健磐龍命 神社の神様 - 神社ファン

健磐龍命

たけいわたつのみこと

  • 神話・伝説
  • 男神・男性
タケイワタツノミコト

玉蘭斎貞秀(神佛図會)

祭神ランキング108位

健磐龍命とは?

健磐龍命は阿蘇地方の伝承に登場する男神である。健磐龍命、健磐龍神、阿蘇大神、阿蘇大明神などとも呼ばれ、阿蘇地方を開拓した祖神として信仰されている。
阿蘇に伝わる系譜では、初代神武天皇の皇子である神八井耳命の子で、神武天皇の孫にあたるとされる。阿蘇郡誌などに伝えられる伝承では、神武天皇から西国平定を命じられ、山城国宇治から阿蘇へ下向したという。ただし、この系譜や西国平定の物語は古事記・日本書紀に記されたものではなく、後世に伝えられた阿蘇地方の伝承である。
健磐龍命を代表する伝承が、阿蘇の「立野蹴破り」である。かつて阿蘇のカルデラ内には広大な湖があり、健磐龍命は人々が暮らせる土地を造ろうとして外輪山を蹴破り、湖水を流そうとしたという。最初に蹴った場所は山が二重になっていたため破ることができなかったが、別の場所を蹴破ると湖水が流れ出し、広大な土地が現れた。この水が流れ出た場所が現在の立野であると伝えられている。阿蘇の特徴的な地形と農耕地の成立を神の国土開拓に結びつけた伝承である。
阿蘇には健磐龍命と関係する米塚の伝説も残されている。健磐龍命が収穫した米を積み上げてできた山が米塚であり、頂上がくぼんでいるのは、積み上げた米を人々に分け与えたためだと伝えられている。こうした伝承から、健磐龍命は阿蘇の土地を切り開いただけでなく、人々に農耕をもたらし、その生活を豊かにした神として信仰されてきた。
日本書紀には、景行天皇が阿蘇国を訪れた際、人の姿が見えなかったため「この国に人はいるのか」と尋ねると、阿蘇都彦と阿蘇都媛の二神が現れ、自分たちがいると答えたという伝承が記されている。日本書紀には阿蘇都彦を健磐龍命とする記述はないが、後世の阿蘇信仰では阿蘇都彦と健磐龍命が同一視されるようになった。
また、阿蘇の伝承では健磐龍命は阿蘇都媛を妻としたとされ、二柱は阿蘇地方の開拓や農耕に深く関わる神として信仰されている。阿蘇を本拠とした阿蘇氏も健磐龍命を祖神として仰ぎ、阿蘇神社の祭祀を代々担ってきた。こうした祖神信仰に、阿蘇山を中心とする火山信仰や農耕信仰が重なり、健磐龍命は阿蘇を代表する神として崇敬されるようになった。
健磐龍命には国土開拓、五穀豊穣、農業守護、地域守護、家内安全、開運招福などのご利益があるとされる。
健磐龍命は肥後国一宮である阿蘇神社(熊本県阿蘇市)で阿蘇十二神の主神として祀られているほか、阿蘇神社から勧請された各地の神社で祀られている。

エピソード

湖を大地へ変えた立野蹴破り伝説
阿蘇地方には、健磐龍命が外輪山を蹴り破り、湖であった阿蘇を人の住める土地に変えたという雄大な伝説がある。祖父の神武天皇から九州を治めるよう命じられた健磐龍命は、阿蘇へ来ると外輪山に囲まれた広大な湖を目にした。湖水を流せば村や田畑を開けると考え、まず外輪山の一角を蹴ったが、そこは山が二重になっていたため破れなかった。これが二重峠の名の由来と伝えられる。
次に西方の立野を蹴ると外輪山が破れ、湖水が一気に流れ出した。健磐龍命はその勢いで尻餅をつき、立てぬと言ったため、立野という地名が生まれたともいう。湖底には水をせき止める巨大なナマズがおり、命がこれを退けてようやく水が引いたという伝承も残る。流れに巻き込まれた鹿にちなむ数鹿流ヶ滝など、周辺各地の地名もこの物語と結び付けられている。
立野峡谷は、阿蘇カルデラの壁が切れて白川と黒川が外へ流れ出す場所である。地質学的には、断層運動や溶岩によるせき止めによって、カルデラ内では湖の形成と消失が繰り返されたと考えられている。蹴破り伝説は、その特徴的な地形を人々が開拓神の働きとして語り継いだ物語なのである。

出典・参考:阿蘇ジオパーク「立野峡谷ジオサイト」、国土交通省「河川伝統技術データベース」、阿蘇ペディア「健磐龍命」



阿蘇都彦と健磐龍命は同じ神なのか
『日本書紀』景行天皇十八年六月条によれば、景行天皇が阿蘇国を訪れたとき、広々とした野原には人家が見えなかった。天皇が、この国に人はいるのかと尋ねると、阿蘇都彦《あそつひこ》と阿蘇都媛《あそつひめ》という二柱の神が人の姿となって現れ、自分たち二人がいると答えたという。これが阿蘇という地名の由来として記されている。
しかし、同書は阿蘇都彦を健磐龍命と呼んでおらず、両者を同一神とも説明していない。健磐龍命を阿蘇都彦とする理解は、後世の阿蘇神社や地域の信仰で成立したものである。阿蘇では健磐龍命を男性の国土神、妃神を阿蘇都媛とし、阿蘇の土地を守る夫婦神として祀ってきた。そのため『日本書紀』の阿蘇都彦・阿蘇都媛の物語が、阿蘇を開拓した健磐龍命夫妻の伝承と重ねられたのである。
なお、健磐龍命を神八井耳命の子とする系譜も『日本書紀』本文にはない。一方、『古事記』は神八井耳命を阿蘇君の祖と記しており、この古い氏族系譜が、阿蘇氏の祖神である健磐龍命の後世の系譜につながったと考えられる。古典に記された二神と、阿蘇で育まれた信仰上の同一視を分けて理解することが大切である。

出典・参考:『日本書紀』景行天皇十八年六月条、『古事記』神武天皇段、國學院大學デジタルミュージアム「健磐龍命神社」「阿蘇比咩神社」



火口の神霊池と国家が畏れた阿蘇の神
健磐龍命は開拓神であると同時に、阿蘇山の火山活動をつかさどる神として畏敬された。平安時代の記録では阿蘇中岳の火口湖が神霊池《しんれいち》と呼ばれ、健磐龍命の神威を示す場所とみなされている。麓の阿蘇神社が下宮と呼ばれたのに対し、火口は上宮として信仰され、現在も阿蘇山上神社が火口に向かって鎮座する。
『続日本後紀』承和七年、西暦八四〇年の記事には、肥後国(現在の熊本県)の健磐龍神に従四位上の神階を授けたことが記されている。同じ年、洪水や干ばつでも水量が変わらなかった神霊池が約四十丈も涸れたという報告が大宰府から朝廷へ届いた。朝廷はこれを単なる自然現象ではなく、国家に関わる異変として受け止め、亀卜《きぼく》を行い、寺社での祈祷や幣帛の奉納を命じた。承和九年にも祟りがあるとして健磐龍神などへ奉幣している。
古代の人々にとって、噴煙や火口湖の変化は阿蘇の神が発する徴であった。健磐龍命が火山神とされたのは、後世の印象だけではない。火山の異変を神意として朝廷が記録し、祭祀を行った歴史によって裏付けられる神格なのである。

出典・参考:『続日本後紀』承和七年四月・九月条、承和九年七月条、國學院大學デジタルミュージアム「神道・神社史料集成(古代) 健磐龍命神社」、阿蘇市「神社・寺院」



阿蘇十二神の主神から農耕を見守る神へ
阿蘇神社では、健磐龍命を中心に、その妃神や子孫神を含む家族神十二柱を阿蘇十二神として祀っている。子神の一柱である速瓶玉命は初代阿蘇国造の祖と伝えられ、阿蘇神社の北に鎮座する国造神社の主祭神である。こうした祭神構成は、健磐龍命が単独の火山神ではなく、阿蘇の土地と人々を代々守る祖神として信仰されてきたことを示している。
その神徳を現在まで伝えるのが、阿蘇神社と国造神社を中心に行われる阿蘇の農耕祭事である。阿蘇神社では田作祭、火振り神事、御田植神幸式、風鎮祭、火焚き神事、田実祭などが季節に沿って営まれる。春に稲作の始まりを祝い、夏には風や霜による害を防ぐよう祈り、秋には実りを神へ感謝するという一連の祭りである。その古式と年間を通したまとまりから、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
湖水を流して田畑を開いたという伝説と、稲作の工程を一年にわたって再現する祭事は別の時代に成立したものである。しかし両者は、人が暮らし、作物を育てられる阿蘇の大地を健磐龍命の恵みと考える点で結び付いている。開拓神の物語が、現在も農耕と豊作を祈る祭りの中に生き続けているのである。

出典・参考:阿蘇神社公式サイト「阿蘇神社について」、文化遺産オンライン「阿蘇の農耕祭事」、阿蘇市「神社・寺院」



スポンサーリンク

出典文献

日本書紀

延喜式

続日本後紀

ご神徳

阿蘇山の神

別称・異称

健磐竜命

たけいわたつのみこと

延喜式/続日本後紀

健磐竜神

たけいわたつのかみ

続日本後紀

建磐竜命

たけいわたつのみこと

その他

阿蘇大神

あそのおおかみ

その他

祀られている主な神社

阿蘇神社
(熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083−1)
青井阿蘇神社
(熊本県人吉市上青井町118番)
阿蘇神社
(岐阜県羽島市小熊町西小熊字中山12番地所1577番地の3)
阿蘇神社
(長崎県諫早市多良見町化屋861番)
若宮神社
(熊本県美里町馬場605)