蒲生八幡宮 - 神社ファン

有名度

前頭

蒲生八幡宮

かもうはちまんじんじゃ

福岡県北九州市小倉南区蒲生5丁目6−10

福岡県北九州市小倉南区蒲生5丁目6−10

拝殿

武蔵武蔵(wikipedia CC 表示 3.0)

かんたんご利益

  • 仕事
  • 金運
  • 安全
  • 勝負
蒲生八幡宮には

「仕事系」「金運系」「安全系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利 海上安全 豊漁 財運向上 諸産業守護

御祭神

応神天皇 おうじんてんのう
神功皇后 じんぐうこうごう
宗像三女神 むなかたさんにょしん
大山祇命 おおやまづみのみこと
細川幽斎 ほそかわゆうさい
細川忠興 ほそかわただおき

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系」 「宗像・厳島系」 「三島・大山祇系」 「不明(1柱)」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

蒲生八幡宮は福岡県北九州市小倉南区に鎮座する神社。御祭神は応神天皇、神功皇后、宗像三女神、大山祇命、細川幽斎、細川忠興の6柱をまつる。
社格は旧県社。
蒲生八幡宮の起源は、現在の社地の北東に位置する虹山に宗像三女神が降臨したと伝えられることに始まる。虹山には多岐都比売命が祀られ、周辺にも宗像三女神を祀る祭祀の場が設けられたと伝承されている。その後、応神天皇と神功皇后が祀られ、八幡宮として信仰されるようになった。
神社は古く、豊前国企救郡蒲生村の虹山に鎮座していた。中世には規矩氏や小野田氏など地域の武士たちから崇敬を受け、周辺地域の人々の信仰を集めた。
天正年間の初めには、大友氏の兵火によって社殿が焼失した。焼失後も祭祀は続けられ、企救郡高浜浦に新たな社殿が建立された。この時代には規矩八幡宮、あるいは高浜八幡宮と称され、高橋鑑種による社殿造営も伝えられている。
関ヶ原合戦後の慶長7年(1602年)、豊前国に入国した細川忠興によって神社は再び蒲生へ遷座した。社号も蒲生八幡宮に戻され、小倉藩主家の崇敬を受けるようになった。さらに寛永9年(1632年)に小笠原氏が小倉藩主となった後は、豊前小倉六社の一社に数えられ、歴代藩主の保護のもとで社頭が維持された。
現在の社殿は江戸時代以降に整備されたものである。本殿は第4代小倉藩主・小笠原忠総の寄進により建立され、棟札などから明和5年(1768年)の建築であることが判明している。幣殿は天保2年(1831年)、拝殿は明治40年(1907年)頃に建てられ、本殿・幣殿・拝殿がそれぞれ独立して配置されている。
これらの社殿は、平成23年(2011年)12月27日に北九州市指定有形文化財に指定された。本殿、幣殿、拝殿はいずれも江戸時代中期から近代にかけての建築であり、蒲生八幡宮の長い歴史を現在に伝えている。
  • 県社
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E7%94%9F%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%8C%97%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E5%B8%82)