有名度
前頭嚴島神社
いつくしまじんじゃ
北海道古宇郡神恵内村大字神恵内村81番地
北海道古宇郡神恵内村大字神恵内村81番地

かんたんご利益
- 仕事
- 金運
- 安全
嚴島神社には
「仕事系」「金運系」「安全系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
海上安全 豊漁 財運向上
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「宗像・厳島系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
嚴島神社は北海道古宇郡神恵内村に鎮座する神社。御祭神は市岐島姫命、保食神、大綿津見神、大国主大神、崇徳天皇、稲倉魂命の6柱をまつる。
社格は旧郷社。
嚴島神社の歴史は、文禄3年(1594)5月、近江国柳川村の田付城主・田付景春が、3代目兵庫介景輔の3男である景豊に奥羽地方の漁民を率いさせ、西蝦夷地フウーレ(現在の神恵内)を開発したことに始まると伝えられる。
慶長8年(1603)5月、田付家の居城にならい保食神を祭神として創祀された。承応元年(1652)5月15日には、主祭神として安芸国宮島の厳島宮より市岐島姫大神を勧請し、あわせて播磨国海神社より大綿津見神、讃岐国金毘羅宮より大国主大神を配祀した。
宝暦2年(1752)5月15日、領主12代松前若狭守資広より富留総鎮守大弁財天の社号を賜り、天明2年(1782)5月には松前道広自筆の神号額が奉納され、松前家崇敬神社21社の格式となった。安政2年(1855)2月には社号を厳島宮と改めた。
明治4年に社号を嚴島神社と改称し、明治8年には郷社に列せられた。明治33年(1900)4月21日の神恵内大火で社殿を焼失したが、明治43年(1910)に本殿を再建し、大正元年(1912)には幣殿と拝殿を造営した。平成10年(1998)7月には社殿の改修が行われ、現在に至っている。
社殿は神明造で、本殿は春日造を採用する。例祭は毎年7月15日に斎行され、神恵内松前神楽保存会によって松前神楽が伝承されている。
社格は旧郷社。
嚴島神社の歴史は、文禄3年(1594)5月、近江国柳川村の田付城主・田付景春が、3代目兵庫介景輔の3男である景豊に奥羽地方の漁民を率いさせ、西蝦夷地フウーレ(現在の神恵内)を開発したことに始まると伝えられる。
慶長8年(1603)5月、田付家の居城にならい保食神を祭神として創祀された。承応元年(1652)5月15日には、主祭神として安芸国宮島の厳島宮より市岐島姫大神を勧請し、あわせて播磨国海神社より大綿津見神、讃岐国金毘羅宮より大国主大神を配祀した。
宝暦2年(1752)5月15日、領主12代松前若狭守資広より富留総鎮守大弁財天の社号を賜り、天明2年(1782)5月には松前道広自筆の神号額が奉納され、松前家崇敬神社21社の格式となった。安政2年(1855)2月には社号を厳島宮と改めた。
明治4年に社号を嚴島神社と改称し、明治8年には郷社に列せられた。明治33年(1900)4月21日の神恵内大火で社殿を焼失したが、明治43年(1910)に本殿を再建し、大正元年(1912)には幣殿と拝殿を造営した。平成10年(1998)7月には社殿の改修が行われ、現在に至っている。
社殿は神明造で、本殿は春日造を採用する。例祭は毎年7月15日に斎行され、神恵内松前神楽保存会によって松前神楽が伝承されている。
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出典
北海道神社庁
https://hokkaidojinjacho.jp/
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