子松神社 宮城県 - 神社ファン

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子松神社

こまつじんじゃ

宮城県大崎市古川新田字鹿島西82

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宮城県大崎市古川新田字鹿島西82

かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
子松神社には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

必勝祈願 五穀豊穣 国家守護

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

鹿島系

です。
他に 「出雲・オオナムチ系」 「えびす系」 「伊勢・神明系」 「熊野系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

子松神社は宮城県大崎市に鎮座する神社。御祭神は武甕槌命、大國主命、言代主命、伊邪那美尊、天照皇大御神、家都御子神の6柱をまつる。
社格は式内社(論社)であり、旧村社。
子松神社の由緒は、慶長3年(1598)正月、玉造小野松庄別当観教院の実清が記した『狐松神社由来記』に伝えられている。同書によれば、神護景雲3年(769)、荒雄川のほとりに神霊を遷座し、「児松神社」と称したという。
延暦8年(789)、坂上田村麻呂が東征した際、神力の加護を受けたとして社地百間四方を寄進したと伝えられる。神田は後世に荒廃したが、旧社地の名残は「松郷」の地名として残ったという。
『延喜式神名帳』には、陸奥国新田郡の式内社として「子松神社」が記載されている。当社では自社をこの式内社に比定する伝承を受け継いできたが、所在地には諸説があり、その論社の一つとされる。
文治年間には新田郡が玉造郡と賀美郡に分かれ、この地域は夜烏邑となったと伝えられる。康永2年(1343)、大崎氏の家臣・新田氏が夜烏邑に居城を構え、狐松の神霊を邑上へ遷座し、「鹿島大明神」と改称して氏神として崇敬した。
慶長3年(1598)、観教院第3世別当の実清が『狐松神社由来記』を著し、神護景雲3年(769)の遷座や坂上田村麻呂、新田氏にまつわる伝承を書き残した。現在の宮司家は実清の系譜を伝えている。
安永2年(1773)の『風土記御用書出』には、夜烏の「鹿嶋宮」として記録され、玉造郡新田村の山伏自明院が別当を務めていた。明治時代には古称の「子松神社」へ戻し、明治5年(1872)に村社へ列格した。明治39年(1906)には夜烏の熊野神社・石神社、松郷の寶隆神社を合祀し、大國主命・言代主命・伊邪那美尊・天照皇大御神・家都御子神を合祀神とした。翌明治40年(1907)には神饌幣帛料供進神社に指定された。
戦前から戦中には出征兵士の参詣や祈願が行われた。終戦後は3年間祭礼行事が中断したが、昭和24年(1949)の春祭から再開され、御膳子行列も十数年間続けられた。
昭和30年代後半には若者の都市流出や出稼ぎによって祭礼の担い手が減少し、一時は神輿をトラックに載せて巡行した。昭和50年(1975)、氏子の若い世代が「祭典行事保存会」を結成し、春祭で行われていた行事を6月第1日曜日へ移して「早苗振祭」として復活させた。
拝殿は天保2年(1831)、村の大工「重右衛門」が病気平癒の感謝を込めて改築・寄進したと伝えられる。当初は茅葺きで、戦後に瓦葺き、平成9年(1997)に銅板葺きへ改められた。本殿と幣殿は昭和12年(1937)に改築され、昭和60年(1985)には屋根の銅板葺きと神輿殿・玉垣の改修が行われた。
現在は4月10日の春祭、6月第1日曜日の早苗振祭、10月10日の秋祭が行われる。
  • 村社
  • 式内社(不明 論社)
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出典
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/