有名度
前頭新宮神社
しんぐうじんじゃ
広島県廿日市市新宮一丁目5番11号
広島県廿日市市新宮一丁目5番11号

かんたんご利益
- 恋愛
- 健康
- 仕事
- 子供
- 厄除
新宮神社には
「恋愛系」「健康系」「仕事系」「子供系」「厄除・開運系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
国家安泰 子孫繁栄 五穀豊穣 国土経営 医薬 酒造 商売繁盛 厄除開運 縁結び
御祭神
公
主祭神
伊邪那岐命 いざなぎのみこと
主祭神
伊邪那美命 いざなみのみこと
相殿神
少毘古那命 すくなひこなのみこと
相殿神
大穴牟遅命 おおなむちのみこと
相殿神
事代主命 ことしろぬしのみこと
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
新宮神社は広島県廿日市市に鎮座する神社。御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、少毘古那命、大穴牟遅命、事代主命の5柱をまつる。
社格は旧村社。
文安3年(1446年)9月29日、下平良村の藤掛尾城主であった小方加賀守上野之助が、新宮神社を創祀したと伝わる。創建当初は、伊邪那岐命と伊邪那美命の2柱を祀っていたとされる。その後、藤掛尾城は陶晴賢の攻撃によって落城した。永禄元年(1558年)9月29日には、紀州熊野新宮の祭神が合祀され、新宮神社は下平良村の氏神となった。
江戸時代初期まで、廿日市の西町や胡通りより西側の地域は、新宮神社の氏子区域であった。慶安5年(1652年)に天満宮が廿日市の氏神となり、寛文4年(1664年)には、西町の氏神であった新宮の神も天満宮へ勧請された。以後、廿日市天満宮の神輿は、新宮神社を御旅所として秋祭りを行うようになった。この祭礼の様子は、安政年間(1850年代)に編纂された「芸藩通誌」にも記されている。明治時代には村社となった。神仏分離以前の信仰を伝える懸仏も現在まで伝来している。
現在の社殿は平成9年(1997年)に改築されたもので、境内には稲荷神社も祀られている。また、新宮神社が所有する銅円板懸仏1面は、昭和60年(1985年)1月24日に廿日市市指定重要文化財に指定された。例祭日は毎年10月第2土曜日である。
社格は旧村社。
文安3年(1446年)9月29日、下平良村の藤掛尾城主であった小方加賀守上野之助が、新宮神社を創祀したと伝わる。創建当初は、伊邪那岐命と伊邪那美命の2柱を祀っていたとされる。その後、藤掛尾城は陶晴賢の攻撃によって落城した。永禄元年(1558年)9月29日には、紀州熊野新宮の祭神が合祀され、新宮神社は下平良村の氏神となった。
江戸時代初期まで、廿日市の西町や胡通りより西側の地域は、新宮神社の氏子区域であった。慶安5年(1652年)に天満宮が廿日市の氏神となり、寛文4年(1664年)には、西町の氏神であった新宮の神も天満宮へ勧請された。以後、廿日市天満宮の神輿は、新宮神社を御旅所として秋祭りを行うようになった。この祭礼の様子は、安政年間(1850年代)に編纂された「芸藩通誌」にも記されている。明治時代には村社となった。神仏分離以前の信仰を伝える懸仏も現在まで伝来している。
現在の社殿は平成9年(1997年)に改築されたもので、境内には稲荷神社も祀られている。また、新宮神社が所有する銅円板懸仏1面は、昭和60年(1985年)1月24日に廿日市市指定重要文化財に指定された。例祭日は毎年10月第2土曜日である。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
情報募集
例祭
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文化財
情報募集
建築
情報募集
神紋
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出典
公式サイト
http://www.hatsukaichitenmangu.or.jp/kenmu/
広島県神社庁
https://www.hiroshima-jinjacho.jp/
http://www.hatsukaichitenmangu.or.jp/kenmu/
広島県神社庁
https://www.hiroshima-jinjacho.jp/
