有名度
前頭上位稲田神社
いなだじんじゃ
茨城県笠間市稲田763番地
茨城県笠間市稲田763番地

Saigen Jiro (wikipedia CC0)
かんたんご利益
- 恋愛
- 健康
- 子供
稲田神社には
「恋愛系」「健康系」「子供系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
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※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
庁
縁結びの神 安産の神 子育の神 頭・目・手・足の神
御祭神
主祭神
奇稲田姫之命 くしいなだひめのみこと
合祀
布都主神 ふつぬしのかみ
合祀
菅原道真公 すがわらのみちざねこう
合祀
大山咋命 おおやまくいのみこと
合祀
大日龗貴命 おおひるめのむちのみこと
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
稲田神社は茨城県笠間市に鎮座する神社。御祭神は奇稲田姫之命、布都主神、菅原道真公、大山咋命、大日龗貴命の5柱をまつる。
社格は名神大社であり、旧県社。
創建年代は明らかではない。律令制以前には、常陸国西部を治めた新治国造が奇稲田姫之命を奉斎したと伝えられている。
神社の旧鎮座地は、現在地から北西約300メートルに位置する本宮跡である。当地には好井と呼ばれる泉が湧き、水をくみに訪れた人の前に稲田姫が現れ、自らと父母、夫をまつる宮を造り、好井の水と三枚の田で収穫した稲を供えるよう告げたという伝承が残る。その後、泉の近くに社殿が造営され、後に現在の宮山へ遷座したと伝えられる。
延長5年(927年)に完成した『延喜式』神名帳には、常陸国新治郡の名神大社として記載されている。鎌倉時代には広い神田を有し、笠間城初代城主・笠間時朝は、藤原光俊や宇都宮泰綱らを招いて奉納歌会を催した。本殿北側には、笠間時朝の歌碑が残されている。戦国時代には戦乱の影響を受けて衰微したが、江戸時代に入ると笠間藩主や水戸藩主徳川光圀の保護を受けた。元禄7年(1694年)、光圀は江戸へ向かう途中に参拝し、神官の田村善太夫を江戸へ同行させて神道を学ばせるとともに、縁起、神系、神宝、祭器図、神社図、社造図などを奉納した。元禄11年(1698年)には青竜・白虎・朱雀・玄武を描いた四神旗4旒を奉納し、笠間藩主井上正利も神社へ土地を寄進した。
弘化2年(1845年)に社殿は火災で焼失したが、笠間藩主牧野氏の援助により再建が進められ、嘉永元年(1848年)に現在の本殿と拝殿が完成した。
境内には、奇稲田姫之命の父神をまつる脚摩乳神社、母神をまつる手摩乳神社、夫神の素盞鳴尊をまつる八雲神社が鎮座する。旧鎮座地の本宮跡には好井の泉と神田が残され、奥の院としてまつられている。
徳川光圀が奉納した四神旗4旒は、東の青竜、西の白虎、南の朱雀、北の玄武を描いたもので、昭和63年(1988年)1月25日に茨城県指定文化財となり、現在は茨城県立歴史館に寄託されている。
例祭は11月17日に行われるほか、1月1日の初祈祷、2月3日の節分祭、2月19日の祈年祭、7月30日の祇園祭など、年間を通じて諸祭が斎行されている。
社格は名神大社であり、旧県社。
創建年代は明らかではない。律令制以前には、常陸国西部を治めた新治国造が奇稲田姫之命を奉斎したと伝えられている。
神社の旧鎮座地は、現在地から北西約300メートルに位置する本宮跡である。当地には好井と呼ばれる泉が湧き、水をくみに訪れた人の前に稲田姫が現れ、自らと父母、夫をまつる宮を造り、好井の水と三枚の田で収穫した稲を供えるよう告げたという伝承が残る。その後、泉の近くに社殿が造営され、後に現在の宮山へ遷座したと伝えられる。
延長5年(927年)に完成した『延喜式』神名帳には、常陸国新治郡の名神大社として記載されている。鎌倉時代には広い神田を有し、笠間城初代城主・笠間時朝は、藤原光俊や宇都宮泰綱らを招いて奉納歌会を催した。本殿北側には、笠間時朝の歌碑が残されている。戦国時代には戦乱の影響を受けて衰微したが、江戸時代に入ると笠間藩主や水戸藩主徳川光圀の保護を受けた。元禄7年(1694年)、光圀は江戸へ向かう途中に参拝し、神官の田村善太夫を江戸へ同行させて神道を学ばせるとともに、縁起、神系、神宝、祭器図、神社図、社造図などを奉納した。元禄11年(1698年)には青竜・白虎・朱雀・玄武を描いた四神旗4旒を奉納し、笠間藩主井上正利も神社へ土地を寄進した。
弘化2年(1845年)に社殿は火災で焼失したが、笠間藩主牧野氏の援助により再建が進められ、嘉永元年(1848年)に現在の本殿と拝殿が完成した。
境内には、奇稲田姫之命の父神をまつる脚摩乳神社、母神をまつる手摩乳神社、夫神の素盞鳴尊をまつる八雲神社が鎮座する。旧鎮座地の本宮跡には好井の泉と神田が残され、奥の院としてまつられている。
徳川光圀が奉納した四神旗4旒は、東の青竜、西の白虎、南の朱雀、北の玄武を描いたもので、昭和63年(1988年)1月25日に茨城県指定文化財となり、現在は茨城県立歴史館に寄託されている。
例祭は11月17日に行われるほか、1月1日の初祈祷、2月3日の節分祭、2月19日の祈年祭、7月30日の祇園祭など、年間を通じて諸祭が斎行されている。
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神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
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文化財
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建築
本殿 総欅流造銅板葺
神紋
情報募集
出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE
茨城県神社庁
https://www.ibarakiken-jinjacho.or.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE
茨城県神社庁
https://www.ibarakiken-jinjacho.or.jp/
