山口神社 和歌山県 - 神社ファン

有名度

前頭

山口神社

やまぐちじんじゃ

和歌山県和歌山市谷377番地

和歌山県和歌山市谷377番地

鳥居と拝殿

Naginoha(wikipedia CC 表示 3.0)

山口神社以外にも 日吉神社 とも呼ばれます。


かんたんご利益

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」

です。
他に 「不明(6柱)」 「出雲・オオナムチ系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

山口神社は和歌山県和歌山市に鎮座する神社。御祭神は伊久津比売命、国常立命、国狭槌命、惶根命、大己貴命、伊弉册命、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命、天津彦彦火瓊々杵命、弥照命の9柱をまつる。
社格は式内社(論社)であり、旧村社。
創建は不詳である。社伝では、平安時代初期にはすでに社が存在し、平城天皇の熊野行幸の際に勅使が立てられ、これを契機として社殿が拡大したと伝わる。境内周辺には坂上田村麻呂の墓と伝わる将軍塚や、坂上五郎の居城跡と伝わる場所があり、坂上氏一族に関わる祭礼の伝承が残されている。
『紀伊続風土記』には、山口神社が『延喜式神名帳』紀伊国名草郡の「伊久比売神社」、および『紀伊国神名帳』に記される「従四位上 伊久比売神」に該当する可能性がある神社として記録されている。応安6年(1373年)には、山口荘の地頭職であったとみられる山口明教が理趣三昧田として1段を寄進した。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉による紀州攻めによって社殿・宝物・古縁起が焼失し、神田も没収された。その後、豊臣秀長が神領25石を寄進し、慶長4年頃より社殿の再建が始まった。再建はその後も継続され、浅野氏および紀州徳川氏による援助が加えられた。
江戸時代には「日吉春日神社」と称され、周辺6箇村の産土神として祀られた。明治維新後には社名を日吉神社と改め、近代社格制度において村社に列した。明治42年(1909年)には旧山口村内の無格社を合祀し、社名を山口神社へ改称した。和歌山市の景観資料にも、明治期に村内神社を合祀して現在の社名となったことが記録されている。
境内の中心には日吉神社と春日神社の二社が並び、日吉神社が本社とされる。日吉神社本殿は三間社流造・銅板葺、春日神社本殿は二間社流造・銅板葺で、いずれも高欄付きの縁を三方に巡らし、千木および鰹木を備える。例祭は毎年10月17日に行われる。
  • 村社
  • 式内社(不明 論社)
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神社詳細

摂末社・境内社

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例祭

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文化財

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建築

本殿 三間社流造銅板葺

神紋

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E5%B8%82)
和歌山県神社庁
https://wakayama-jinjacho.or.jp/