有名度
前頭祖父君神社
おじぎみじんじゃ
長崎県南松浦郡新上五島町浦桑郷367
長崎県南松浦郡新上五島町浦桑郷367

Goldend1979(wikipedia CC0)
祖父君神社以外にも 浦の宮 とも呼ばれます。
かんたんご利益
御祭神
誉田別神
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
祖父君神社は長崎県南松浦郡新上五島町に鎮座する神社。御祭神は伊邪那岐尊、倉稲玉神、誉田別神 、事代主神、田心姫命、素戔嗚神の6柱をまつる。
社格は旧郷社。
祖父君神社の創建年代は明らかではない。社伝では、沖合の祖母君瀬に天降った伊邪那岐尊と伊邪那美尊の神託を受けたことに始まると伝えられる。有川に鎮座する祖母君神社(現在の有川神社)と縁起を同じくし、祖父君神社は伊邪那岐尊を祀る神社として伝承されてきた。
文明5年(1473年)、五島領主の宇久氏が伊邪那岐尊を地方鎮護の神として奉斎し、社領を寄進したと伝わる。この時、旧魚目村十二ヶ郷の総社と定められ、魚目村総社と称された。
別伝によれば、同年8月、宇久次郎三郎と家臣の大久保家次が有川湾の萬福籠瀬で陰陽二神の神託を受けたという。同年8月13日に陰神が奉祀され、11月1日に陽神である伊邪那岐尊が奉祀された。その後、参拝の便宜により御亀地瀬、さらにイタツシケ瀬へ遷され、文明10年(1478年)11月に現在の社地へ奉遷されたと伝えられている。
享保3年(1718年)には事代主神、宝暦6年(1756年)には倉稲玉神が合祀された。明治初年の神仏分離では、神体とされていた不動明王像が浦桑郷の白鳥神社へ移されたと伝わる。
明治4年(1871年)に村社となり、明治43年(1910年)10月には神饌幣帛料供進神社に指定された。昭和9年(1934年)には郷社へ昇格し、昭和62年(1987年)10月7日には市杵島姫命と素戔嗚神が合祀された。
祖父君神社では秋の例大祭をはじめ、祇園祭や各種祭礼で上五島神楽が奉納される。上五島神楽は国選択無形民俗文化財である五島神楽の一部を構成し、長崎県無形民俗文化財にも指定されている。現在も浦桑郷の祭祀の中心として神事が受け継がれている。
社格は旧郷社。
祖父君神社の創建年代は明らかではない。社伝では、沖合の祖母君瀬に天降った伊邪那岐尊と伊邪那美尊の神託を受けたことに始まると伝えられる。有川に鎮座する祖母君神社(現在の有川神社)と縁起を同じくし、祖父君神社は伊邪那岐尊を祀る神社として伝承されてきた。
文明5年(1473年)、五島領主の宇久氏が伊邪那岐尊を地方鎮護の神として奉斎し、社領を寄進したと伝わる。この時、旧魚目村十二ヶ郷の総社と定められ、魚目村総社と称された。
別伝によれば、同年8月、宇久次郎三郎と家臣の大久保家次が有川湾の萬福籠瀬で陰陽二神の神託を受けたという。同年8月13日に陰神が奉祀され、11月1日に陽神である伊邪那岐尊が奉祀された。その後、参拝の便宜により御亀地瀬、さらにイタツシケ瀬へ遷され、文明10年(1478年)11月に現在の社地へ奉遷されたと伝えられている。
享保3年(1718年)には事代主神、宝暦6年(1756年)には倉稲玉神が合祀された。明治初年の神仏分離では、神体とされていた不動明王像が浦桑郷の白鳥神社へ移されたと伝わる。
明治4年(1871年)に村社となり、明治43年(1910年)10月には神饌幣帛料供進神社に指定された。昭和9年(1934年)には郷社へ昇格し、昭和62年(1987年)10月7日には市杵島姫命と素戔嗚神が合祀された。
祖父君神社では秋の例大祭をはじめ、祇園祭や各種祭礼で上五島神楽が奉納される。上五島神楽は国選択無形民俗文化財である五島神楽の一部を構成し、長崎県無形民俗文化財にも指定されている。現在も浦桑郷の祭祀の中心として神事が受け継がれている。
スポンサーリンク
神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
情報募集
文化財
情報募集
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%96%E7%88%B6%E5%90%9B%E7%A5%9E%E7%A4%BE
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%96%E7%88%B6%E5%90%9B%E7%A5%9E%E7%A4%BE
