有名度
前頭上位光雲神社
てるもじんじゃ
福岡県福岡市中央区西公園13−1
福岡県福岡市中央区西公園13−1

ぱちょぴ(pacyopi)(wikipedia CC0)
かんたんご利益
- 健康
光雲神社には
「健康系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
眼病
御祭神
黒田勘解由次官孝高 くろだかげゆしよしたか
黒田筑前守長政 くろだちくぜんのかみながまさ
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(1柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
光雲神社は福岡県福岡市中央区に鎮座する神社。御祭神は黒田勘解由次官孝高、黒田筑前守長政の2柱をまつる。
社格は旧県社、現在は別表神社。
光雲神社の起源は江戸時代中期にさかのぼる。1768年(明和5年)、福岡藩6代藩主・黒田継高が福岡城本丸天守台の東側に初代藩主・黒田長政を祀る祠堂を設け、「武威円徳聖照権現」の神号を奉った。1773年(安永2年)には、長政の父・黒田孝高を「水鏡権現」として相殿に祀った。1822年(文政5年)の長政200回忌には神事が営まれ、福岡城本丸御殿で能が催された。
明治維新後の1872年(明治5年)、黒田家が東京へ移転することとなり、地元の有志らが孝高と長政を福岡で引き続き祀ることを願った。祠堂は福岡城内から小烏吉祥院跡、現在の警固神社付近へ遷座し、旧福岡藩主・黒田長溥の許可を得て両公を合祀した。このとき、孝高の法名「龍光院殿」と長政の法名「興雲院殿」から1字ずつを取り、「光雲神社」と改称した。1872年に村社となり、1875年(明治8年)には県社に昇格した。
1896年(明治29年)、全国商業会議所連合会の開催に伴って福岡を訪れた旧福岡藩士の金子堅太郎が地元有志と会合し、光雲神社を西公園の荒津山へ移して社殿を改築する案を提起した。その後、現在地への遷座が進められ、1909年(明治42年)に遷座するとともに黒田如水300年記念大祭が斎行された。
1923年(大正12年)には黒田長政300年祭が斎行された。1945年(昭和20年)6月19日の福岡大空襲では社殿と宝物殿が焼失し、黒田如水像、黒田長政像、長政所用とされた大水牛の兜や一谷の兜、如水所用とされた合子の御冑などの宝物も失われた。戦後に社殿の再建が進められ、1966年(昭和41年)に現在の社殿が落成した。
境内には本殿・拝殿が建ち、拝殿の天井には木原信による雌雄の丹頂鶴が描かれている。賽銭箱へ賽銭を入れると鶴の鳴き声が響く仕掛けも設けられている。境内入口には黒田長政の兜をかたどった「大水牛兜」の手水舎があり、参道には筑前52万3千石にちなんだ52段の石段が設けられている。
境内の摂社・堅磐神社には、黒田重隆、黒田職隆、福岡藩2代藩主・黒田忠之、黒田継高の14女・阿津姫を祀る。末社には荒津神社と日吉神社が鎮座する。春季大祭は4月20日、秋季大祭は10月4日に斎行される。また、境内周辺には母里太兵衛像や平野国臣像、加藤司書の歌碑などがある。
社格は旧県社、現在は別表神社。
光雲神社の起源は江戸時代中期にさかのぼる。1768年(明和5年)、福岡藩6代藩主・黒田継高が福岡城本丸天守台の東側に初代藩主・黒田長政を祀る祠堂を設け、「武威円徳聖照権現」の神号を奉った。1773年(安永2年)には、長政の父・黒田孝高を「水鏡権現」として相殿に祀った。1822年(文政5年)の長政200回忌には神事が営まれ、福岡城本丸御殿で能が催された。
明治維新後の1872年(明治5年)、黒田家が東京へ移転することとなり、地元の有志らが孝高と長政を福岡で引き続き祀ることを願った。祠堂は福岡城内から小烏吉祥院跡、現在の警固神社付近へ遷座し、旧福岡藩主・黒田長溥の許可を得て両公を合祀した。このとき、孝高の法名「龍光院殿」と長政の法名「興雲院殿」から1字ずつを取り、「光雲神社」と改称した。1872年に村社となり、1875年(明治8年)には県社に昇格した。
1896年(明治29年)、全国商業会議所連合会の開催に伴って福岡を訪れた旧福岡藩士の金子堅太郎が地元有志と会合し、光雲神社を西公園の荒津山へ移して社殿を改築する案を提起した。その後、現在地への遷座が進められ、1909年(明治42年)に遷座するとともに黒田如水300年記念大祭が斎行された。
1923年(大正12年)には黒田長政300年祭が斎行された。1945年(昭和20年)6月19日の福岡大空襲では社殿と宝物殿が焼失し、黒田如水像、黒田長政像、長政所用とされた大水牛の兜や一谷の兜、如水所用とされた合子の御冑などの宝物も失われた。戦後に社殿の再建が進められ、1966年(昭和41年)に現在の社殿が落成した。
境内には本殿・拝殿が建ち、拝殿の天井には木原信による雌雄の丹頂鶴が描かれている。賽銭箱へ賽銭を入れると鶴の鳴き声が響く仕掛けも設けられている。境内入口には黒田長政の兜をかたどった「大水牛兜」の手水舎があり、参道には筑前52万3千石にちなんだ52段の石段が設けられている。
境内の摂社・堅磐神社には、黒田重隆、黒田職隆、福岡藩2代藩主・黒田忠之、黒田継高の14女・阿津姫を祀る。末社には荒津神社と日吉神社が鎮座する。春季大祭は4月20日、秋季大祭は10月4日に斎行される。また、境内周辺には母里太兵衛像や平野国臣像、加藤司書の歌碑などがある。
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