有名度
前頭上位粟鹿神社
あわしかじんじゃ
兵庫県朝来市山東町粟鹿2152番
兵庫県朝来市山東町粟鹿2152番

Saigen Jiro(wikipedia CC0)
かんたんご利益
御祭神
主祭神
天美佐利命 あめのみさりのみこと
主祭神
日子坐王 ひこいますのおおきみのみこと
主祭神
日子穂穂手見尊 ひこほほでみのみこと
配祀神
阿波奈岐尊 あはなぎのみこと
配祀神
伊弉奈岐尊 いざなぎのみこと
配祀神
天照大日孁尊 あまてらすおおひるめのみこと
配祀神
籠神 このかみ
配祀神
鵜葺草葺不合尊 うがやふきあえずのみこと
配祀神
月讀尊 つきよみのみこと
配祀神
素盞嗚尊 すさのをのみこと
配祀神
豊玉姫尊 とよたまひめのみこと
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(3柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
粟鹿神社は兵庫県朝来市に鎮座する神社。御祭神は天美佐利命、日子坐王、日子穂穂手見尊、阿波奈岐尊、伊弉奈岐尊、天照大日孁尊、籠神、鵜葺草葺不合尊、月讀尊、素盞嗚尊、豊玉姫尊の11柱をまつる。
社格は式内社であり、旧県社。
創建年代は明らかではない。宮内庁書陵部には、和銅元年(708)に粟鹿神社の祭主が朝廷へ上申したとされる『粟鹿大明神元記』の鎌倉時代の写本が所蔵されている。同書には粟鹿大神の系図や歴代祭主が記され、垂仁天皇の時代、大国主神の子とされる天美佐利命を大彦速命が祀ったこと、その曾孫が神部直の姓を賜り但馬国造となったことが伝えられている。また、粟鹿嶺に現れた白鹿の角の間に粟が生えていたため、「粟鹿大神」と称したとの伝承も残る。
天平9年(737)の『但馬国正税帳』には「朝来郡粟鹿神戸」とあり、粟鹿神に属する神戸について記録されている。承和12年(845)7月16日には『続日本後紀』により無位から従五位下を授けられ、貞観10年(868)12月27日には『日本三代実録』に正五位下を授けられたことが記される。
延長5年(927)成立の『延喜式神名帳』では但馬国朝来郡の名神大社に列し、『延喜式』の名神祭にも「粟鹿神社一座」と記載された。弘安8年(1285)の但馬国大田文には「当国二宮粟鹿大社」と記録されている。一方で一宮とする史料も残り、出石神社とともに但馬国一宮とされることもある。
応仁2年(1468)、応仁の乱に伴う兵火によって本殿・幣殿・拝殿が焼失し、文明年間(1469~1487)に再建された。天正年間(1573~1592)には社領が没収されたが、慶長9年(1604)に33石1斗の社領が与えられ、その後も江戸幕府から朱印状が交付された。
慶応2年(1866)には再び社殿が焼失した。明治5年(1872)に郷社へ列し、明治12年(1879)に社殿が再建されて県社へ昇格した。明治44年(1911)3月25日には神饌幣帛料供進社に指定された。
境内には本殿、拝殿、随身門、勅使門などが建つ。勅使門は切妻造の四脚門で、大部分にケヤキを用い、組物や木鼻などに唐様の手法が施されている。建立年代は明らかではないが、社殿の焼失を免れたと伝えられ、昭和47年(1972)4月1日に朝来市指定有形文化財となった。
粟鹿神社社叢林は朝来市指定天然記念物で、木造著色随身倚像と木造著色狛犬像も朝来市指定文化財となっている。
例祭は10月17日に行われ、「瓶子渡し」と呼ばれる特殊神事が伝承されている。当人と当頭が木製の瓶子や神饌を持ち、掛け声を交わしながら所作を繰り返した後、本殿へ納める。
社格は式内社であり、旧県社。
創建年代は明らかではない。宮内庁書陵部には、和銅元年(708)に粟鹿神社の祭主が朝廷へ上申したとされる『粟鹿大明神元記』の鎌倉時代の写本が所蔵されている。同書には粟鹿大神の系図や歴代祭主が記され、垂仁天皇の時代、大国主神の子とされる天美佐利命を大彦速命が祀ったこと、その曾孫が神部直の姓を賜り但馬国造となったことが伝えられている。また、粟鹿嶺に現れた白鹿の角の間に粟が生えていたため、「粟鹿大神」と称したとの伝承も残る。
天平9年(737)の『但馬国正税帳』には「朝来郡粟鹿神戸」とあり、粟鹿神に属する神戸について記録されている。承和12年(845)7月16日には『続日本後紀』により無位から従五位下を授けられ、貞観10年(868)12月27日には『日本三代実録』に正五位下を授けられたことが記される。
延長5年(927)成立の『延喜式神名帳』では但馬国朝来郡の名神大社に列し、『延喜式』の名神祭にも「粟鹿神社一座」と記載された。弘安8年(1285)の但馬国大田文には「当国二宮粟鹿大社」と記録されている。一方で一宮とする史料も残り、出石神社とともに但馬国一宮とされることもある。
応仁2年(1468)、応仁の乱に伴う兵火によって本殿・幣殿・拝殿が焼失し、文明年間(1469~1487)に再建された。天正年間(1573~1592)には社領が没収されたが、慶長9年(1604)に33石1斗の社領が与えられ、その後も江戸幕府から朱印状が交付された。
慶応2年(1866)には再び社殿が焼失した。明治5年(1872)に郷社へ列し、明治12年(1879)に社殿が再建されて県社へ昇格した。明治44年(1911)3月25日には神饌幣帛料供進社に指定された。
境内には本殿、拝殿、随身門、勅使門などが建つ。勅使門は切妻造の四脚門で、大部分にケヤキを用い、組物や木鼻などに唐様の手法が施されている。建立年代は明らかではないが、社殿の焼失を免れたと伝えられ、昭和47年(1972)4月1日に朝来市指定有形文化財となった。
粟鹿神社社叢林は朝来市指定天然記念物で、木造著色随身倚像と木造著色狛犬像も朝来市指定文化財となっている。
例祭は10月17日に行われ、「瓶子渡し」と呼ばれる特殊神事が伝承されている。当人と当頭が木製の瓶子や神饌を持ち、掛け声を交わしながら所作を繰り返した後、本殿へ納める。
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神紋
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%9F%E9%B9%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE
兵庫県神社庁
https://www.hyogo-jinjacho.com/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%9F%E9%B9%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE
兵庫県神社庁
https://www.hyogo-jinjacho.com/
