有名度
前頭田所明神社
たどころみょうじんしゃ
広島県安芸郡府中町石井城1丁目6-16
広島県安芸郡府中町石井城1丁目6-16

かんたんご利益
御祭神
公
主祭神
飽速玉命 あきはやたまのみこと
相殿
天湯津彦命 あまゆつひこのみこと
合祀
槻瀬明神 つきのせみょうじん
合祀
市杵島姫命 いちきじまひめのみこと
合祀
宇迦之御魂神命 うかのみたまのみこと
合祀
大国主命 おおくにぬしのみこと
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(1柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
田所明神社は広島県安芸郡府中町に鎮座する神社。御祭神は飽速玉命、天湯津彦命、槻瀬明神、市杵島姫命、宇迦之御魂神命、大国主命の6柱をまつる。
田所氏は、奈良時代以前に安芸国造であった飽速玉命の系統と伝わる佐伯氏につながる家である。国司制度の成立後、佐伯氏は佐伯郡司に任じられ、厳島明神や芸州国府八幡の祭祀では国府奉幣使代も務めたと伝えられている。
平安時代初期、田所氏は五日市から府中へ移住した。田所氏は、佐伯氏のほか三宅氏、石井氏とも称され、平安時代の職名であった「田所」を本姓としたと伝わる。府中へ移った後は、安芸国府の在庁官人として安芸国の政治に関わり、厳島神社では厳島国府上卿として祭主も務めた。
田所氏は、現在の石井城跡付近に屋敷を構えた。延久4年(1072年)、田所氏は国庁神社を建立した。長官をはじめ約40人の所従が、朝夕に厳島の方向を拝礼していたと伝えられている。
元禄3年(1690年)、国庁神社は現在地へ移された。芸州厳島絵図には、明神殿が厳島遥拝所として描かれている。大正5年(1916年)、国庁神社、槻瀬明神、大黒社が合祀され、田所明神社として現在地に建立された。
現在の社殿は平成10年(1998年)に再建されたものである。境内では、明神祭、秋季例大祭、月次祭などの祭礼が行われている。
また、田所氏の屋敷跡には、同家に伝わった田所文書が残されている。田所文書は、鎌倉時代の府中や安芸国の田畠の状況を伝える史料であり、昭和44年(1969年)に広島県重要文化財へ指定された。
田所氏は、奈良時代以前に安芸国造であった飽速玉命の系統と伝わる佐伯氏につながる家である。国司制度の成立後、佐伯氏は佐伯郡司に任じられ、厳島明神や芸州国府八幡の祭祀では国府奉幣使代も務めたと伝えられている。
平安時代初期、田所氏は五日市から府中へ移住した。田所氏は、佐伯氏のほか三宅氏、石井氏とも称され、平安時代の職名であった「田所」を本姓としたと伝わる。府中へ移った後は、安芸国府の在庁官人として安芸国の政治に関わり、厳島神社では厳島国府上卿として祭主も務めた。
田所氏は、現在の石井城跡付近に屋敷を構えた。延久4年(1072年)、田所氏は国庁神社を建立した。長官をはじめ約40人の所従が、朝夕に厳島の方向を拝礼していたと伝えられている。
元禄3年(1690年)、国庁神社は現在地へ移された。芸州厳島絵図には、明神殿が厳島遥拝所として描かれている。大正5年(1916年)、国庁神社、槻瀬明神、大黒社が合祀され、田所明神社として現在地に建立された。
現在の社殿は平成10年(1998年)に再建されたものである。境内では、明神祭、秋季例大祭、月次祭などの祭礼が行われている。
また、田所氏の屋敷跡には、同家に伝わった田所文書が残されている。田所文書は、鎌倉時代の府中や安芸国の田畠の状況を伝える史料であり、昭和44年(1969年)に広島県重要文化財へ指定された。
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https://tadokoromyoujinja.jp/
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