細川忠興
ほそかわただおき
- 歴史的人物
- 男神・男性

永青文庫所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング776位
- 大名
戦国~江戸 [1563年~1646年]
細川忠興とは?
細川忠興(1563-1646)は戦国時代から江戸時代にかけての人物。父は細川藤孝で、正室に明智玉子(ガラシャ)がいる。足利義昭を追放した後は長岡氏を称し、その後は羽柴氏も称したが、大坂の陣後には細川氏へ戻した。豊前小倉藩の初代藩主で、肥後細川家の初代に当たる。足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、時代ごとの権力者に仕え、肥後細川家の基礎を作った。政治手腕に優れる忠興だが、気性が荒く短気な性格であることも知られており、明智光秀からむやみな殺生を咎められた逸話も残っている。一方で正室への愛情は深く、玉子の父である光秀が本能寺の変を起こした時も、離縁せず彼女を守った。また、忠興は文化人としても名高い。教養人、茶人の細川三斎の名を持ち、利休七哲の一人に数えられるほか、茶道の流派三斎流の開祖でもある。和歌や能楽、絵画にも通じたと言われ、これらの文化交流のなかで得た情報を政治に活かしていたとされる。更には、自身が使用する武具にも強い関心を示し、自身の刀法に適した越中具足という新たな甲冑の形式を考案した。特に忠興が関ヶ原の戦いで使用したものは勝利の証として尊ばれ、歴代の熊本藩主や藩士の甲冑に踏襲された。 忠興は八雲神社(栃木県茂木町)に大光霊神として祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
長岡忠興ながおかただおき
その他
細川三斎ほそかわさんさい
その他
祀られている主な神社
蒲生八幡宮
(福岡県小倉南区蒲生5丁目6−10)
出水神社
(熊本県中央区水前寺公園8−1)
出水神社
(大分県大分市東鶴崎三丁目5番16号)
