等彌神社 - 神社ファン

有名度

前頭上位

等彌神社

とみじんじゃ

奈良県桜井市桜井1176

😞 🙁 😐 🙂 😄

奈良県桜井市桜井1176

拝殿

Yanajin33(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

等彌神社以外にも 能登宮 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 仕事
等彌神社には

「仕事系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

想

国家隆昌 生命力向上 五穀豊穣

御祭神

上津尾社 主祭神

大日霊貴命 おおひるめのむちのみこと

下津尾社右殿(八幡社) 不明

下津尾社右殿(八幡社) 不明

品陀和気命 ほんだわけのみこと

下津尾社左殿(春日社) 不明

高皇産霊神 たかみむすひのかみ

下津尾社左殿(春日社) 不明

天児屋根命 あめのこやねのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

「伊勢・神明系」

です。
他に 「春日系」 「八幡系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

等彌神社は奈良県桜井市に鎮座する神社。御祭神は大日霊貴命、磐余明神、品陀和気命、高皇産霊神、天児屋根命の5柱をまつる。
社格は式内社であり、旧県社。
創建年代は明らかではない。社伝では、等彌神社はもとは鳥見山中に鎮座していたとする。鳥見山には、神武天皇が即位後に皇祖神と天津神を祀った「霊畤」の伝承があり、神武天皇による鳥見山での祭祀が等彌神社の由緒として伝えられている。平安時代の『延喜式神名帳』には、大和国城上郡の式内社として「等彌神社」の名が記されている。
天永3年(1112)、鳥見山で山崩れが発生し、山中の斎場山にあった社殿が埋没したと伝えられる。その後、社殿は鳥見山西麓の現在地へ移された。
中世には、永正7年(1510)の『勘進検断日録』に「桜井能登神事始ル事」と記されている。天正13年(1585)の『大織冠御蔵納注文』には、等彌神社の神宮寺であった「能登寺」の名が見える。能登寺は中世に多武峰の妙楽寺と関係を持った寺院で、現在も下津尾社付近に神宮寺跡が残る。
江戸時代には多くの石灯籠が奉納され、境内には延宝4年(1676)銘をはじめとする石灯籠が残されている。元文元年(1736)には、下津尾社境内の磐余の松の枯株の下から八咫烏像が掘り出されたと伝えられ、現在も八咫烏御神像として伝わっている。
昭和15年(1940)、鳥見山は「神武天皇聖蹟鳥見山」として官報で告示され、等彌神社は村社から県社へ昇格した。同年には鳥見山に「鳥見山中霊畤顕彰碑」が建立された。
境内は上津尾社と下津尾社からなり、参道には160余基の石灯籠が並ぶ。上津尾社へ向かう境内には弓張社、稲荷社、黒龍社などが鎮座し、下津尾社周辺には恵比須社、金毘羅社、愛宕社、猿田彦大神社、桃神社などの境内社が祀られている。境内には桜井市護國神社も鎮座する。
境内には『万葉集』に収められた鳥見山周辺の歌を刻んだ碑のほか、佐藤春夫、堀口大學、保田與重郎らに関係する歌碑・句碑など13基が建立されている。平成27年(2015)には、第62回神宮式年遷宮に伴い伊勢神宮から譲与された鳥居が一の鳥居として建立された。秋には境内が紅葉に包まれ、11月下旬頃には献灯祭が斎行される。献灯祭では奉納されたぼんぼりに灯がともされ、境内のライトアップも行われる。
  • 県社
  • 式内社(小)
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神社詳細

摂末社・境内社

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例祭

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文化財

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建築

本殿 一間社流造檜皮葺

神紋

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%89%E5%BD%8C%E7%A5%9E%E7%A4%BE
奈良県神社庁
https://www.naraken-jinjacho.jp/