筑波山の神をまつる祭祀と地域の政治が密接に結びつき、常陸国を代表する信仰の中心へと発展した。
平安時代になると朝廷からも篤く崇敬された。弘仁14年(823)に筑波神が従五位下に叙せられ、嘉祥3年(850)には伊勢神宮や賀茂神社などとともに朝廷から奉幣を受けた。貞観13年(871)には男神が従三位、貞観16年(874)には女神が正四位下へ進み、寛平5年(893)には両神がさらに一階昇叙されている。
延長5年(927)に成立した『延喜式神名帳』では、筑波男神が名神大社、筑波女神が小社に列せられた。二峰それぞれの神が式内社として記載されていることからも、古代から男体山と女体山がそれぞれ神聖な峰として信仰されていたことがうかがえる。
仏教が山岳信仰と結びつくと、筑波山は神仏習合の霊山としても発展した。中世には修験者の修行場となり、武家からも崇敬を集めた。建久2年(1191)には源頼朝が武将を伴って筑波山へ参詣し、神領を寄進したと伝えられている。
江戸時代には徳川将軍家から特に篤い崇敬を受けた。徳川家康は筑波山を江戸城の鬼門を守護する霊山と位置づけ、筑波山知足院中禅寺を将軍家の祈願所とした。慶長7年(1602)には神領500石を寄進し、筑波山で行われてきた御座替祭も江戸城鎮護に関わる重要な神事として位置づけられた。
徳川家光の時代には境内の整備が進められ、寛永10年(1633)に春日神社、日枝神社とその拝殿、厳島神社、神橋、随神門などが造営された。また、徳川将軍家からは太刀をはじめとする宝物も奉納され、現在まで多くの文化財が伝えられている。
境内社の春日神社、日枝神社とその拝殿、厳島神社などは、江戸時代の筑波山信仰と徳川将軍家との深い関係を伝える建造物である。朱塗りの神橋も寛永10年(1633)に家光によって寄進されたもので、元禄15年(1702)には第5代将軍・徳川綱吉によって改修された。随神門はその後2度の火災に遭い、現在の門は文化8年(1811)に再建されたものである。
明治初年の神仏分離によって、長く筑波山信仰の中心となっていた中禅寺は廃され、仏教施設が分離された。これにより筑波山は筑波山神社を中心とする神社として再編され、近代社格制度では県社に列せられた。
筑波山神社を代表する祭礼が、毎年4月1日と11月1日に行われる「御座替祭」である。山頂本殿で神の衣を新しくする神衣祭、中腹の拝殿で幣帛を奉る奉幣祭、それまで神前に供えられていた神衣を納めた神輿が氏子区域を巡る神幸祭から構成され、山頂と山麓を結ぶ筑波山信仰を現在に伝えている。
普段は立ち入ることのできない神橋も、春秋の御座替祭と2月10日・11日の年越祭には一般の参拝者に開放される。この期間には、彫刻や彩色で装飾された朱色の反橋を実際に渡って参拝することができる。
男体山と女体山そのものを御神体とする筑波山神社は、古代の山岳信仰を起源とし、朝廷や源頼朝、徳川将軍家などから崇敬を受けながら発展してきた。神仏習合の修験霊場としての歴史を経て、現在も山頂の本殿と中腹の拝殿、御座替祭などを通じ、筑波山そのものを神聖な山として仰ぐ信仰を受け継いでいる。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
例祭
元旦祭 1月1日
元始祭 1月3日
成人祭 1月第2月曜日
年越祭 2月10日・11日
祈年祭 2月17日
皇霊殿遥拝式 彼岸の中日
御座替祭 4月1日・11月1日
新嘗祭 11月23日
天長祭 12月23日
大祓 6月30日・12月31日
赤宮祭 4月最終土曜日
厳島神社例祭 6月15日
禅定 8月下旬
元始祭 1月3日
成人祭 1月第2月曜日
年越祭 2月10日・11日
祈年祭 2月17日
皇霊殿遥拝式 彼岸の中日
御座替祭 4月1日・11月1日
新嘗祭 11月23日
天長祭 12月23日
大祓 6月30日・12月31日
赤宮祭 4月最終土曜日
厳島神社例祭 6月15日
禅定 8月下旬
文化財
太刀 銘吉宗(附 糸巻太刀拵)
国 重要文化財
工芸品 大正7年4月8日指定
工芸品 大正7年4月8日指定
筑波山神社神橋
茨城県 有形文化財
建造物 昭和54年11月1日指定
建造物 昭和54年11月1日指定
筑波山神社境内社春日神社本殿・日枝神社本殿 及両社拝殿
茨城県 有形文化財
建造物 昭和54年11月1日指定
建造物 昭和54年11月1日指定
筑波山神社境内社厳島神社本殿
茨城県 有形文化財
建造物 昭和54年11月1日指定
建造物 昭和54年11月1日指定
随神門
つくば市 有形文化財
建造物 昭和54年1月23日指定
建造物 昭和54年1月23日指定
ほしざきゆきのした
つくば市 天然記念物
文化財種別不明 昭和61年2月20日指定
文化財種別不明 昭和61年2月20日指定
まるばくす
つくば市 天然記念物
文化財種別不明 昭和62年5月21日指定
文化財種別不明 昭和62年5月21日指定
建築
男体山本殿 一間社流造
女体山本殿 一間社流造
神紋
情報募集
出典
公式サイト
http://www.tsukubasanjinja.jp
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E6%B3%A2%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp
茨城県
https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/art-and-culture/ibaraki-bunkazai/list/
つくば市
https://www.city.tsukuba.lg.jp/material/files/group/156/shiteibunkazaiichiran.pdf
茨城県神社庁
https://www.ibarakiken-jinjacho.or.jp/
http://www.tsukubasanjinja.jp
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E6%B3%A2%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp
茨城県
https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/art-and-culture/ibaraki-bunkazai/list/
つくば市
https://www.city.tsukuba.lg.jp/material/files/group/156/shiteibunkazaiichiran.pdf
茨城県神社庁
https://www.ibarakiken-jinjacho.or.jp/
