有名度
前頭上位甲宗八幡神社
こそはちまんじんじゃ
福岡県北九州市門司区旧門司一丁目7番18号
福岡県北九州市門司区旧門司一丁目7番18号

Bakkai(wikipedia CC 表示-継承 3.0)
甲宗八幡神社以外にも 甲宗八幡宮 とも呼ばれます。
かんたんご利益
- 厄除
甲宗八幡神社には
「厄除・開運系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
災難除け
御祭神
第一殿
応神天皇 おうじんてんのう
第二殿
神功皇后 じんぐうこうごう
第三殿
市寸島比売命 いちきしまひめのみこと
第三殿
多紀理比売命 たぎりひめのみこと
第三殿
多紀津比売命 たぎつひめのみこと
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
甲宗八幡神社は福岡県北九州市門司区に鎮座する神社。御祭神は応神天皇、神功皇后、市寸島比売命、多紀理比売命、多紀津比売命の5柱をまつる。
社格は旧県社、現在は別表神社。
創建は貞観2年(860)である。前年の貞観元年(859)、大安寺の僧・行教が豊前国の宇佐八幡宮に参拝し、翌年、宇佐八幡宮の分霊を山城国へ遷す途中で門司関の筆立山麓に滞在した。この時、筆立山の上空に瑞雲がたなびき、八流の幡が天降って行教の袈裟を照らしたと伝えられる。行教は宇佐八幡宮の分霊を祀り、神功皇后が着用したと伝わる御甲を御神体として、外朝西門鎮守門司八幡宮を創建した。御甲を御神体とすることから、のちに甲宗八幡宮と称するようになった。初代祭主は大神義勝である。
文治元年(1185)、壇ノ浦の戦い後に源範頼・源義経が参拝し、重藤弓と鏑矢を献上して社殿を修造した。寛元2年(1244)には藤原親房が豊前代官職として西下し、その後、門司氏が門司六ヶ郷を支配して当社を氏神として崇敬した。建武3年(1336)には足利尊氏が戦勝を祈願して田地を寄進し、社殿を建立した。この時の足利尊氏寄進状は現在まで伝えられている。
天文元年(1532)、大友氏の兵火によって社殿・神具・古記などを焼失した。永禄12年(1569)にも大友氏の兵火で焼失し、その後、毛利元就が社殿を造営した。天正年間(1573~1592)の兵乱で再び荒廃したが、慶長5年(1600)に小倉藩主となった細川忠興が長岡勘解由を奉行として再建した。
寛永9年(1632)に小笠原忠真が小倉藩主となると、甲宗八幡宮は門司六ヶ郷の総鎮守とされ、慶安2年(1649)には忠真によって社殿が造営された。慶応2年(1866)には第二次長州征伐の戦火で神殿を焼失し、明治元年(1868)に毛利元徳が神殿を再建した。
明治40年(1907)には神殿・奉幣殿・楼門・回廊などが整備された。昭和20年(1945)の空襲によって神殿・拝殿・楼門などを焼失し、昭和33年(1958)に神殿・拝殿・社務所が再建された。現在の拝殿には、門司区長谷にあった武徳殿の建材が用いられている。
甲宗八幡神社には中世から伝来する古文書が残されている。「門司関六ヶ郷惣田数注文写」や建武3年(1336)の「足利尊氏寄進状」など8通は「甲宗八幡神社文書」として、昭和60年(1985)に北九州市指定有形文化財に指定された。
門司港地区に伝わる楠原踊は、干ばつの際に奉納された雨乞踊りである。永正年間(1504~1521)、大宮司の大神氏友が上洛した際に公卿に教えを請い、地謡と狂言を取り入れたと伝えられる。狂言は明治時代に一度廃絶したが、楠原踊は奉納が続けられ、昭和47年(1972)に北九州市指定無形民俗文化財に指定された。
境内には能舞台「神敬閣」があり、平成20年(2008)に再建された。能・狂言・雅楽・御神楽などの奉納に使用されている。
社格は旧県社、現在は別表神社。
創建は貞観2年(860)である。前年の貞観元年(859)、大安寺の僧・行教が豊前国の宇佐八幡宮に参拝し、翌年、宇佐八幡宮の分霊を山城国へ遷す途中で門司関の筆立山麓に滞在した。この時、筆立山の上空に瑞雲がたなびき、八流の幡が天降って行教の袈裟を照らしたと伝えられる。行教は宇佐八幡宮の分霊を祀り、神功皇后が着用したと伝わる御甲を御神体として、外朝西門鎮守門司八幡宮を創建した。御甲を御神体とすることから、のちに甲宗八幡宮と称するようになった。初代祭主は大神義勝である。
文治元年(1185)、壇ノ浦の戦い後に源範頼・源義経が参拝し、重藤弓と鏑矢を献上して社殿を修造した。寛元2年(1244)には藤原親房が豊前代官職として西下し、その後、門司氏が門司六ヶ郷を支配して当社を氏神として崇敬した。建武3年(1336)には足利尊氏が戦勝を祈願して田地を寄進し、社殿を建立した。この時の足利尊氏寄進状は現在まで伝えられている。
天文元年(1532)、大友氏の兵火によって社殿・神具・古記などを焼失した。永禄12年(1569)にも大友氏の兵火で焼失し、その後、毛利元就が社殿を造営した。天正年間(1573~1592)の兵乱で再び荒廃したが、慶長5年(1600)に小倉藩主となった細川忠興が長岡勘解由を奉行として再建した。
寛永9年(1632)に小笠原忠真が小倉藩主となると、甲宗八幡宮は門司六ヶ郷の総鎮守とされ、慶安2年(1649)には忠真によって社殿が造営された。慶応2年(1866)には第二次長州征伐の戦火で神殿を焼失し、明治元年(1868)に毛利元徳が神殿を再建した。
明治40年(1907)には神殿・奉幣殿・楼門・回廊などが整備された。昭和20年(1945)の空襲によって神殿・拝殿・楼門などを焼失し、昭和33年(1958)に神殿・拝殿・社務所が再建された。現在の拝殿には、門司区長谷にあった武徳殿の建材が用いられている。
甲宗八幡神社には中世から伝来する古文書が残されている。「門司関六ヶ郷惣田数注文写」や建武3年(1336)の「足利尊氏寄進状」など8通は「甲宗八幡神社文書」として、昭和60年(1985)に北九州市指定有形文化財に指定された。
門司港地区に伝わる楠原踊は、干ばつの際に奉納された雨乞踊りである。永正年間(1504~1521)、大宮司の大神氏友が上洛した際に公卿に教えを請い、地謡と狂言を取り入れたと伝えられる。狂言は明治時代に一度廃絶したが、楠原踊は奉納が続けられ、昭和47年(1972)に北九州市指定無形民俗文化財に指定された。
境内には能舞台「神敬閣」があり、平成20年(2008)に再建された。能・狂言・雅楽・御神楽などの奉納に使用されている。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
例祭
歳旦祭 1月1日
どんど焼 1月中旬
節分祭 2月3日
祈年祭(春祭) 2月17日
夏越祭 7月下旬または8月初旬
敷地祓 9月中旬
秋季大祭 10月中旬
新穀感謝祭 11月23日
どんど焼 1月中旬
節分祭 2月3日
祈年祭(春祭) 2月17日
夏越祭 7月下旬または8月初旬
敷地祓 9月中旬
秋季大祭 10月中旬
新穀感謝祭 11月23日
文化財
甲宗八幡神社文書 8通
北九州市 有形文化財
古文書 昭和60年2月1日指定
古文書 昭和60年2月1日指定
楠原踊
北九州市 無形民俗文化財
文化財種別不明 昭和47年3月21日指定
文化財種別不明 昭和47年3月21日指定
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
公式サイト
http://www.kosohachimangu.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%AE%97%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
北九州市
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/kanko/menu02_0033.html
http://www.kosohachimangu.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%AE%97%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
北九州市
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/kanko/menu02_0033.html
