有名度
前頭六殿宮
ろくでんぐう
熊本県熊本市南区富合町木原2378
熊本県熊本市南区富合町木原2378

かんたんご利益
- 恋愛
- 健康
- 仕事
- 厄除
- 家庭
- 勝負
六殿宮には
「恋愛系」「健康系」「仕事系」「厄除・開運系」「家庭系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
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※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
厄払い 開運招福 生活守護 国家隆昌 生命力向上 五穀豊穣 家内安全 武運長久 恋愛成就 疫病除け 商売繁盛
御祭神
神社系統
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
六殿宮は熊本県熊本市南区に鎮座する神社。御祭神は阿蘇大明神、天照皇大神、埴安姫神、諏訪大明神、氷川大明神、稲荷大明神の6柱をまつる。
社格は旧郷社。
六殿宮の創建は後白河天皇の時代にさかのぼる。伝承によれば、保元の乱で知られる源為朝(鎮西八郎為朝)が木原城に在城していた頃、阿蘇宮を崇敬して西国安鎮を祈願する遥拝殿を建立したという。
治承2年(1178)、高倉天皇の勅願により鎮西鎮護の宮として創建の御綸旨が下され、内大臣平重盛が阿蘇大明神、天照皇大神、埴安姫神、諏訪大明神、氷川大明神、稲荷大明神の6柱を六殿大明神として祀り、木原明熊に仮宮を造営した。続く寿永元年(1182)には、肥後守菊池隆直が現在地に社殿を建立し、神領750町が寄進された。また、神宮寺である円福寺が創建され、不動明王などが安置された。
建武元年(1334)には菊池武重によって社殿が改築され、八幡大菩薩、若宮大神、甲佐大神が合祀された。延元4年(1339)には征西大将軍懐良親王が勅使として参向し、六殿宮に参拝したと伝えられる。
戦国時代の天文18年(1549)には宇土城主名和顕忠が宝殿を建立し、飛騨国の工匠・甚五左衛門を招いて楼門を造営した。この楼門は釘を使用しない建築として知られ、現在も境内に残されている。
天正16年(1588)、小西行長の統治下で領内の社寺に大きな変動が生じ、六殿宮も神領や宝物を失った。本地堂などの堂宇が焼失し、円福寺の本尊は木原不動奥の院へ移された。その後、慶長5年(1600)には加藤清正が宇土城攻略に際して戦捷祈願を行い、禁制の制札を掲げて社領を保護し、社殿の修復を行った。江戸時代には熊本藩主細川家の崇敬を受け、奉納絵馬や大灯籠などが奉納された。
境内には国指定重要文化財の楼門が現存する。天文18年(1549)の建立と伝わる三間一戸、入母屋造、茅葺の建築で、1907年(明治40年)5月27日に重要文化財に指定された。本殿は文政6年(1823)の改築で、幣殿・拝殿は1937年(昭和12年)、神楽殿は2000年(平成12年)に建立された。
また、宝物として加藤清正が1600年(慶長5年)10月6日に発給した木製墨書の禁制制札が伝わる。秋季例大祭では馬追神事、蟇目神事、流鏑馬が奉納され、現在も地域の人々によって受け継がれている。
社格は旧郷社。
六殿宮の創建は後白河天皇の時代にさかのぼる。伝承によれば、保元の乱で知られる源為朝(鎮西八郎為朝)が木原城に在城していた頃、阿蘇宮を崇敬して西国安鎮を祈願する遥拝殿を建立したという。
治承2年(1178)、高倉天皇の勅願により鎮西鎮護の宮として創建の御綸旨が下され、内大臣平重盛が阿蘇大明神、天照皇大神、埴安姫神、諏訪大明神、氷川大明神、稲荷大明神の6柱を六殿大明神として祀り、木原明熊に仮宮を造営した。続く寿永元年(1182)には、肥後守菊池隆直が現在地に社殿を建立し、神領750町が寄進された。また、神宮寺である円福寺が創建され、不動明王などが安置された。
建武元年(1334)には菊池武重によって社殿が改築され、八幡大菩薩、若宮大神、甲佐大神が合祀された。延元4年(1339)には征西大将軍懐良親王が勅使として参向し、六殿宮に参拝したと伝えられる。
戦国時代の天文18年(1549)には宇土城主名和顕忠が宝殿を建立し、飛騨国の工匠・甚五左衛門を招いて楼門を造営した。この楼門は釘を使用しない建築として知られ、現在も境内に残されている。
天正16年(1588)、小西行長の統治下で領内の社寺に大きな変動が生じ、六殿宮も神領や宝物を失った。本地堂などの堂宇が焼失し、円福寺の本尊は木原不動奥の院へ移された。その後、慶長5年(1600)には加藤清正が宇土城攻略に際して戦捷祈願を行い、禁制の制札を掲げて社領を保護し、社殿の修復を行った。江戸時代には熊本藩主細川家の崇敬を受け、奉納絵馬や大灯籠などが奉納された。
境内には国指定重要文化財の楼門が現存する。天文18年(1549)の建立と伝わる三間一戸、入母屋造、茅葺の建築で、1907年(明治40年)5月27日に重要文化財に指定された。本殿は文政6年(1823)の改築で、幣殿・拝殿は1937年(昭和12年)、神楽殿は2000年(平成12年)に建立された。
また、宝物として加藤清正が1600年(慶長5年)10月6日に発給した木製墨書の禁制制札が伝わる。秋季例大祭では馬追神事、蟇目神事、流鏑馬が奉納され、現在も地域の人々によって受け継がれている。
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