タケミカヅチ
たけみかづち
- 神話・伝説
- 男神・男性

大塚辰夫 - 博文館(日本国史物語)

表記なし

玉蘭斎貞秀(神佛図會)
祭神ランキング15位
タケミカヅチとは?
タケミカヅチは記紀神話などに登場する男神である。古事記では建御雷之男神、建御雷神と記し、日本書紀では武甕槌、武甕雷男神などと表記される。建布都神、豊布都神などの異名を持ち、鹿島大神とも呼ばれる。
神産みの段では、イザナギが妻イザナミの死の原因となったカグツチを十拳剣で斬った際、その剣についた血から生まれた神々の系譜にタケミカヅチが登場する。剣と深く関わる誕生を持ち、武神・刀剣の神として信仰されてきた。
古事記の国譲りでは、天照大神らによって葦原中国へ派遣され、出雲の伊那佐之小浜で剣を逆さに立て、その切っ先にあぐらをかいて大国主に国譲りを迫った。大国主の子コトシロヌシが国譲りを承諾した一方、タケミナカタは力比べを挑んだが敗れ、科野国の州羽海まで逃れたとされる。『日本書紀』では経津主神とともに葦原中国へ派遣されている。
また、神武天皇の東征では、熊野で危機に陥った神武天皇を救うため、自ら降臨する代わりに神剣を地上へ降ろしたと『古事記』は伝える。この剣が布都御魂であり、後に石上神宮で祀られる神剣として知られるようになった。
タケミカヅチは鹿島神宮の祭神であり、奈良時代には経津主神らとともに春日大社へ勧請され、藤原氏の氏神としても信仰された。武神としての神格から武家にも崇敬され、武道や勝運の神として信仰されている。
これらのことから、タケミカヅチのご利益は武運長久、勝運、武道上達、厄除け、交通安全、国家安泰などとされる。
タケミカヅチを祀る代表的な神社には、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、春日大社(奈良県奈良市)などがあり、このほか全国各地の鹿島神社などで祀られている。
エピソード
タケミカヅチは、イザナギが火の神カグツチを斬った際、その剣についた血から生まれた神である。『古事記』では、イザナギが十拳剣でカグツチの首を斬ると、剣の本についた血が岩群に走りつき、甕速日神、樋速日神、建御雷之男神の三柱が生まれたとする。
この誕生は、タケミカヅチが火そのものから生まれたのではなく、火神を斬った剣とその血から生まれたことを示している。『古事記』では建御雷之男神の別名を建布都神、豊布都神ともいい、「フツ」は刀剣と深く関係する語と考えられている。
一方、『日本書紀』には系譜の異なる伝承があり、甕速日神の子孫として武甕槌神が生まれる形をとるものもある。したがって、タケミカヅチの誕生を一つの系譜だけに固定することはできない。
剣の血から生まれ、神名にも刀剣との関係を示す要素を持つことは、後の国譲りや神武東征で武威と剣に深く関わるタケミカヅチの神格を理解する重要な手がかりとなっている。
出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、國學院大學 古典文化学事業
葦原中国を天孫に譲らせるため、高天原から何度も使者が送られたが、最初の使者たちは使命を果たせなかった。『古事記』では、そこで天照大神とタカミムスビの意向を受け、タケミカヅチが天鳥船神とともに葦原中国へ派遣される。
二神は出雲国の伊那佐之小浜《いなさのおばま》へ降り、タケミカヅチは十掬剣《とつかのつるぎ》を逆さに波の上へ突き立て、その剣の先に坐して大国主に国を譲る意思があるかを問うた。
大国主は自分では答えず、まず息子のコトシロヌシに判断を委ねる。コトシロヌシが国譲りを受け入れると、さらにもう一人の子であるタケミナカタが現れ、タケミカヅチに力比べを挑んだ。タケミナカタも敗れて服従し、最後に大国主自身も国を譲ることを承諾した。
タケミカヅチは単に戦って国を奪った神ではない。圧倒的な武威を示しながら交渉を進め、コトシロヌシ、タケミナカタ、大国主を順に服属させ、国譲りを成立させた高天原側の中心的な使者として描かれている。
出典・参考:『古事記』、國學院大學 古典文化学事業
国譲りの交渉中、大国主の子タケミナカタは巨大な岩を手先に持って現れ、タケミカヅチに力比べを挑んだ。『古事記』では、まずタケミナカタがタケミカヅチの手を取ろうとすると、その手は氷柱のように変わり、さらに剣の刃のようになったため、恐れて退いたとされる。
今度はタケミカヅチがタケミナカタの手を取ると、若い葦をつかむように握りつぶして投げ飛ばした。タケミナカタは逃げ出したが、タケミカヅチは科野国《しなののくに》(長野県)の州羽海《すわのうみ》、現在の諏訪湖まで追い詰める。そこでタケミナカタは、この地から出ないことや大国主・コトシロヌシの判断に逆らわないことを誓い、命を許された。
この場面は単純な取っ組み合いではなく、手を取り合って力を競う神話である。後世には相撲の起源の一つとも結びつけられ、鹿島神宮でもタケミカヅチとタケミナカタの力比べを相撲の始まりとする伝承を紹介している。
タケミカヅチの圧倒的な強さを最も直接的に示す神話であり、武神・勝負の神として信仰される大きな背景となった。
出典・参考:『古事記』、鹿島神宮、國學院大學 古典文化学事業
神武天皇が東征の途中で熊野へ入った際、荒ぶる神の毒気によって天皇と軍勢は意識を失った。そこへ高倉下が一振りの横刀を持って現れ、天皇に献上すると、神武天皇はたちまち目を覚まし、熊野の荒ぶる神々も退けられた。
『古事記』では、高倉下の夢に天照大神とタカミムスビが現れ、タケミカヅチに地上へ降って神武天皇を助けるよう命じる。これに対してタケミカヅチは、自分が直接降る必要はなく、かつて葦原中国の平定に用いた剣を降せばよいと答え、その剣を高倉下の倉へ落としたとされる。
この剣が佐士布都神《さじふつのかみ》、甕布都神《みかふつのかみ》、布都御魂と呼ばれる神剣である。後に石上神宮で祀られる布都御魂として知られるようになった。
タケミカヅチ自身が熊野で戦ったわけではない。自らの代わりに国土平定の力を宿す神剣を送り、神武天皇の危機を救った神として描かれる。この神話も、タケミカヅチと剣・武威との強い結びつきを示している。
出典・参考:『古事記』、國學院大學 古典文化学事業、鹿島神宮
タケミカヅチは、日本神話を代表する武神として知られている。その神格は、単に神名に「武」の字が含まれるから生まれたものではない。
『古事記』では、火神カグツチを斬った剣の血から誕生し、国譲りでは剣を掲げて大国主に国の譲渡を迫り、タケミナカタとの力比べでは圧倒的な力で勝利する。さらに神武東征では、自らが葦原中国平定に用いた神剣布都御魂を地上へ降し、神武天皇を救う。誕生から主要な活躍まで、剣・武力・国土平定が繰り返し結びついている。
その信仰の中心となった鹿島神宮でも、武甕槌大神は国譲りと神武東征に功績を持つ神として崇敬され、古くから国家守護の神とされた。中世以降には源頼朝や徳川家康をはじめ武将からも篤い崇敬を受け、武神としての信仰がさらに強まった。
こうして神話上の強さと鹿島信仰の歴史が重なり、タケミカヅチは武道守護、勝負必勝、国家守護などの神徳を持つ神として広く信仰されるようになった。
出典・参考:『古事記』、鹿島神宮、國學院大學 古典文化学事業
タケミカヅチと経津主神は、国譲りを成し遂げた武神として並び称されることが多い。しかし、記紀では二神の扱いが同じではない。
『古事記』の国譲りでは、葦原中国へ派遣される中心的な神はタケミカヅチであり、同行するのは天鳥船神である。経津主神はこの場面には登場しない。
一方、『日本書紀』本文では、葦原中国平定の使者としてまず経津主神が選ばれ、タケミカヅチも「経津主神だけが丈夫なのか、自分も丈夫である」と名乗り出て、二神がともに出雲へ派遣される。香取神宮の由緒もこの日本書紀系の伝承に基づき、経津主大神と武甕槌大神がともに国譲りを成し遂げたと伝えている。
後世には鹿島神宮のタケミカヅチと香取神宮の経津主神が東国を代表する武神として並び、春日大社でも第一殿・第二殿に二神が祀られた。
二神は非常に近い性格を持つが、同じ神ではない。古事記と日本書紀で役割が異なることを踏まえると、両者の関係は「国土平定を担う二柱の武神」として理解するのがよい。
出典・参考:『古事記』、『日本書紀』、香取神宮、春日大社、國學院大學 古典文化学事業
タケミカヅチの信仰は、東国の鹿島から奈良の春日へと広がった。春日大社では、奈良時代の平城京鎮護のため、まず鹿島からタケミカヅチを御蓋山《みかさやま》の浮雲峰へ迎えたことを春日信仰の始まりとしている。
春日大社に伝わる由緒では、タケミカヅチは白鹿の背に乗って鹿島から御蓋山へ降ったとされる。神護景雲2年(768)には現在地に社殿が造営され、鹿島のタケミカヅチ、香取の経津主神、枚岡の天児屋根命と比売神の四柱が祀られ、現在の春日大社の形が整えられた。
この伝承によって鹿は春日の神使として特別な存在となった。現在も奈良公園周辺の鹿が春日大社と深く結びついている背景には、タケミカヅチが白鹿に乗って春日へ来たという信仰がある。
鹿島の武神だったタケミカヅチは、春日大社では藤原氏の氏神を構成する第一殿の祭神となり、春日信仰の広がりとともに各地の春日神社でも祀られるようになった。鹿との関係は、タケミカヅチの信仰が鹿島から春日へ展開した歴史を象徴する伝承である。
出典・参考:春日大社、鹿島神宮
出典文献
古事記
日本書紀
古語拾遺
先代旧事本紀
延喜式
続日本後紀
神格
ご神徳
別称・異称
たけみかずちのおのかみ
古事記
建布都神たけふつのかみ
古事記
建御雷神たけみかずちのかみ
古事記
豊布都神とよふつのかみ
古事記
武甕槌神たけみかづちのかみ
日本書紀/古語拾遺
武甕雷神たけみかずちのかみ
日本書紀
建甕槌之男神たけみかずちのおのかみ
先代旧事本紀
武甕雷男神たけみかずちのおのかみ
先代旧事本紀
武雷神たけいかずちのかみ
先代旧事本紀
石上布都大神いそのかみふつのおおかみ
先代旧事本紀
鹿島大神かしまのおおかみ
先代旧事本紀/続日本後紀
健御賀豆智命たけみかずちのみこと
延喜式
健雷命たけいかずちのみこと
延喜式
建御賀豆智命たけみかずちのみこと
続日本後紀
健御賀土命たけみかずちのみこと
その他
健御賀豆知命たけみかずちのみこと
その他
健御雷之男命たけみかずちのおのみこと
その他
健御雷男之命たけみかずちのおのみこと
その他
健御雷神たけみかずちのかみ
その他
建御加豆智命たけみかずちのみこと
その他
建御賀豆知命たけみかずちのみこと
その他
建御雷之男命たけみかずちのおのみこと
その他
建甕槌神たけみかずちのかみ
その他
建甕都智命たけみかつちのみこと
その他
建雷之男命たけみかずちのおのみこと
その他
建雷神たけみかずちのかみ
その他
武御雷之男命たけみかずちのおのみこと
その他
武御雷神たけみかずちのかみ
その他
武甕槌之男神たけみかずちのおのかみ
その他
武甕槌之神たけみかずちのかみ
その他
武甕雷命たけみかずちのみこと
その他
武雷命たけいかずちのみこと
その他
武饔槌命たけみかつちのみこと
その他
祀られている主な神社
鹿島神宮
(茨城県鹿嶋市宮中2306番地1)
春日大社
(奈良県奈良市春日野町160)
立木神社
(滋賀県草津市草津4-1-3)
吉田神社
(京都府左京区吉田神楽岡町30)
枚岡神社
(大阪府東大阪市出雲井町7-16)
