白八幡宮 - 神社ファン

有名度

前頭

白八幡宮

しろはちまんぐう

青森県西津軽郡鰺ヶ沢町本町69

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青森県西津軽郡鰺ヶ沢町本町69

かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
白八幡宮には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系

です。
他に 「大鳥・白鳥系」 「祇園・須佐系」 「えびす系」 「天満・天神系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

白八幡宮は青森県西津軽郡鰺ヶ沢町に鎮座する神社。御祭神は誉田別尊、白鳥大明神、素盞鳴命、事代主命、菅原道真命の5柱をまつる。
白八幡宮は鰺ヶ沢湾を望む高台に鎮座する。社伝では、大同2年(807年)、征夷大将軍の坂上田村麻呂が蝦夷降伏を祈願して祠を創建したと伝えられる。坂上田村麻呂が大刀と白旗を奉納し、白旗宮と称したことが、白八幡宮の社名の起こりとされる。
康元元年(1256年)には、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼が社殿を再建したと伝えられている。
慶長8年(1603年)、津軽為信が藩費で社殿を造営し、白八幡宮を鰺ヶ沢総鎮守に定めた。その後も津軽家歴代藩主の崇敬を受け、弘前八幡宮、浪岡八幡宮とともに津軽三八幡の一社に数えられた。
江戸時代、鰺ヶ沢湊は弘前藩の海運拠点として栄え、日本海を往来する北前船が寄港した。回船問屋や豪商からは玉垣や船絵馬が奉納され、境内には長州赤間関付近の石材による玉垣や、大阪の絵馬師が描いた船絵馬が伝えられている。
延宝5年(1677年)には祭礼が行われていたことが『弘前藩庁日記』に記され、貞享2年(1685年)の紀年銘を持つ神輿寄進札も残る。現在も使用される2基の神輿は同年に上方で製作され、海路で運ばれて町衆から奉納された。金具の裏には、大坂金田町の飾り職人「かざり屋五左衛門」の名が刻まれている。
安永9年(1780年)、新町の名主・大塚又右衛門は仙台の塩竈神社でカシ禰宜神楽を習得し、帰郷後に祭礼へ伝えた。弘化3年(1846年)の紀年銘を持つ山車人形「恵比須」は、現存する山車人形の中で最も古い。
祭礼は明治時代に一時中断したが、明治23年(1890年)に復活し、大正時代から4年ごとの開催となった。太平洋戦争中の中断を経て、昭和24年(1949年)に再開されている。
白八幡宮大祭は4年に1度、8月14日から16日まで行われる。神輿渡御に各町内の人形山車が加わり、チャンチャレンコ、夜かぐら、カシ禰宜神楽なども奉納される。最終日には神輿を御座船へ移して鰺ヶ沢湾を巡る海上渡御が行われ、漁船もこれに従う。
「鰺ヶ沢白八幡宮の大祭行事」は昭和56年(1981年)に鰺ヶ沢町無形民俗文化財、平成25年(2013年)に青森県無形民俗文化財に指定され、日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間-北前船寄港地・船主集落-」の構成文化財にもなっている。
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出典
青森県神社庁
http://www.aomori-jinjacho.or.jp/